甲子園の時期になってきましたね
僕は昨年の夏に甲子園をやめませんか、と題した記事を書きました。日本一を目指す大会があっても構わないけど、本当に日本一を目指すために成長期である高校生が体を酷使し、熱中症で倒れる様子を楽しみながら見ている様は異常だ、と思っていたのと、過去に自分がスポーツトレーナーとして活動をしていた頃にした苦い経験(トラウマレベル)から書いた記事が以下。
そして、少しずつ、でも確実に夏の甲子園大会への出場校が決まっている中で、岩手県の大船渡高校の163km/hを記録したことのある佐々木朗希選手が決勝戦へ投手として出場しなかった点について賛否両論が生まれる機会になっていて、今年はプライヤーズファーストって言葉が高校野球にも聞かれるようになってきた元年になるかな、と。
ちょっと前には新潟県高野連が独自に春の大会限定ではあるものの、投手の球数制限を設けようとしたことで、選手の活動に対して大人たちの思惑がぶつかる機会を産むことができたと認識しています。
儲け主義とは言いませんが、慣習的に流されて高校野球を見てきた人たちからすると、クソ暑い真夏に体を痛めつつ、熱中症でフラフラになりながら、相手が倒れるまで殴り続けるような試合を見たいと思ってしまうのでしょうか。
僕はそんな大人たちの姿勢には断固として反対ですし、そんなのしか楽しみがないのか、と言いたい気持ちをグッと抑え...られてませんね、こうやって書いてしまっているから。
高校にわざわざ電話して苦情を申し入れる人たちって、まさにそんな人たちな訳ですが、どうしてそこまでできるのか理解できません。
思わずツイートしてしまったわけですが、彼らにとって、僕が上で書いたように、成長期の彼らが苦しみながらでも頑張ってる様子をどうにかして見たいと思ってるわけで、それって甲子園球場が旧帝国ローマのコロッセオになっているのだと理解していますが、あながち間違ってないように思います。
ただ、僕は選手たちのプレーしたい気持ちは尊重すべきだと思いますし、もし、肩や肘をはじめとした傷害を抱えている状態でもプレーしたいと本人たちが願うのも心情的には理解できます。
だからと言って、それをそのまま受け取るのが指導者の立場でやるべきなのかはもっともっとよく考えられるべきだとも思ってます。
「選手がやりたいと言っている以上はやらせるべきだ」
それは本当に選手のためを思っての発言なのかどうか。指導者の判断によって、一生涯、肩の痛みと付き合いながら生活をしていくのを強要することにもなりかねませんし、それによって選手はその後、満足に野球をできないような状態に追い込んでしまうかもしれません。
たしかに判断が難しいのは理解しています。何せ、僕は決して長くはありませんが、その現場にいたのですから。
ただね、選手を出してあげたいって気持ちを近視眼的だ、と批判はしませんし、本当に悩ましい感情を抱えながら判断しているのは承知しているつもりです。
でも、もっともっともっと悩んで悩んで悩んで、考えて考えて考えて、話して話して話すべきなんですよ。
指導者は自分の体ではない以上、怪我をさせてしまう可能性を常に抱きながら彼らに接しているのだと強く強く強く認識すべきだから。
高校野球が変わる元年になるといいな。ホントに、心底、真剣にそう思う次第です。
筆者のSNS
#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #許容度の高い エリアにすべく活動中。現在は会社員をしているものの...
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