子どもに伝えたい"親"のこと
子どもたちと生活をするようになって以降、普段の生活に対する態度が変わったのを痛感していて、特に時間に対しての考え方が抜本的に変わった実感がある。
10年前までのぼくは、とてつもなく優秀な人材になれるのだと思っていたし、世の中を変えるだけの力を持てるようになるのだと信じていたし、周囲の人間から崇拝されるような人間になれる可能性を秘めているのだとばかり思っていた。
そんな度が過ぎた勘違いを抱いていたし、それを聞く周りの冷笑を逆に冷笑してしまうぐらいにイタい人間だった。そのくせ表面上は『気さくないいやつ』を演じ、周りからの評価が落ちてしまうのを怖がってばかりいたのを思い出す。
この10年で自分ができることとできないことで言えば、できないことを認識することが増え、どうやって乗り越えるのかばかりを考えてきたし、乗り越えられない壁に当たった際には誰を頼ればいいのかを考えるしかなかった。
ピシッと締めるところを締められるビジネスマンに憧れていたけれど、自分はどうやっても成れないし、慣れないのだと気づき、すでにできている人たちとの間に差を感じることしかできない毎日を過ごし、悶々としていた。
『自分ができない』のだと認めることを、まるで流れ作業の一環であるかのごとく繰り返し、現実的にもできない自分とやり切れない自分と環境的なものに苦しみ、メンタルを病んでしまった。
起きることがツラく、起きることに1日の全精力を注いだかのごとく疲弊し、その後は何もできない。何もする気が起きず、部屋に太陽が差し込むことに嫌気がさし、眩しさを感じることに苛立つも、その苛立ちを抱くことすら疲弊することになるので諦める。
そんな自分を、ふと客観的に考えてしまえば生きてる価値が感じられず、今の自分が社会に対してなんの価値も提供できていないし、これまでもできなかったのだからいなくても問題はないし、いることによって何かしらのコストが生じるのであれば、それは迷惑だから......などと真剣に考えるような生活をしていた時期もある
そんな生活の中に、子どもがいてくれたおかげで救いとなり、助けられた。間違いなく彼らの存在は希望そのもので、勇気を与えられる実感をえた過去は一度や二度ではない。それまでも強く子どもとの時間が欲しいと思っていたが、それ以後、さらにその気持ちを強くした。
自分にできることをやりくりする中で、どうすれば彼らとの時間を確保できる生活を送れるのか。そんなことばかりを考えるようになってきた。ぼくは子どもが大好きになっていた。自分と生活を共にする子どもだけでなく、街中で見かける子どものことも大好きになってきたのだ。
それはこのnoteでこれまでも書いてきたし、これからも彼らとの生活を送る中で感じ、考えた過程や結果について書いていくのだと思う。彼らは(言い方が悪いかもしれないが)最高に贅沢な嗜好の時間を与えてくれる存在だ。
アラキナツさんが『子どものいない家族の様々な事情』と題して書かれたそれを読んで、ふと思い出した。我が家の本来的な意味での長男が世の中に出て来れずに去っていった時期について。
今でこそ我が家は3名の子どもたちに恵まれ、その生活が当然のように認識しているものの、もう一名、名もない彼もいた。世にでることができずに去っていった彼は再度、今の長男となって出てきてくれたのかもしれないし、次男かもしれないし三男になってきたのかもしれない。
それは誰にもわからないのだけれど、確かにぼくと妻との間には存在していたし、彼女のお腹の中にはいた事実を、ぼくたちは画像でその存在を確認していた。
誰でも子どもと生活をできるようになるわけではない、と理解できたのは成人してからだった気がする。認識できた直後は、偏見にも似た感情を抱いていたような気もしていて、我ながら情けない次第だ。
ぼくと妻も姿を見ることができずに去っていってしまった彼を忘れられないのと一緒で、まだ姿を確認できない『その子』を、とてもぼくには表現ができないのだけれど、確かな『感情』を持ちつつ追い求める人たちがいる。
『親』には制度的にも仕組み的にもなれるかもしれない。里親であったり、養子縁組によって解決はするが、理解はできても感情として受け入れることは敷居が高いのかもしれない。
ただ、ぼくは子どもたちと生活をする中で、未だに実感していないのが『親としての自覚』だ。
もしかしたら、養子を迎えるのに敷居を感じるのは、親の自覚を持ってからで、それができないのであれば『血の繋がらない子ども』を育てるなんてできないし、共に生活をするべきではないと考えている人も中にはいるかもしれない。
だけど、実際に子どもたちと生活をしている中で感じる確かな実感として、そんなことはどうでもいいことだと気づく。
血が繋がっていようが、繋がっていなかろうが、家族とはいえ他人は他人だ。ぼくは彼らが大切な存在だとは思うが、ぼくだとは思わない。家族だからといって、思いを強制することもなければ思考を捻じ曲げようとも思わない。ぼくはぼくであり、彼らは彼らだ。
ぼくに『父親としての自覚』なんて意味のわからないものはないし、もてているのかどうかも理解できない。何よりも正体が不明なのだ。
だけど、彼らが『役割としての父親』を求めていることはわかるし、それに応えたいとも思う。そのやりとりを重ねることに喜びを感じる。同時に、それが期間限定で終わってしまうのだも理解しているからこそ、寂しさも感じる。
親なんてものは、あくまでも立場でしかない。もし、『自覚』なんてものが、立場によって形成されるのだとしたら、こうやって文章にしている『わからない』というのも自覚の一つのはずだ。
親だからといってなんでもできるわけでもないし、何でもかんでもわかる全知全能の存在ではない。だから自覚を持つだなんて仰々しい態度を取らなくても、共に生活をし、共に考え、悩み、歩く中で、尊重しあえる関係ができるのであれば、それでいいのではないか。
ぼくが子どもたちに対して『親』だからと言って、偉そうになんてできないし、食わせてやってるだとか、育ててやってるなんて態度にもなれない。
なんだか曖昧な感じがするけれど、それでいいのだとも思う。結局、伝えたいことは一言で終わる。『ありがとう』だ。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。色々と思い悩むこともありますが、こうやってテキストに起こして整理をするだけで、解決できることがあるのだと341日目にして理解できました。
ぼく:遠藤 涼介/Endo-san (@ryosuke_endo)
#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #許容度の高い エリアにすべく活動