#社会人1年目の私へ
誰かが言った。失敗なんてものは人生においては存在しないと。
失敗なんてものは理論上存在しない。未来を変えることはできないけど、過去なら変えることはできる、塗り替えることができる。だから、人生において失敗なんてない。
近畿大学の卒業式でキングコング西野がスピーチをした内容だ。彼みたいに実践者として、考案者として、発案者として、何より製作者として、何をできているわけでもないが、それなりに人生を送ってきて、後悔することもあれば、歓喜に沸くこともあったことを踏まえ、社会人1年目を迎えた自分に投げかける言葉を紡いでみたい。
社会人1年目のぼくは、個人事業主としてフリーランスのスポーツトレーナーとしてある私立高校野球の現場と契約を結びつつ、なんとかやりくりをしていこうと走り出したところだった。そんな自分へ。
■大言壮語もいいが事実を積み重ねよう
なんだか大きなことが出来るような気がして、自分が大層な人間になれそうな気がするのは気のせいじゃない。勘違いでもない。間違いなく、その可能性は開かれている。それは君に限った話ではなく、周りにいる社会人1年目の誰かにとってもそうだし、社会人10年目の誰かにとってもそう。社会人30年を越える誰かにとってもそうだ。
家庭を持ち、子どもと生活をともにし、いわゆるオジさんになった今だからこそわかってきた。はじめることが早い方がいいのは言うまでもない。それだけ自分が注ぎ込めるだけの時間を確保できる。注ぎ込むだけ状況を生み出すための時間的な余白も作りやすい。
注ぎ込めたとしても、人を出し抜く必要はないし、する必要があるのかというと、ぼくがこれまで生きてきた中での嗜好においては、すべきではないと思っている。しても自分が根本的に楽しくないからだ。もちろん、君がスキなのであれば、別にそれはそれで構わない。
時間を多分に用意し、その時間を興味本位の赴くまま能動的にのめり込みながら取り組んでいけば、何者かには成れないかもしれないが、少なくとも、自分がやりたいと思える事柄に取り組むことができる。少なくともそれは事実だ。
大きなことや大層なことは聞いているだけで楽しい。楽しいし、ワクワクする。そのワクワクを提供してくれるからこそ、周りはそれを聴くし、そこには価値があるし、応援もしてくれる人もいる。
ただ、事実の積み重ね以外に、そこへ辿り着く術はない。
しかし、積み重ねるにも、つま先立ちでしか行動できないような無理を続けなくていい。それは続くように見えても続かない。続けられない。
だから、出来ることを繰り返すんだ。出来ることを、ひたすらに愚直なまでに出来ることを繰り返していくから、その積重ねは『事実の積重ね』になり、事実の積み重ねこそが君の目指したいと思う大言壮語に辿り着く唯一の近道だ。
■結果を見るよりも過程のために動け
事実を積み重ねようとする中で、すでに結果を出し、誰かしらの承認を得て、その時点での自分と比較すると『活躍してるように見える』存在が出てくる。
その人物が偉いとか偉くないとかすごいとかすごくないとか、正直、それはどうでもよくて、会ってもいないのに否定もできなければ肯定もできないはずなのに、それをしてしまいたくなる気持ちは理解できる。
だけど、それに縛られてしまった途端に結果のためだけに自分を律しようとし、結果的に結果なんて達成できない、君が大嫌いな『何にもできない人間』として生きなければならない。
それは高すぎる目標設定にある。
他のなにを差し置いて、結果しか見てなかったから、高すぎて結果的に責任を放棄するような形で『目標未達』が重なる。すべきなのは結果を出すための過程にこそ、全身全霊をもってぶち当たるべきだ。
結果からの逆算的に思考することを前提に、糸口の見えない中でも解答をしていかなければならない状況も、時として出てくるし、君を苦しめる。論理的な思考、なんてものが苦手なのに強くそれを求められるのが、いわゆるビジネスって世界なんだと気づくのは、いまの君からしたらもう少し先の話になるかもしれない。
だからこそ、逆算から導き出した過程に全力で向き合うんだ。ここでいう全力は“1人でどうにかしろ”って意味ではない。そんなのは君に出来っこない。君はそれほどまでに有能ではないし、それに気づいてるはずだ。出来なくはないが特別にできるわけでもない。
際立った特徴を持たないのであれば、直向(ひたむ)きに、実直に、間違ってるかもしれないが、自分なりに考えた逆説の過程に全力で取り組むんだ。
それが君にとっての事実の積み重ねになる。
■他人の評価を得るために自分を安売るな
タダで物事を安請け合いするな、なんて意味ではない。受けた以上は全身全霊をもって取り組むべきだ。それが自分にとって受けたいと、やりたいんだと少しでも思えた事案なら余計に100パーセント中の100パーセントでもって応えるべきだ。
ここで安売りをするな、と言っているのは、大した気乗りのしない事案に時間と労力を費やして、他人の顔色を伺うような“自分浪費”はすべきでない、だ。
自分浪費をした結果は、ただただ他人には合わせようとするばかりで、自分としての意見や立場を尊重されるような存在になってしまう。それは本望ではないはずだし、誰よりも君自身が悲しい気持ちになってしまう。それほどに寂しくてつらい状況を生むべきではない。
自らが誇りを持って、尊厳を抱き、根本的に楽しいと思えながら取り組める事案なのであれば、そこに金銭の多寡は重要ではないだろう。もちろん、もらえるのであればそれに越したことはない。いただけるのであればキッチリといただくべきだ。それが支払ってくれる相手に対しての礼儀でもある。
繰り返しになるが、そうではないのであれば、自らの精神性を崩してまで他人の顔を立てなければならないようなものであれば、全力で取り組む必要も義理もない。
それは疲弊をうみ、鬱屈したものの見方をする第一歩になりかねない。そんなことを望んでやり続ける人はいないだろうが、気づかぬうちにやるべきこと、やらなければならないことだと諦めながら取り組んでる人が多いのも、悲しいことながら事実だ。
君はそうなってはならない。誰よりもぼくがそうなる君を望んでない。
自分を大切に、大事に、尊重するんだ。
◼︎最後に
長々と書いてきたが、これを言いたかっただけなんだ。
君が、光に向かって一歩でも進もうとしている限り、君の魂が真に敗北することなど、断じてない。(血界戦線より)
色々とごちゃごちゃといっても仕方ない。とにかく、がんばれ。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。根性論ってよりも、自分の精神的な立ち位置は大切にしていたいですよね。いくつになっても。
ぼく:遠藤 涼介/Endo-san (@ryosuke_endo)
#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #前向きな空気の溢れるエリア にすべく活動中。
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