憧れの存在
どうしても忘れられない店員さんがいる。
その店員さんはそのお店をやめていないから、忘れられない、というのは正確ではないのだけれど、すごく「印象に残っている」という意味で忘れられない。
そのお店は僕が住む場所から歩いて10分程度の場所にあり、車で出かける際には思わず立ち寄ってしまうような位置にある。
小さい規模のお店ではあるものの、店員さんはパートタイマーで働いているであろう人と、アルバイトで働いている学生ぽい人なども含めてみるとそれなりの数の人が働いている。
その中でも、僕はその店員さんが忘れられないし、印象深いのだけれど、彼の接客には花があり、僕の憧れの存在でもある。
その理由について買いていこうと思う。
そのお店に入ると、その人(店員さん)は必ず顔をみながら“程よい加減のあいさつ”をしてくれる。
ある程度、お店に入ってくるお客さんなら一律に、十把一絡げに扱う人も多い中で、その人は入ってくるお客さんのテンションというか雰囲気に合わせて声をかけてくれる。
意気揚々と入ってくるお客さんには元気に、しっとりと入ってくるお客さんには添い遂げるようなトーンで。
その使い分けが本当に絶妙で、心地よい。
また、よく気がつく人でもあり、探しているものや買いたいものがちょっと見つからないそぶりをしている場合には、自らがやっている業務の何を置いてでも誘導してくれるのだ。
極め付けは購入時に商品の受け渡しする際には、商品がどんな商品であるのかを踏まえ、適切であろう位置に配置してくれ、その適切さと言ったらない。
お客さんが持ちやすい状態にするために、手渡しの際に“どう持てばバランスがいいのか”を経験と知識とを重ね合わせた上で提示してくれるのだ。
さらに、去っていくお客さんに対してひと言だけ、ほんのひと言を添える。商品と季節感とお客さんのキャラクターを踏まえた上でことばを変えて。
そしてなによりも、彼はお客さんを前にして絶対に無表情な様を見せない。常に笑顔を作っている。その様は新垣結衣もビックリなぐらいにナチュラルな笑顔なのだ。
彼を見かけるたびに「おもてなし」ということを強く意識せざるを得ないし、購買行動の促進にも繋がる。
僕は、彼からオススメ商品をレコメンドされたなら買ってしまうだろう。それぐらいに彼の接客態度は素晴らしく、見栄えがするぐらいに輝いている。
僕は小市民であるから、決して素晴らしいグレードのホテルや旅館に宿泊をした経験は決して多くはないが、その少ない経験の中でも彼は上位クラスだ。
何よりも、場所がその様にハイクラスなサービスを提供するような場所でもないにも関わらず、彼はその姿勢を貫いている。
本質的な意味でのサービスマンだ。
彼のような人を評価できるシステムがあるのであれば、僕は間違いなく高評価を与えるし、これに関しては我が家の妻も同様の意見で文句なし。
Uberでは乗客と運転手が双方に評価される仕組みであり、結果的にユーザーの体験価値が高められるように設計されている。
こんな相互評価のシステムは、今後、ますます前提化するのだろうし、そうしないと“安心”して買い物ができない状態になってしまうかもしれない。
だからこそ、僕は上で書いてきた彼のいる店、彼のすすめる商品であれば間違いなく安心して買うことができるし、買おうと思える。
そうすることで彼の収入にポジティブな影響を与えることができるだろうし、その支援の仕方自体が現代の適正な評価制度なのではないだろうか、とも思う。
言ってしまえば、彼のような外部からの評価著しく高い人間と、そうではない人間の評価が一律に決められてしまうというのはおかしいのではないか、と。
機会の平等という意味では平等ではいいかもしれないが、その先にある結果の平等という意味では適正な評価が行われていないものではないだろうか。
内部評価と外部評価が釣り合わないのは仕方ない部分があるのかもしれないが、いずれにしても外部評価をもっとあげたいと思うのはファン心理をつくものだ。
それは結果における平等な評価制度であり、いまはそれができるのだから有効に活用してもらいたいと考えている。
そんな「個人の評価」について考えてみました。
ちなみに、この店員さんは近所のセブンイレブンの店員さんだ。