選挙というイベントを子どもに伝える
先日、僕の住まう新潟では新潟県前知事である米山隆一氏が女性問題を理由に辞職したことを受け、原発の推進か否かとか、国政の趨勢を決める選挙だ、などいわれている中で投開票が行われました。
原発再稼働かとか、国政での与野党決戦だとかいわれてましたが、正直、イチ県民として思うのは、そんなことは大した問題ではないんじゃないの?というスタンス。
ちなみに今回の新潟県知事選挙、与党支持者だった花角氏が当選。投票率は58.25%で、前回の県知事選挙よりも5ポイント高かったそうです。具体的な投票率の内訳が知りたいところですが、現時点においては確認が取れません。
随分と他人事のように捉えられる文の書き方をしているのですが、それは被選挙権を持つ人たち、すなわち、今回立候補した人達に対し、ワクワクした気持ちを抱けなかったことが大きな理由です。
「そもそも政治にワクワクとか期待する方がおかしい」みたいな意見が聞こえてきそうですが、じゃー誰に期待すればいいんですか?
基本的に、誰かを引っ張っていく立場につこうとする人ならば、人を興奮させ、導けるだけの素養が必要です。それは学歴でも、経歴でもなく、本質的な人間的魅力とビジョン。
これからの新潟を支えるであろう人達のために働きかけ、その人たちが住みやすい環境を作ってくれるのか、そのためにリスクを背負った行動を取れるのかが最も大きな争点のはず。
そういう意味では、原発のことは若干影響を与えるネタかもしれませんが、そこにだけフォーカスしていたのでは全くもって新潟という地域が何も前に進む気がしません。
利権を享受していた人たちもいることは事実であり、地元もその利権から利益を享受していたのは揺るぎない事実な訳です。
いくら福島第一原発の事故があったからといって、廃炉だとか再稼働だとかを決められる訳ではありませんし、この選挙で"そこだけ"を争点にすることほど愚かなことはありません。
僕たち現役世代が、僕と生活を共にする子どもたちを含めた未来の担い手に対して、どんな環境を整備するのか。いまを生きる大人たちはそれが使命であり命題だと僕は考えています。
そういう意味で考えると、今回の選挙は国政の行く末を決めるだとか、原発の継続・廃止だとか、現在時点での感情が先立つ話題を理由に首長を決めることはすべきではないし、認めるべきではありません。
政治家の方々が、今回のイベントに対して割と必死な行動をとることを斜めに構えて見ざるを得ないし、今回のふって湧いた選挙であることを踏まえてもイチ県民としては政治家の人たちほど重要性を認識できない選挙でした。
そんな今回の選挙、我が家の長男を始めとした子どもたちはまだ何にも認識していません。まだ保育園児ですからね。まだまだ遠い世界の話です。
しかし、現在時点で投票できる年齢が18歳になっている以上、彼らにとっては10数年後に自分たちも参加することになる訳です。その時になって選挙とはみたいな話をするのは遅すぎます。
これは僕の実体験ですが、投票権を僕が得て初めての投票は民主党が政権を取ることになった国政選挙。その前段階から色々と自分なりに調べており、常に投票できる準備を整えていました。
とにかく、投票所で投票するという行為を早く行いたいという願望があったのは確かで、15歳や18歳当時の自分に投票権がないことに疑問を抱いていました。
つまり一人の国民・県民・市民として生活する上で、その住む地域の制度に対して自分なりに疑問や考えを持っていれば、その制度を作った大人たちに意見をぶつけるべきだし、大人はそれを聞くべきです。
そのタイミングがいつ訪れるのかはわかりません。
小学生に上がり、社会科の勉強を習い始めたところでしょうか。
けど、それを教える教員の指導レベルにも寄るかもしれません。
そもそも学校教員の授業レベルはそこまで没頭感を持つことのできる授業を展開できるのでしょうか。
そもそも、何か物事を学ぼうとする際に、その文脈を捉えることはすごく重要です。しかし、以前にも記事にしましたが、文脈が読めない人というのはいます。
ただ闇雲に単語や言葉尻にだけ反応し、なんの生産性もない悪口を言ってしまう人が一定数いるのを僕たちは知っています。
自らと生活を共にする子どもたちにはそうなってほしくないと願うのであれば、そもそも自分が文脈を読める、つまり、自らの意見を背景から述べることができる必要があります。
それでいうと、今回の県知事選挙はなんの文脈も感じませんでしたし、必然性という意味では、"ただポジションが空いているから"といった意味での必然性しか感じません。
いまの日本が世界に先駆けて行動している魅力的な国かといわれれば、全くそんなことはなくて、「日本素晴らしい!」的な番組を自分で作ってしまうという顛末。
それはこれまでの日本を支えてきた先人たちの取ってきた行動(選挙で政治家を選ぶこと含む)の結果です。
僕の子どもたち世代には雰囲気で流されることなく、文脈を読み取った上で自らの意見を発露し、決めていけるようになって欲しいという願望が僕にはあります。
そのためには、今回のような選挙があるたびに、彼らに対して文脈を持った話をできるようになっているべきだと思いますし、そのためには絵本の読み聞かせをもっと上手にできるようになる必要があるのかもしれません。
文脈というのは物語ですからね。