報道機関の媒体としての態度について
ヴォレアス北海道ってバレーボールのプロクラブがある。
代表の池田さんは北海道で懸命にクラブ経営をされており、確実に、そして着実に、北海道の地に根付かせながら、バレーボール界にスポーツビジネスとしての事例を構築中で、平易な言い方になってしまうがアツいクラブだと僕は認識している。
そのヴォレアス北海道が08/18に開催するイベントに関連したある報道をきっかけに報道する側の媒体としての態度について考えてみた。
「イベントの中止」ではなく「対戦相手変更」
ヴォレアス北海道は08月18日に韓国のバレーボールクラブである「水原KEPCOビッグストーム」との対戦をイベントのメインとして据えて開催する予定だったものの、相手側からキャンセルにより試合は対戦相手を変えて行うことになった。
これについて、報道する側は現状の決してあたたかい政治状況ではないものを取り上げたが、イベント自体が行われる旨の説明はなく、相手チームが突然にキャンセルしてきたことに主眼を置いて報道されていた。
これを受け、代表の池田さんの元へ各種報道機関から「日韓関係に関する取材」の申し込みが殺到しているのは容易に想像できる。ただ、そこから「イベント自体が中止になるような表現」で報道されたのもある様子。繰り返しになるが、試合は対戦相手を変えて実施される上に、イベント自体の中止はどこからもアナウンスされていない。
果たして、この報道について誰が欲しいと望んだ情報なのかと思ってしまうのは僕だけだろうか。
上で貼っているTV番組の報道でも、韓国チームのキャンセルは報じられているものの、イベントについての言及はなく、イベントを楽しみにしている人間からしたら、「イベントの中止」をチラつかされている気分にもなりかねず、チーム側へ問い合わせるのは必至かと思ってしまう。
媒体としての望ましい態度
では、各種報道機関が取るべき報道姿勢はどんなものか。あくまでも受信する側の小さな個人の意見でしかないものの、確かに感じている雑感として書き連ねていく。
結論から言ってしまえば、もっと受信者側の知りたい情報を届けて欲しいし、それを根幹として情報を発信してもらいたい。この点において、僕はBuzzFeedの記事を読むのには大変信頼感と安心感を抱くことができている。
もともとアメリカのメディアである日本版として立ち上がったBuzzFeed Japanの発信する態度について僕は好意的に感じており、他の報道機関との違いが顕著になってきた感がある。
どういうことかというと、BuzzFeedの出す情報は、受信者側の知りたいと思える情報を丁寧に報じようとしているし、実際に読み進めるにあたり、前提条件を整えながら読ませてくれる記事が多いため、メディアとしての信頼をするに値すると勝手に、本当に個人の感想の範疇でしかないが、少なくとも僕は抱いている。
最近の記事で言えば、京都アニメーションが放火された事件の容疑者とNHKのディレクターが知り合いという情報がTwitterをはじめとしたSNSで拡散され、さも事実であるかのような態度を取り始めていた中で、これまでの経緯を踏まえて前提を整えながら記事を書いており、僕としては正に「そうそう、こういう情報が欲しかったんだ!」と思っていた内容だった。
また、タクシーで意識を失った男性が交番前でAEDを使用されなかったことから亡くなってしまった事件についても、遺族の感情に寄り添いながらも、現場の混乱もある程度想像させつつ、最終的にはAEDの啓蒙に結びつけてくれているため、遺族の感情をことさらに刺激させては罵詈雑言を引き出した上に、ただただ感情をぶつけさせるような記事にしていないことに安心感を抱いて読める。
相互の信頼関係を損ねてしまかねない
「間違った内容ではない」かもしれない情報だとしても、受けて側が情報に対しての不安感を抱いてしまうような報道は、果たして望ましいものなのか。
僕は自分と生活を共にする子どもに対して、間違った内容ではないかもしれないけど、情報に対する飢餓感や焦燥感を生じさせてしまうような出し方をするような態度は取らないし、取りたくはない。
それは相手からの信頼を損ねてしまうのだと考えるからで、一度でもやってしまおうものならば相互の信頼関係は崩れる。もし、その態度を取ってしまい過不足があれば修正をした上で伝え直す。
もちろん、これは個人レベルで行える範疇の話だからだというのは理解できるものの、基本的に情報のやり取りは個人対個人の延長でしかないとも言えるのだから、これ以上のことはないだろう。
実際、誤った情報を流布してしまったと認めた場合には、各種報道機関は訂正や修正の報告をするわけなのだから、それと何が異なるのか。
懸命にやろうとする人を少しでも多くの人に伝えたい、大変な境遇にいる人を知ってもらい支援をしてもらいたい、重要だと思える問題を多くの人と共有したい、危険だと感じる場面を報じることで二次被害や三次被害を防ぐ...
報道の立場に立てば、色々な情報が飛び込んでくる中で取捨選択をしなければならないのはわかっているし、報じられる文字数や時間が限られているのもわかっている。
けど、前提として、受信する側が欲しいと思える情報に対する想像力が欠如したものは、結果として誰も喜ばない情報として離散してしまうだろう。それに報じられた側の尊厳や努力を踏みにじってしまう危険性をはらんでいるのだとも言える中で、その前提に立った上で情報を提供してくれる出して側は信頼され、そうではないところは信頼を損ねていくのではないか、と僕は考える。
その理由は至って簡単で、根幹は人対人のコミュニケーションツールなんだから、ということだ。
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#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #許容度の高い エリアにすべく活動中。現在は会社員をしているものの...
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現在はメディアの変遷やあり方について書かれた株式会社ZOZOの執行役員 コミュニケーションデザイン室長であり、オンラインサロン「田端大学」の塾長田端さんの著書。個人が媒体として成立する時代に、あえて大規模な報道機関として報道する意義は何かを考えられます。
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