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コスパってなんだろう

はじめましての方から頻繁に起こしいただく方まで、ようこそ。 どうも、ゑんどう @ryosuke_endo です。

このnoteでは、特に読む必要がないと感じられることかもしれないけれど、ぼくがだれかと対面して話したい”雑談”を文字化するものなので、そんな雑談にお付き合いくださる方は、ぜひ読み進めてください。

はじめに

ぼくの好きなライターの一人に雨宮紫苑さんって方がいる。冷静と情熱のあいだをいくような文体に惹かれ、ついつい読み込んでしまう。

そんな雨宮さんが毎度のことながら再びぼくの琴線に触れる内容の記事を書いてくれていた。
たいていの一般人は買い物には「コスパ」が重要で、企業の理念になんて、これっぽっちも興味がない。

ぼくとしては大いに同意で、正直、企業理念に賛同して商品を買うかどうかを決めている人間なんているはずがないと思ってる派なのだが、おそらくこの考えに賛同してくれる人は多いのではないだろうか。

ちょっと気になってしまったのが「コスパ」とは何か、なんてそもそも論。ぼくは何に満足したいと思っているのか。何をすることで満足とするのか。
それを実現できたときには満足感が高くなるわけだ。はて、ぼくの「コスパが高い購買行動」とは何なのだろうか。

便益にしか興味を持てない

最近、自分が購入したものをAmazonの購入履歴から確認してみたのだが、ここ三ヶ月で購入したものは「定期便」の日用品たちと不具合が生じたことによって購入せざるを得なかったフライパンぐらいだった。

自分でも驚くほどに便益のあるものしか購入していない。もちろん、そうではない買い物をしていた時期だってあるにはある。

雨宮さんが記事内で記載している「感情消費」をしていたことだって存分にある。たとえば、誰かも知らない人のクラウドファンディングに支援したことだって一度や二度ではない。

その当時、ぼくが裕福な生活を送っていたのかといえば決してそんなことはない。むしろ、苦しんでいる状況だったともいえるが、それは今と代わり映えのしないものだ。

誰かの記載する「物語」へ勝手に没入したうえで同情し、ポチポチとPCやiPhoneを操作してクレジットカード情報を登録しては支援をしていた。

リターンを気にしてのものではない。正直、クラウドファンディングに支援をすることで得たいのは実利的な物品でない限り、リターンではなく「支援する自分」だったのだ。

正直、お礼の手紙やプロジェクトレポートなどもらったところで何の感情もわかないし、支援から数ヶ月も経過していると支援当時の感情など湧き上がってこないものだ。

「なぜ、自分が支援したのか」を言語化できないのだから困ったものである。

しかし、いま、似たような購買行動や消費行動に走るのかというと、まったくない。むしろ、本当に困っているであろう人の支援ですらしない。いや、できない。

物価が高騰する中で、妻さんと毎週の定例で食費をどうやって抑えるのか、生活コストを下げるための運用はどうしたらいいのか。などを真剣に話していると、そんな他人を支援するほどの余裕など我が家にはない。

「大事なのは売上じゃなくて利益が出ることなんだよ!利益を出し続けろ、利益を!」と毎週のごとく詰められる立場になってほしい。

そんな生活をしてると余計な支出をした瞬間に「おい、お前。これはなんだ。この5,000円って何に使ってるんだ。詳細に説明しろ。」と説明責任を追求される。

感情消費など、しているヒマはないのだ。

「買って満足」ほど怖いものはない

毎週の定例で詰められている話は実話なので脚色でも何でもないのだが、妻さんと家計を一緒にしているからこそ共同体としての認識を強めることが出来ている。

家族って単位で生活・行動をともにする以上、家族にとって「益」のある購買行動しか目に入ってこないのだ。

便益を実感できる商品やサービスの購入以外しなくなったのだが、強いていえば子どもたちと出かけた際に使用する遊興費ぐらいで、それを感情消費といえば感情消費なのかもしれないが、ぼくや妻さんからすると便益を享受できる支払い行動であって、そこに一切の無駄は感じられない。

子どもたちが喜ぶ姿や共に楽しむことを実感できるのは「いま」しかない。彼らが成人し、家族を持ったとしたら、このような時間を設けることができない。5年後にも10年後にもできない「体験」をしているのだから、感情ではなく便益を得るものだと強く断言できる。

自分が「買って満足する」購買は本当に1年以上は記憶にないのだが、過去のクラファンへの支援をしまくりたい衝動に駆られていた時期を思い返すと、あれほど怖いものはないと思える。

実利がまったくないのだ。

共感なんてものがたやすく手に入ると思っている人もいるかも知れないが、共感なんてものがそうそう簡単にできるものだとは思えない。人の感情なんて、そんなに簡単なものではないはずだ。

自身と他者の間にある共通項を見出すことで同情や同調はできるかもしれないが、共感をすることが本当にできているのかは甚だ疑問である。

別に支援することだけでなく、他にも感情に支配されてホイホイと実利のない購買行動を取ってしまうことは誰しもがあるだろうが、それがひどく贅沢なものであると自覚するべきだ。

よく事業者はストーリーが大事だと宣(のたま)うが、それは反面、便益も実利もない商品やサービスをどうやって売るのかとも聞こえる。ストーリーが大事なのは便益や実利が顧客側にあるからであって、何の利益も得られないのにキラッキラな広告だけでどうにか出来ると思っている事業者は大いに反省すべきだ。

だから百均がなくならないのだろうが、それが日本って国にとってよきことなのかどうかはわからない。貧しさに拍車をかけるような状況に追いやっているような気もするが、それを実感したところでぼくにはどうすることも出来ない。

ただ、感情のみで購買をするなんてものは大いにコスパの悪いものであるってことぐらいは存分に理解できている。

おわりに

コスパってのは、いかにして便益を得られるのかを追求するからこそ得られるものだろう。安直に安価だから得られるのではなく、期待値以上の情動起伏を味わえる金額設定だから満足につながるのだ。

安かろう悪かろうといった根本原理はかわらないだろうが、そこに自分なりの追求する便益があるのなら、それは非常に高いパフォーマンスを発揮する商品やサービスになる。

何にも考えずに購買をする人など、2022年の物価高に喘ぐ状態では皆無かもしれないが、いかにして自分が求める便益を得られるのかを追求することで無駄な買い物はしなくなるのかもしれない。

そんなわけで、今日もブラックサンダーを買って自分を褒めたいと思う。

ではでは。

ゑんどう

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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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