Social Media(ソーシャルメディア)とかSNSでのUGCを信用していいものか
はじめましての方から頻繁に起こしいただく方まで、ようこそ。 どうも、ゑんどう @ryosuke_endo です。
このnoteでは、特に読む必要がないと感じられることかもしれないけれど、ぼくがだれかと対面して話したい”雑談”を文字化するものなので、そんな雑談にお付き合いくださる方は、ぜひ読み進めてください。
こないだ、他人の評価投稿なんて当てになるものなのかねぇ…なんてことを飲食店評価サイトの利用トップがGoogleになったって記事を引用しながら書きました。
むずかしいですよね。「他人の評価」に「共感する」なんてことが。
そもそも他人の感情や情動、主観に「共感」を簡単にできると考えることに危うさみたいな物があるとすら訝しむ次第なのですが、みなさんはどう考えていますか、夏。
ソーシャルメディアとかUGCってなんだっけ
UGCだなんだとソーシャルメディアの界隈では後生大事に扱われている言葉だったりするわけですが、知らないヒトのために説明すると「User Generated Contents」の略でして、ユーザーがソーシャルメディア上で投s生成し投稿するものだと理解してください。
これが重要だと言われる背景は、それこそソーシャルメディアがメディアとして台頭してきたことが理由なわけです。従来の新聞や雑誌、テレビといったマスメディアは宣伝広告の場として機能してきたとはいえ、企業側目線での情報が出されることが中心で、購入・利用する個人が情報を出すことが叶わないメディアでしたが、ソーシャルメディア(特にFacebookやInstagramなどのSNS)が勃興し隆盛を誇りはじめて以後、何が起こったのかといえば個人がメディア化しました。
自分を媒体設定し、そこに情報を記載することによってマスメディアで垂れ流される企業目線のどうもウサンくさくてカッコつけている感をマシマシにされた情報ではなく、在野に滞在する何でもない人たちの率直な意見や主張が目に入るようになったのです。
それまで上から目線のマシマシにされた情報しか出されてこなかった生活者たちは嬉々として「それまでとは異なる情報流通」に目を輝かせることになり、必然的に庶民たちから支持された市民派のスターが誕生します。
これが、いわゆるインフルエンサーと呼ばれる人たちが生まれたのは、マスメディアから垂れ流される上から目線でマシマシにされた信用ならざる情報に対する鬱積を晴らすかのような反骨心があったといっても過言ではないのかもしれません。
ユーザーが書いている情報が”正”なのか
ここで質問です。
インフルエンサーと呼ばれる人たちは信頼に足る人物なのでしょうか。ソーシャルメディアの隆盛によって「ネット芸人」や「ビジネス芸人」など、それまでマスメディアを通じて人気を博してきたお笑い芸人以外にも芸人を生み出すことに成功します。
たとえば、インフルエンサーみたいな人たちが吐き出す投稿は礼賛する人たちによって格言として祀り上げられ、いつの間にか何にも知らない人たちのタイムラインやフィードにも登場するような事態となり、ソーシャルメディア上を汚染していくことになります。
ただ、ネット上でフォロワーが多いから信頼できる情報を出せるのかどうかは別であることは、テレビ番組を視聴していて番組内でトンデモ発言をする人たちがいることと何ら変わりありません。
ぼくのようなネット芸人にもなりきれなくて、ネット上にゴミみたいな文章を書くことしか脳のない哺乳類サル目ヒト科生物は、誰がいうのかも大事なだけでなく、その発信されている情報が正しいのかどうかを精査する必要があります。
前提条件として、どんな情報を基にされているのか。その情報の根源はどこか。それらをまとめてどんな内容として構成しているのか。
面倒だと思うヒトはいるでしょうが、前提をすっ飛ばして話を進めるヒトのことを「勝手なヒト」だとか「思い込みの激しいヒト」だと非難した経験があるヒトは文句いわないでください!
ネット上であっても整然と根拠となる情報を提示しつつ、その出典はどこか。それらの情報をまとめた結果、どんな主張をしているのか、なんてことを整理した上で受理しなければならないはずです。
だって、有名だから信頼に足るわけじゃないですよね。フォロワーが多いから信用できるわけでもないですよね。じゃ、ぼくみたいなヒト科生物が書くことを信用してもらうためにはどうしたらいいのかって話で、安易にネット上に転がっている情報を信用していいのかっていうと「そうじゃないよねー!」って結論になるのだと思いますが、解説席の松木さんはいかがお考えでしょうか。
自分が知りたいことが書いてあるかどうか
ぼくたちが誰でもないネット上のカヲナシさんたちが記載している情報を信用・信頼しようと思う根本的な理由って、「自分の書きたいこと」とか「自分が知りたいこと」を書いてくれているかどうかで判断しているのではないでしょうか。
「そうそう!そういう情報が欲しかった!」とか「その視点がほしかった!」みたいな知識欲や探究心をくすぐられる内容が記載してあったり、「こんな風に書けるといいな」とか「ステキな画像の撮り方だなぁといった羨望や憧れといった尊重・尊敬する心持ちだったり。
そんな自己本位的な「欲」を満たしてくれる情報を企業みたいな上から目線でマシマシな情報を出してくるような存在ではなく、自分と同じような背丈や顔面など肉体構成が似通っているヒト科生物がネット上に投稿している内容に惹かれるのでしょう。
そうなるとですよ。
誰でもない誰かが書いた情報を信用していいのかどうかわからないですよね。だって、その情報を得ようとしている時点でバイアスやフィルタリングされているわけで、サングラスを掛けている状態で暗闇の中を歩くような愚行とさえいえるかもしれません。
じゃ、何なら信用していいのか。どんな内容なら信頼していいのかを考えてしまいますが、結局は信用/信頼できるヒトだと認定できる条件を満たしているヒト、つまりは「大切なヒト」からの「推しもの」とか「推しごと」であるかどうかなのではないでしょうか。
そもそもネット上に口コミすらないサービスや店舗などは2022年時点で信用できるのかといったら怖い部分がありますよね。だからまったく情報がないことは現在はマイナスポイントであることは間違いなさそうです。
口コミが投稿されているからいい事業者なのか、よきサービス提供者なのかという点は「≒」でしょう。ネット上に投稿しているのがヒト科生物であるならまだしも、Botの可能性だってあります。
最終的には自身で体験し、言語化したうえで評価・判断するってことが大事なんでしょう。逆を言うと、それ以外に評価のしようがないといえてしまいます。
他者評価が低いからといって自分の評価が低くなるのかといったら、そうではない料理や食材、サービスにツールなどはたくさんあるでしょう。自分の判断と評価に責任を持つためには、自分で体験し言語化することが必要になるのです。
そんなことを考えた2022年夏でございます。
ではでは。
ゑんどう
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ぼくの主な生息地はTwitterで、日々、意識ひくい系の投稿を繰り返してます。気になる人はぜひ以下から覗いてみてください。何の有益なこともかいてませんが、フォローしてくれると毎日書いているnoteの更新情報をお届けします。