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母校の #帝京長岡 が全国高校サッカーで新潟県勢初のベスト4へ残ったことから感じる”継続の困難さ”

前々から記載してますが、母校は帝京長岡で、ぼくはサッカー部OBです。

新潟県の中でスポーツを中心とした生活を送っていた時には、その威光というか、卒業校が上げる実績に周囲が「すごい」と評価をしていただき、その時点で結果を残しているわけでもなんでもないぼくが持ち上げられるような気分になってたりしました。

過去に、はてなブログでその取り組みが中学と高校の合わせた6ヶ年計画どころか、下手したら未就学児から高校生までの15年ほど時間をかけて醸成されてきているものなんだよ、って内容を書いてます。

昨年と今年のメンバーにはそういった面々が出場していましたし、その認知後も確実に上がっているでしょう。

ぼくはもう今回活躍している後輩たちはもちろん、そんな対外的にOBってだけで"いい思い"をさせてくれている関係者の方々に頭も上がりません。

ましてや、OB会の役員として何かをやっているわけでもありませんので、後輩たちに大きな態度で接するわけにもいきません。

そんな素晴らしい後輩たちががんばりにがんばりを重ねたところ、高校サッカーの総決算である全国高校サッカー選手権の本大会で、新潟県勢初のベスト4まで勝ち進みました

ベスト4に残ったことの価値

ただ、”ベスト”と表現をするのは「16」とか「8」とかも出てきますが、トーナメント戦の勝負を取り組む上で、残りチームが4つなのと、8つなのと、16もあるのとでは全く価値が異なるのです。

どこの何がどんなふうに違うのかと言えば「人の記憶に残るかどうか」。この大会方式のようなトーナメント戦における最も大きな価値の一つでしょう。

そういう意味で言えば、関係者の間で最も印象や記憶に残るのは決勝まで勝ち進んだ上で勝ったチームであるのは間違いありません。そして、決勝戦で残念ながら敗退してしまった準優勝チームが次点で人の記憶に残る”かもしれません”。

一般的なスポーツとかとあまり縁がない人たちの目線で考えれば、正直、ベスト4でも「ギリギリ印象に残るか残らないか」です。

たとえ当人たちが「ベスト8やベスト16まで残った」と言っても、覚えているのは関係者ぐらいなもので、関係者だったとしても、数年前の周りのベスト16まで残ったチームを全て言える人なんて、余程の人以外は、誰も覚えていないし思い出せないはずです。

サッカーって世界に限定した話をすれば、それでおしまいなのですが、「学校(法人)」として捉えた際にどうかと言えば、全く異なる見方ができます。

法人と地域からしたら大きな広告宣伝の機会

新聞をはじめ、あらゆる媒体で掲載される機会が多くなり「学校名」を出してもらえる機会が増えます。同時に、TVを通じて学校名をテロップでも音声でも流してもらえる機会が他にあるのかと言えばなかなかないでしょう。

明らかに広告宣伝となっているわけです。しかも、そこにかかっている広告宣伝費は0円。

運営する学校(法人)としては、特に費用をかけずとも、多くの周知・認知を得る機会を勝ち得たことになりますし、そこからさらに学校の募集にも好影響を与える要因が揃ったとも言えます。

なぜかと言えば、TV画面に応援席を映される度によく女子学生が画面に登場しますが、サッカー部員ではなく一般の学生でも大会に参加するできる可能性があるのだと知らしめる機会にもなっているからです。

純粋に学校を楽しむ要素の一つとして、活発な部活動への応援や観戦なども可能だとエンターテイメントの側面をアピールする機会にもなっているわけですから、一石二鳥どころの話ではありません。

(なお、ここではサッカー部員に対しての特待生としての受け入れにおけるコストを考慮していません。また、特待生は各学校ごとに設けられている学力基準に照らし合わせて行われるものが基本であり、何かしらの技能的に優秀だとしても受けられるわけではありません。この話は、あくまでも今回の大会に限った広告費として考慮しています。)

学校名には「長岡」という地名も入っていることから、新潟県長岡市についても同様のことが言えるわけで、ベスト16で敗退してしまった場合と、今回のようにベスト4まで勝ち残った際の社会的な反響度合いは、雲泥の差があります。

事実として、新潟県では地元新聞社である新潟日報が号外を発行したほどで、先に触れてきたように、報道機関からの情報提供してもらえる機会は、大変貴重な上に信頼性の高いものとして認知に大きく貢献します。

継続的に結果を残し続ける困難さ

「栄枯盛衰」……人・家・国家などの勢いにも盛んな時もあれば衰える時もあること。

物事は良いとばかりではなく、悪いこともあるのだと示す四字熟語ですが、帝京長岡高校のサッカー部にだって良い時もあれば、窮地に立たされるような時だってあったわけです。

ぼくが高校1年生の頃に初めて全国大会に出場したのだけど、それは新潟県で「新潟地区」以外から”初めて”の出場だったのもあり、大きく評価されていたのを今でも覚えています。

そこから順調に結果を残し続けられたのかと言えば、決して順調だったわけでもなく、県大会で負けてしまう時もあれば、全国大会に進んだからといっても1回で負けてしまう時が重なったり、と関係者的には悔しい思いをたくさんしてきているわけです。

それは帝京長岡に限らず、他のチームやクラブでも同様でしょう。継続的に結果を残し続けるのは、難しいものです。他にチームもなく、存在が自分たちだけなのであれば、問題にすらならないのでしょうが、そうはいきません。

環境も、状況も、常に変化をし続ける中で、どうやったら継続的に結果を残していけるのか。誰もが考えるんでしょうし、ぶつかっては打ちのめされてきた「壁」なんだと思います。

乗り越えるのも大変だし、登るのだって大変です。くだってる時なんて、生きた心地がしないのかもしれません。

それでも「継続してきた」からこそ、帝京長岡は今回のような結果に結びついているわけで、同じ内容で取り組んだとして、それが結果に結びつくのかと言えば、そう簡単ではないでしょう。

その人なりの、その組織なりの、継続する意義を見出した上で、愚直に取り組み続ける。維持・継続するために変化し続けるのは、ものすごく労力と時間がかかる話なんだけども、大切なんだなと実感する機会になったのです。

次の対戦相手は、青森山田高校で、今大会の優勝候補筆頭と言われていますが、がんばって欲しいですね。期待してます。

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