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20代,30代向けのミートアップやオフ会の対象から自分が外れていく
はじめに
もうすっかり夜露が身に染みるような年齢になってきた感がある。
フリーランスとして案件応募や商談や商談前の打合せの時に年齢を聞かれることがあるのだが、その際に自分の年齢が出てきづらくなった。そうやって年齢を自覚できなくなってきている時点で中年・高齢化する精神を体現しているような気がする。
中年・高齢化する精神なんて言葉を使ってしまった以上、それが何なのか、言葉の定義を説明する必要があるだろうが、そのつもりがないっていう面倒くさがるような態度も合わせて自分に対して「どうしようもないな」と思わざるを得ない。
そんなぼくだからなのか、各種ソーシャルメディアを眺めていると20代を中心に若手人材を対象にしたミートアップやオフ会の開催を告知する投稿が目に入ってきて、ついつい寂しくなっている。
いや、本当に寂しくなっているのだろうか。
目にする度に対象から自分が外れていることを自覚するものの、ぼくは本当に寂しさを抱いているのか考えてみる必要がある。そんなクッソどうでもいいことを話題にしたnoteを書いてみようと思う。
はじめましての方から頻繁に起こしいただく方まで、ようこそ。
どうも、ゑんどう @ryosuke_endo です。
そもそも会合自体に「参加したい」と思っていない
根本的に他者と接点を持つことが苦手で、基本的に誰かと話す際には挙動不審な言動を繰り返しているコミュ障である。誰かと話すことが大好きなのであれば、ミートアップやオフ会に喜んで参加し続けるだろうが、根本的にそれらに参加したいと思っていない。
そう、ぼくは自分が対象から外れていることを自覚するたびに寂しさを感じていたのではないことが、ここで判明した。何とも驚きの事実である。
では何なのか。
会合に参加することで得られることは「人脈」だと考えている人がいるだろうが、その回答になる思考自体を疑った方がいい。
各種の会合に参加し、そこで得たつながりが何につながるのか。どんなことにつながっていき、何かしらの事態にまで発展するのか。ただ名刺交換をすることだけにとどまってしまっているケースも無きにしも非ずなのではないか。
単純に名刺交換をすることだけで終わっているのだとしたら、各種ソーシャルメディアでフォロー/フォローバックの関係であることと何の違いがあるのか。
たとえば、名刺交換を目当てに参加しているのだとしよう。
名刺交換の先に何を目的にしているのかによっては本当に失礼な輩と認定されてしまいかねない。交換した名刺内に記載されているメールアドレス宛に希望してもいないメルマガとか送られてきたらイラっとする。
もっと踏み込んで営業リストに記載され、こちらも希望していない商材やサービスに関する営業活動を受けるようなことになってしまうこともあるのだが、同様にイラッとする。
そういう会合への参加を自身の利己的な利益に執着するような姿勢や態度をとってしまうことは、長期的にみて損失を望んで獲得しに行くようなことになりかねない。
そんな姿勢や態度に触れてきたことは一度や二度ではないことから、ぼくは大して意味のなさそうな会合には参加しないようにしているし、名刺交換から営業リスト化するような人間と一緒になりたくない心持ちから忌避感を抱くに至ったのだ。
だから参加したいとは思っていない。
そう考えると、冒頭から「寂しいのかどうか」を疑問視してきたが、寂しいのではない。そういった会合が開かれていることに悲しさを抱いているのだ。
何かで区切られた会合自体に魅力がない
情報交換等をするために会合へ参加することを否定するつもりはない。
これまで、ぼくも実際に足を運んだ会合等から貴重な関係を構築するに至ったこともあるし、大切な関係を築くことができた出会いもあった。だから、何某かの会合が開かれていることに対して悲しみを抱くことはない。
営業リストの収集合戦、ひいては短期的な自己利益の追求をする人たちばかりが参加する会合や、そういった人たちのメンタリティが残念なのである。
そこに輪をかけて残念な気持ちになる要因として、何かしらで区切ろうとする会合には悲しみと切なさを覚える。
今回、話題として扱っている20代とか30代と年齢で区分することも一つだが、そうやって何かしらの区分を提示することによって寄り合い感を強くしようとすること、それ自体に意義みたいなものを感じることができない。
仕事における人脈形成を目的にするのだとしたら、20代や30代のカイシャインたちで構成されるミートアップやオフ会にどんな意義があるのか。
そこに決裁権のある人材が紛れ込んでいるのであれば営業のリスト収集合戦にも相応の意義があるのかもしれないが、そうでないのだとしたら傷の舐め合い会以上の何者でもない。
「うちの会社、こういうところがあるんですよねぇ…」
「それは大変ですねえ。。うちなんて、〇〇なんですよ」
「うっわ、それもキッツイですね。」
「これからもこうやって情報交換してもらえますか」
こんな意味のわからない情報交換という名の可処分時間潰しが横行しているのだとしたら、それほどまでに時間の無駄なことはないだろう。
結局は雑談の相手がいないコミュ障な無能さんたちの集いってことで片付けられてしまいかねないわけだ。
仮に、ビジネス的な意図があり、そこで生まれた出会いによって社会的に意義のある関係が構築されることを目的にしているのだとしよう。そうだとしたら年齢で区切れるようなものではないだろう。
その会合に新規事業に関する決裁権や決定権のある人材が参加することができるのであれば、まだわかりそうなものだが、年齢で区切ったり何かしらで区切ったりする時点で、それを期待することは難しい。
つまり、あらゆる区分を与えられたミートアップなど、ハッキリ言って意味がないどころか、暇を持て余した余裕のある人材たちの傷を舐め合う機会に成り下がってしまっているのが実情で、そこに大きな価値があるのか。
いや、ないだろう。
おわりに
ここまでお付き合いをいただいた方々は、さぞいい感じに毒気のある人たちなのだろう。
すでにお気づきかもしれないが、ぼくはキラキラした会合やギラギラした人たちに挟まれるような会合が苦手なコミュ障人間である。
そういったキラキラ、ギラギラした人たちと接すると何を喋っていいのかわからなくなるし、その時間を費やそうとした自分に向けて大きな嫌悪感を抱くことになってしまう。
そんな時間の無駄を体感してしまうぐらいなら、そのような場所へ出向くこと自体をなくすことで精神的な安寧を確保することができる。
そう考えている。
結局は、他人と接点を持つことが苦手な人間であることを露呈しただけの記事になってしまったが、これを書いておくことによって、そういった機会に誘われる回数を減少する可能性がある。
いや、元から誘ってもらえないことを失念していた。そう、ぼくは交友関係が乏しい人間であるため、誰からも誘ってもらえない上に、ぼくを誘ったところで益を得られるわけでもない。
そうか。ぼくはそれが悲しいのか。
何とも悲しい結末である。
ではでは。
ゑんどう
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