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SHELLYさん @shellysproject 、かっけぇな...なんて感想から「家族ってチームだよね」話
こんな方に向けて書いてます
子どもと生活をしている人
仕事と家庭の両立に悩み、考えている人
仕事と家庭の優先順位について考え直し始めた人
枕にかえて
どうも、えんどう @ryosuke_endo です。
TVタレントのSHELLYさん、ご存知の方も多いだろう。僕と同世代なのだが、彼女の発信する「生活」に関する内容は時として唸り声を上げながら読みいることが多い。以下の記事もその一つだ。
子どもと生活をすることは人生の中で、とても有意義な時間を提供してくれるのと同時に、仕事と家庭生活の平衡性をどう保つのかについては常に頭を悩ませている。
彼らとの時間は有意義なものであると実感しているが、アラブの石油王ではないため生活のために仕事をしなければならない。
仕事を取り組めば取り組むほどに家庭時間を削らなければならないうえ、仮に出勤退勤時間の前後最低でも30分(往復分)の時間も必要で、到底、安寧な生活を形づくるのに苦労している家庭は我が家だけではないだろう。
働く女性とはいわない。働きながら家庭を持つすべての保護養育責任者と共に優先事項が何なのかを再考するために記載していく。
##こんな話
家族って枠組みはチームだよね
子どもだって人格のある存在だから子ども扱いしない
大事なことを家族で認識共有しておこう
▶︎ 大事なこととは何か
家族が増えたことによって自らの生活を犠牲にしていると認識してしまう人は少なくはないのではないか。以下の記事内で触れられているように、日本の女性は就業の有無に関わらず「子どものいる女性」の幸福度の平均値が低くなっている。
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この結果を笑顔で受け入れられることはないだろうが、少なくとも女性は出産を契機に働き方を含めた生活の仕方について変異させることを強制的に求められる。
男性側は比較的それまでの生活から肉体的にも心理的にも大きく変容することはないだろうが、女性は妊娠・出産の過程を含めて大きな変化を受け入れながら生活をすることとなる。
僕は男性側であるため疑似体験すらできないが、その変遷度合いは大きく深いものだろうと妻さんをみていて思うばかりだが、それによって女性側は積み重ねてきた「働き方」や「やりがい」、「いきがい」といった要素を大きく見直さなければならくなる。
勘違いしてほしくないのは、男性だからといって「見直さなくていい」とは考えていない。しかし、女性と比較して就労環境や生活に望む身体的な負担が少ないことから「実感」が小さいのではないだろうか。
かくいう、僕自身も長男くんが産まれて当初は出産に立ち会ったものの、彼との生活に大した実感を得られていたわけでもなく、しばらくするまで「子どもとの生活」を実感し、働き方について深く思考する機会を設けられもしなかった。
そのような男女間での認識や意識の違いから「大事なこと」に差異が生じるのは仕方がないのかもしれないが、その認識や意識を埋めることや理解を求めることを男女共に諦める必要もないし、諦めるべきでもない。
ただ、そもそも「大事なこと」を認識しないことは大きな問題だといえるだろう。
▷ 自分自身で判断し家族に伝える
夫婦で暮らし始めると(別に婚姻前だろうが、事実婚だろうが、そもそも婚姻関係を結ぼうが結ばまいが関係なく)認識や意見の相違が生じる。それをおもしろく感じられることもあるだろうが苦痛に感じる人もいるだろう。
何度も衝突を繰り返しつつ、双方の落としどころや諦めどころを見出しては互いの逆鱗に触れないように共同生活に対する姿勢や体勢を整えようとするものだ。
ある程度の安定した状態のところに子どもという新たな人格が加わってくると、その関係や在り方を見直す必要が出てくる。二人であれば問題ないと感じていたようなことも三人での生活、しかも産まれて間もない意思疎通がむつかしい存在との生活がはじまれば捉え方が変わってくる。
その価値観の相違が「わかってくれない」「理解してくれない」といった精神的な不満につながり、「協力してくれない」「助けてくれない」といった物理的な関係性の距離を生み出すに至る。
たとえば、二人で暮らしている時であれば20時や21時などまで仕事をすることは「大変だね」ぐらいで終われていたとしても、三人での暮らしがはじまった瞬間からは「どうしてそこまで仕事をする必要があるのか(早く帰ってきてほしい)」と本音と言葉が乖離するようになってしまう。
この時点で双方共に「相手を苦しめよう」と思っているわけもなく、「がんばろう」と思いがんばって働いているだけな側と「三人で過ごす時間が欲しい(一日中、子どもの相手をしていたから意思疎通できる"大人”が欲しい)」と考えている側がいるだけだ。
ここで「大事なこと」を明確にする必要があるのだが、双方が独断と偏見で決めるのではなく、双方の意見を踏まえた上で家族という枠組みの中でどこからの範疇でどこまで許容されるのかといった規定線を設けるための合議が必要。
ただ、合議を形成するためにも互いの価値観を明確に自覚したうえでどうしたいのかを判断した意見を持ち寄るべきだ。間違っても不満の吐口とならないようにすべきなのは言うまでもない。
▷ 子どもだからといって”子ども扱い”しない
我が家の場合は長男くんが加わってからも二名の家族員の追加があり、いまは五名での生活となっている。子どもたちは各々の性格があり、それぞれに魅力がありつつも、どうにか改善して欲しいと思える箇所がある、それこそ人間らしい子どもたちだ。
長男くんは原因が本人もわからない状態で不登校状態となり、いまは僕の隣に座りながら勉強をしたり僕の利用していたMacを譲り受けマイクラを楽しむこともあれば、ポケモンを捕まえる冒険に出ていることもある。
彼の発言や行動には彼の意思や意見、攻殻機動隊的にいえばGhostがある。
いくら肉体的や精神的に幼い面があるからといって、子ども扱いをしてはならない。具体的にいえば、不登校となった際に「学校に行けない」とする彼の意見を踏まえてどうするのかを決める話し合いをするなどだ。
大抵の場合、というかそもそも「学校には行って欲しい」と考えるのは勉強だとか交友関係だとかと建前はいくらでも繕えるが、根本的には「親が仕事に行くから」が大きな理由の一つになってしまっているケースも少なくないだろう。我が家も多分に漏れずそれだった。
しかし、それはあくまでも保護養育者側の都合であり、彼にとっては何の理由にもならない。率直にいって「関係ない」。それこそ親の都合を押し付けることは「彼の意見」を封殺することになり、彼は「共に暮らす親が話を聞いてくれない」といった原体験を得ることになりかねない。
では、大人である妻さんが「職場に行けない」と述べた時にどうするのか。
間違いなく話を聞くし、彼女の意見を尊重する。そこから「どうしていこうか」と建設的に話を進めていくことは間違いがない。つまり、子どもに向けた態度と大人に向けた態度に差異が生じることになる。
それは子どもを子ども扱いするというよりも、人格を持つ存在として受け入れていないことにもなるのではないか。我が家にとって甘やかすことは物理的な欲求を容易に満たそうとする財布面での緩みを指す。
心理的な欲求を満たすことは大人であっても子どもであっても関係ない。求められた側が適切に対応するかどうかが信頼関係の構築に必要だ。そこに差異があっては行けないのではないか。
▷ 家族は全員がパートナー
家族は全員がパートナーだ。
年齢が低かろうが高かろうが、肉体的に発達していようがいまいが関係ない。共に暮らし、支えある意味ではそれらはまったく関係がない。
僕はいまだに幼い精神年齢であると妻さんからは毎日叱責を受けており、これはある意味で精神的な家庭内虐待なのではないかと思わないではないが、それを明示すると後日になって「貴様...」と後方から身の危険を感じることが生じるため記載できない...。あ。
子どもたちだって、経験が少ないかもしれないが必死に生きていることは変わりがないし、共に暮らす時間の長い存在が笑顔でいて欲しいと願いつつ、接してくれているのだ。
だからこそ、僕は彼らに自分がどうなりたいのか。どうありたいのか。どう接することで満足できるのかを話すし、その内容が妻さんと彼らとの間で差異があることはない。伝え方を変えることはあるが、本質的な部分では何ら変わりない。
それを応援してくれる言葉をかけてくれることもあれば、曖昧な点を指摘してくれることもある。子どもだからといって馬鹿にしては行けない。彼らは彼らなりに受け取った言葉や態度をしっかり受け取った上で自分なりに助言してくれる。
彼らが大事だと思うことを僕も大事に感じる部分を探すのと一緒で、彼らも僕が大事だと述べたものやことを大事にしようとしてくれるのだ。
そんな態度に大人だとか子どもだとかって区分けはまったく不要だろう。
彼らも妻さんも大事な家族というチームを構成するメンバーであるのだから、共に勇気づけ、背中を押し、何かを達成した際には共に喜ぶ仲間なのだ。
これからも大事な相談は長男くんからするようにしている。彼は基本的に応援することを心がけてくれているからだ。彼に話すと勇気づけられる。
こないだ相談したのは「どうしたら妻さんの機嫌がよくなるか」だ。
...。
ではでは。
えんどう
▶︎ おまけ
▷ 紹介したいnote
両立、というか両立ではない。それらは円環状になっているものの、別だてのものではない。煙管の中にある模様で、それを今回の話に照らせば家族って枠組みでどう回していくのかって話でしかない。だから、そもそもそんな質問を投げてくる人は家族に目を向けてみたらどうか。
子どもが家族の一員に加わるのは大きな出来事だ。産まれたからといって自分が何か特別なことができるようになるわけでもないし、急に自分たちの暮らしがリア充化するのかといえば当初はかなり殺伐とする。日本では子どもと暮らす男女への認識が女性偏重なところがあるが、負けずに行きたいところだ。
子どもと暮らすことによって本当にいろいろと考えるようになった。いや、根本的に子どもが嫌いだった僕が、街中で見かけた子どもをみて”にやつく”ようになってしまうほどに子どもが好きになってしまった。だから言葉の選び方も考えるし、表現の仕方も見直す。そういうことなんだろうな。
▷ 本noteに関連する紹介したい書籍
子どもと暮らす以上は遺伝のことを無視できない。優性遺伝もあれば劣性遺伝もあるだろうが、それらも含めて遺伝的特性を踏まえた上で接することが必要となる。そんなことを考えるきっかけとして非常に有益な書籍なのでおすすめである。
▷ 著者のTwitterアカウント
僕の主な生息SNSはTwitterで、日々、意識ひくい系の投稿を繰り返している。気になる人はぜひ以下から覗いてみて欲しい。何ならフォローしてくれると毎日書いているnoteの更新情報をお届けする。
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