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いつ始めたっていいのに邪魔しないで欲しい
佐々木俊尚さん(@sasakitoshinao)の朝キュレーションから、自身の振り返りや考えを巡らす機会をいただきましたので、書いていきます。
お題は以下の内容で『「それ何の役に立つの?」と言われたら』と題したkobeniさんのブログから。
どんな専門性が将来も持続可能かわからず、いくつもの仕事を並行させる複業の時代になると、現在お金になる仕事とお金にならない趣味や行いの境界はなくなってもいいはず。なんでも仕事だしなんでも遊びですよ。/「それ、何の役に立つの?」と言われたら - kobeniの日記 https://t.co/MSEIZiHVMW
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) May 21, 2019
まずは、紹介されている文章を読んでいただきたいのですが、それを読んだことを前提に話を進めさせていただきますね。ただ、それはあまりにも乱暴が過ぎるような気もするので、記事内容を要約してみます。
kobeniさんがTwitterで40代の女性が最近になってチェロを始めたのだけれど、この歳から始めるのだからプロになれるわけでもないのに「何の役に立つの?」と言われたという旨のツイートを見かけたところから記事は始まります。
そこからkobeniさんご自身が新しく絵を描き始めたこと、そして、それよんって自身に変化が起こったことや満足感につながっていること。それを喜んでくれる誰かがいて、それが人生の豊かさにつながっている事を展開し、最終段落では独自の考えながらも、確かに納得のいく内容で落としてくれます。
中でも、「役に立つ教」と説明されている「それは何の役に立つのか」と問いかけてくる人たちの説明には、そうなっていたであろう過去の自分を見ているようでツラかった。
…と、こんなことを言っても先の「役に立つ教」の人は鼻で笑うでしょう。「だってそれ、趣味でしょ?お金にならないじゃん」。こういう人にとって「役に立つ」=「プロである」=「利益を生む」だからです。
さて、ここで一つ質問です。あなたは、新しく何かを始める人を鼻で笑う人ですか?
おそらく、このnoteを読んでくれる人たちは、基本的にインターネットやSNSに触れることが前提になっていて、新しいサービスやツールを誰よりも早くとは言わないまでも、流れてくる情報の中で触れる機会を持っている人たちだと思います。
ぼくの勝手な認識ながら、そういう人たちは自然とネット上の誰かを応援してしまうような人たちだと思ってます。だとしたら、必然的に「鼻では笑わない」でしょう。(本当に勝手な認識です。笑)
kobeniさんが述べているように、プロとしてお金を稼ぐことは大変なことで、そこに至るまでの苦労は人それぞれに物語として成立するぐらいな大変さがあるのだというのは理解しておりますし、ぼく自身もそうなることが理想だし、そうなっていきたいと願っていました。
どうしても他人に文句を言っていいと思っている人っているもので、おそらく、その人は甘えているんですよね。その人に対してなら文句を言ってもいいと思ってるんです。
でもね、ちょっとだけ「具合が悪いなぁ」なんて感じる部分がある人もいて、他人に対して「それって役に立つの」系の質問をしてくるような人たちって、割と会社内や社会の中で地位や名誉みたいな承認欲求を満たされている人たちが多いんですね。
なんで地位や名誉を得ることができたのかって言えば、機械的にジャッジすることができるからなのと、そのジャッジした内容を実践できるだけの能力を身につけているから。そして、それを他人にまで求めるのが前提になってるので、バツの悪いことに、新しいものを始めようとする人に対してコストパフォーマンスを重視した考え方を押し付けながら「論理的に説明」することを求めてきます。
そんなもん、好きなことだったり、興味が湧くようなきっかけがあったからで、そこに論理的で機会的な説明なんていらないはずじゃないですか。けど、そういう人たちは余計なお世話なことに「最適解」を導き出そうとするのですが、コスパの話をするのであれば、そもそも生きてること自体はコスパが高くないんだから、コスパコスパ言うなよって思います。
ただね、そう言う人たちは納得のいく考え方を提示されたら納得するので、まだいいんです。それすらにできずに、ただ否定だけする人も中にはいます。知らないことを自負するという意味でソクラテス哲学の基本と言われる「無知の知」を自覚してない人だ、とぼくは思ってます。
どう言うことかと言うと、「無知の知」ってのは、自分が基本的に何も知らない人間であることを前提にして、色々なことをきちんと学ぶ姿勢を持つことが”考える”と言う行為を行うためには不可欠である、と言うことなのですが、ただ否定だけをする人は「知っている世界のみが常識の範囲内」であり、自分が見聞したことのない世界や経験したことのない世界は知らないからこそ、怪しいと思ったり、何が危険なのかもわからないのに危険だと考えるんですね。
こういう人は、何かを始めようとするのにすごく敷居が高く、なおかつ、真新しいことは目に入って来づらい。既に誰かがやっていて、なおかつ、多くの人たちがやっていることでなければいけない。その多くの人たちというのは、自分の認知している人のみで、不特定多数の世界の人々は含まれません。
ぼくからすると、すごく勿体ないような気もしますが、本人がいいのであればいいのでしょう。しかし、です。他人の邪魔だけはしないで欲しいとも思うわけです。
ただ、新しいことを始めたいと考えている場合には、いつだって始めていいんです。誰に何を言われたところで、自分がやりたいと思ったタイミングで始めれば、それがタイミングなのだから、やり始めればいい。
それで今までに見れなかった世界が見れるようになったり、感じ取れるようになったりすることの方が、よほど人生が豊かになりますし、その姿勢を取っている人の方が魅力的です。
別に大層なことを始めるのではなく、今夜の食事を"今まで食べたことのない料理を食べる”のだって、未経験を経験済みにできるのだから、そんなことでもいいんだと思います。それを「なんの役に立つの?」なんて聞いてくる人たちの相手をするよりも、自分の幸福感を高める方向へ足を向けて歩きましょう。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。新しいことを始めるのって、新しい自分に会える気がしてワクワクしますよね。
ぼく:遠藤 涼介/Endo-san (@ryosuke_endo)
#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #前向きな空気の溢れるエリア にすべく活動中。
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