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平成だろうが令和だろうが関係なく彼らと遊ぶために生きる
間もなく平成が終わる。巷ではGWが10連休だなんだと盛り上がっており、その様子にぼくも興奮を覚えるのだけれど、ぼくはこの"かつてないほどに盛り上がりを感じるGW"もシフト制の5勤2休だ。つまり平常運転。
そういえば、この世に生まれて以降、家族でGWを目一杯に堪能した機会や記憶がない。子どもの頃は、実家がそば屋を営んでおり、稼ぎ時でもあったため、休めなどしなかった。もちろん、ぼくは学校が休みなため自宅でボーッとしていたし、下手したら田んぼを手伝えと言われかねなかったので、無理やりにでも友人との予定を組み込んでいたのを思い出す。
成人してからもスポーツ業界で働いていた際には、休日には遠征やら試合やらイベントが重なってくるわけで、この期間中に休む感覚すらもなかったし、「世間では......」みたいな皮肉めいた恨み節をつぶやいていた。
スポーツの世界から離れてからは接する機会が生まれそうだなぁ、と思ったのだけれど、それ以上に週休2日が毎週確実に取れること。しかも、子どもたちと生活のリズムが整う休み(土日祝)が取れる方がインパクトが大きかった。そして、昨年からはいまの職場で勤務しているが、シフト制であるし、何よりもぼくは昨年、自身の体調不良により、いわゆる付与された有給休暇を全消化してしまったため、いつも通りに勤務して休みを取る他にないのだけれど......。
そんなぼくの現状はさておいて、世間的に10連休になるのであれば、保育園に通う我が家の息子たちも10連休を取得するわけで、その期間、共に遊び呆けられないのが何よりもツラく、しんどい。
平成が最後だろうが、令和が始まろうが関係なく、ぼくは彼らとの時間をどう確保するのか、が至上命題であるため、そう言う意味では自らが体調不良を起こしてしまったことに起因する有給の取得できない状況にヤキモキするのだ。
なぜにぼくが彼らとの時間を、それほどまでに欲するのかといえば、無論、可愛いからだ。無論だ、無論。言うまでもない。何よりもぼくに「こうやって遊ぼう」だったり、「こういうのしてみよう」と"ぼくに提案"してくれて、共に楽しもうとしてくれる彼らがいるからだ。
そして、それが長くても18年、いや15年と期間限定でしか味わえない極上の時間だと理解しているのが何よりも大きい。
最近、Twitterの中では働き方改革に伴う若い世代への働き方について、一種のうつ状態である5月病を危惧した諸先輩がたが色々な意見を出してくれていて、それを見るにつけてものすごく考えてしまうのが、我が家の息子たちにも同じような状況を味あわせなければならない時代であるのかどうか、なんてことだ。
どういうことかといえば、「量が質に転化される」なんて言い方を、スポーツでも勉強でも仕事でも十分にされてきた。だけど、時代が進むにつれて、科学も進歩しているわけだ。
スポーツの世界にはもちろんのこと、スポーツ科学があり、そこでいかに人の運動における公立性を高めるのか、普段のトレーニングを効率的に行える方法や進め方などを真剣に、深く深く考えてきている。
その結果、スポーツ障害を減らす努力が必要であったり、仕組みを整備したり、大人たちはいかにして未来を担う子どもたちが有意義にスポーツに取り組む環境を作れるのかに躍起になっている。もっといえば、非効率的な量だけをやらせる指導や根性論だけを振りかざす指導がへる、もしくは減らせる方向へと邁進していこうとしているのだ。
それは仕事にしても、勉強にしても同じことだろう。量をこなすのはいうまでもないけれど、それを「自分たちの経験から」みたいに語るのは、あまりにも愚かなことで、それは確かに"あなた”はそれでうまくいったかもしれないけど、それが大半の人に当てはまるとはいえませんよね、と。裏付けもないままに話をされる若い人たちが、未だにいるのだとしたら、大人たちはこれまで何をしてきたのか、となるわけで。
それを、自分と生活を共にする子どもたちが言われたのだとしたら、ぼくが生きてきた何年で、他の国は知りませんが、日本が何にも進歩していないことを明示する機会になってしまうのではないか、と。そりゃ、拡張知能(AI)や機械に仕事奪われるよな、なんて思ってしまう。
そうなると、じゃー自分にできることってなんだ、って考えなければならないわけで。
少しでも裏付けがあること、科学的な根拠があること、明示できること。それらを子どもたちと接する中で、きちんと態度として身につけているべきであり、そうやって接することは、結果的に子どもたちの自衛につながるのではないか、と。
もちろん、それだけでは足りないのかもしれませんし、無駄な抵抗なのかもしれない。だけど、ちょっとでも可能性があるのだとしたらかけて動いてみるしかない。
そして、彼らとの時間が確保できたのであれば、真剣に、夢中になって彼らと遊ぶ。平成だろうが令和だろうが関係ない。いつだって始まりだ。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。いい加減な態度は見透かされますし、飽きられますからね。子どもってすごいもんです。
ぼく:遠藤 涼介/Endo-san (@ryosuke_endo)
#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #前向きな空気の溢れるエリア にすべく活動中。
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