三人の小さい人格と過ごす中でのコツみたいなもの
ない。ありません。
こればかりはどうしようもないですね。
そもそも別人格だから、何を考えているのか、自分が過去に嫌だったと感じる言葉だったり、態度だったり、取らないようにするのではなく、大人側はそんな自分を見て、彼らがどんな態度や行動に出るのかを把握し、丁寧に対処したほうがいい様な気はしてます。
彼らだって必死に生きていて、なかなか口に出して言えないこともあるだろうし、怒ることでしか表現できなかったりもするだろうし、時には手や足を出してしまうこともあるんだろうことは、共に生活をしていれば良くわかります。
良くわかりますが、完全に同調できるわけでもないし、思考が接続しているわけでもないし、なんていうか、いわゆる"ココロ"を同じにできるわけではありませんから、「これをやっておけば大丈夫」とか「これなら安心」みたいな触れ回り方はイマイチな印象がありますし、信用に足りません。
統計的な事実として、「月齢何ヶ月ではこの動きが......」「言語の発達は......」「目が見える様になるのは......」「幼児期の行動特徴として......」みたいな情報は知っておいたほうがいいのはいうまでもありませんが、それに全て当てはまるとは言えないわけです。
「大半の成長を統計的に見ると、こんな傾向がありますよ。」と言われるのが、大体の成長度合いを把握するための成長曲線なんてやつですね。
ただ、そこから外れてるからってダメなわけではないし、そら、命の危険性があるのであれば、どうにかして対処しなければならないし、守るための手はずを整えていかなければならないとは思います。
だからと言って、やらなければならないことはありません。やっておいたほうがいいことはあるとは思います。それでも、親のエゴになってしまって、結局は子どもを縛ることにつながってしまう危険性は常に孕(はら)んでしまうわけですが、それは当人とよく話をしながら納得の上で進めていくのであれば、問題はない様にも感じます。
いろんな体験を用意はしてあげたいと思っていますし、いろんな思考体験をしてもらいたいとも思っています。それを叶えるために、時間的にも金銭的にも工夫を凝らさなければなりませんし、実際、どうやって捻出するのかを常日頃考えてばかりいます。
すべてが叶えられるわけではありませんが、彼らが満足そうな顔を見せてくれ、「楽しかった」「嬉しかった」などといった表現をせずとも、こちらが認識できる様な態度を取ってくれるのを目の当たりにすると、泣きたくなるぐらいにうれしくなるのです。
コツみたいなものがあるのだとしたら、それは「真剣に向き合うこと」だったり、「真剣に向き合うための時間を確保すること」なのだとぼくは考えてて、それをするからこそ、彼らの行動特性や性格などを踏まえた上で投げかける言葉を変えたり、態度を変えたりできます。
けど、彼らに対して一律的な「子どもだから」とか「まだ小さいから」と、言葉が悪くなりますが、彼らを舐めた態度をとっていると、彼らが学べるものがなくなります。自分に置き換えてみれば、何も真新しいことをいってないことに気づけるかと思いますが、自分が舐められた態度を取られていて、その態度をとる相手に真剣に向き合おうとできるか。何かを学べる対象として見ることができるのか。
彼らは体が小さいし、精神的にも未熟な面があるかもしれませんが、バカにしていい対象ではありませんし、何でもかんでも守ってやらなければならないわけでもありません。
安全対策は必要です。命の危険にさらされることはあってはいけないし、避けるべきことだとも思います。けど、だからと言って、可能性の時間を潰す理由にはなりません。
ギリギリのところだからこそ、糧になる瞬間がありますし、場所があります。
それを安全を確保しながらも、どう経験をしてもらうのか、どうしたらその環境を用意できるのか。
それを考え続けることが、唯一のコツかもしれません。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。彼らの「真剣」を引き出すためには、こちらが真剣にならないとダメなんだなって痛感する日々です。
ぼく:遠藤 涼介/Endo-san (@ryosuke_endo)
#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #前向きな空気の溢れるエリア にすべく活動中。