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“子どものため”はどこまでいっても"親のego”であり子どもに押しつけてはいけない

枕にかえて

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

「子どものため」といえば、何でも許されるような気もする時代になってきているようにも感じる。

この言葉は何だか”もっともらしく”聞こえるし、誰も傷つかないような”きれいごと”のようにも思えるし、さも当然であるかのような風潮であることは過去も今も変わりはないだろう。

だが、実際に子どものためと呼ばれるものを親側が取り組んでいたそれはどこまで行っても親側の「ego」や「自己満足」でしかない。

これを自覚している人とそうではない人たちとの間には、子どもとの関係における認識に雲泥のの差があると言わざるを得ないのではないか。

今回はそんなことをダラダラと書いていく。

▶︎ どこまで行っても保護養育者の取る行動は自己満足

保護養育の責任を負う人を「保護者」や「養育責任者」と呼ぶが、僕はこうやって何事かを記載していく上で「親」とは記載せず、「保護養育者」と記載している。

**「親」とはあくまでも役割と関係性を示すことばでしかない。**しかし、親が追う責任を明示しなければ僕自身が見失ってしまいそうだし、それを自覚する意味で都度「保護養育者」と記載することを決めている。

今回あつかっている「子どものため」ともっともらしく述べることがソーシャルメディア等を通して容易に発言できる時代になったわけだが、そんな発言をする人を「いい親」だと表面的に受け取ることは間違っているのではないか

そもそも人が「他人のためにできること」などない。

たとえ、目の前で家族が自動車に轢かれそうなのを身を挺して救ったとしても、根本的には自己満足のためにとる行動であり、自らを喜ばせるためにとった行動だ。

心理的に「他人のために」と考えることは可能だが、受け取る側に押しつけることはできない。仮に「あなたのため」と述べたところで、それはいい迷惑である。

他人のために自己犠牲を払うことが”いきがい”や”やりがい”となる人はいるだろうし、その人にとっては自分自身を満足させるための行動や行為、発言がそれなのだ。

自己満足できるような事柄を他人に「あなたのため」だと述べたところで「知らんがな」となるのは当然だろう。

たとえば、肉体を鍛えることで自己満足や自尊心を育むことができた人があなたに向かって「あなたのために鍛えました!」とかいってきたら「知らんがな」とならないだろうか。

いくら**「子どものため」だと綺麗で耳障りのいい発言を繰り返したところで、それはどこまで行っても保護養育者側の自己満足なのだ。**

▷ 自分のやりたいことができない言い訳を「子ども」にしない

時として、自分のやりたいことができない”いいわけ”を子どもに向けてしまう人がいる。

「あなたのせいで...」とか「お前がいるから...」と虚構の世界でしかあり得ないだろうと思えることばを平然と述べる養育責任者は実在する。

結局、そういう保護養育者は自分自身の満足を叶えられないのではなく、他人の価値基準の中で幸福を捉えているといわざるを得ない。言い方を変えれば他責思考なのだろう。

キレイなブランド物を購買・保有することや高級車に乗ることなど、他人がやっているキラキラした行動や行為をして、他人から「すごいですね」とか「かっこいい」「かわいい」などと評価されなければ幸福になれないと考えているのだろうが、それは誤りだ。

「お前に幸福を語られたくない」と考えたあなた、正解だ。

僕に他人の幸福をどうこういう権利もなければ、そんなことを言える立場でもないだろう。他人の価値観に自分の幸福を投影することは、どこまで行っても「自己満足」すらできない人生を生きることになる。

自分の”やりたいこと”や”やっていて楽しいこと、うれしいこと”を自分自身が認識をできていないのであれば、そもそも「幸福」自体を他人に委ねている。

そんな人間は「他人のために」発言できることも行動できることもなどないだろう。

保護養育者がすべきことの本質は、自分が何をしている時やどんな時が楽しいのか、嬉しいのかを明確に理解し自覚することであって、”他人の価値観から評価されることを期待して取る行動”を取れなかった際に「子ども」に押しつけてはいけない。

▷ 親の思う理想は子どもの思う理想ではない

親の思う理想と子どもの思う理想はかけ離れていると認識すべきだ。

血のつながりがあろうがなかろうが関係なく、他人の考えをすべて理解できる人間などいない。脳同士が接続されている状態ならいざ知らず、そんな状態を実現するためには人類は今しばらく時間を要する。

仮に、それができたからといって本当によき世界が訪れるのかどうかはわからない。少なくともそれを親子関係において実現したところで関係が良好になるかというと想像したくもない世界だ。

保護養育の責任を負う者たちが「勉強をした方がいい」だとか「受験に合格した方がいい」「〇〇はした方がいい」と親目線から理想を考えたとしても、それが子どもがやりたいと思っていることだったり探求したいと思えることであるかどうかはまったくの別問題だ。

親がいうことを子どもたちが懸命にこなしたとして、何かしらの成果や結果を出した場合はどちらの希望や理想であるのかを丁寧に整理した方がいいだろう。

「親が喜ぶ姿」を得るために子どもが無理をしてでもがんばっている可能性は否定できないし、それが子どもにとっての幸福ではなく親の自己実現のために子どもを利用している側面があることは否定できないからだ。

つまるところ、**親と子供は別人格であり、人生における路線が本質的に同一になることはない。**幼少期や青年に至るまでの間で自ら生きるだけの力がないために親と同一路線を歩まざるを得ないが、そうでなければまったく別々の人生を歩むことになる。

親は小さな頃から大きくなる過程を見ているから勘違いしがちだが、彼らの人生は彼らのものであって、親の自己実現や理想を叶えるための道具として子どもを利用するようなことは本質的にあってはならないはずだ。

▷ 子どもも保護養育者も「自分のため」に生きるべき

子どもに向かって「あなたのため」だとか「お前のため」だと詭弁を述べて自身の発言や行動に正当性を持たせることをせず、子どもを抜きにした自分のやりたいことや叶えたいことを発言し、その過程を共有していくことが子どものためになるのではないか。

僕がいくらこうやって書いたところで、本当にそうであるのかはわからない部分はある。

ただ、大人が子どものためだといいながら子どもを言い訳にするような姿勢は決して貫き通すべきではないことぐらいはわかる。

自分自身が尊敬したり、敬愛したりする対象となる人たちを思い浮かべればわかるだろう。

彼らは「あなたのため」だとか「お前のため」だなどと押しつけがましく物を述べたりせず、自分が果たすべき責務とやりがいを混同しつつ過程を共有してくれていたし、結果が出れば喜び、成果が出なければ悔しがる姿を共有してくれたから尊敬・敬愛の対象となった。

仮に、仮にだ。

**尊敬・敬愛を抱いた相手が見せてくれた過程を「お前のためだ」といわれたところで嬉しい気持ちを抱くだろうか。**そんなわけないだろう。「あなたの人生にそこまで責任を負わされるのは正直重苦しく、何よりも迷惑です。」と丁重にお断りを申し上げる次第ではないか。

子どもに向けて「あなたのため」だとか「お前のため」だということは上記とまったく同じ構図だ。

家族なんだから一緒ではないだろうと言いたい気持ちはわかるが、根本的に別人格で同一思考などできない異なる存在である旨は上記した通りである。

別人格であり、別の人生を歩む異なる存在なのであれば、上記の尊敬・敬愛する人との接し方と何ら変わりはない。それを前提に置かなければ、子どもも保護養育者も何だか筋違いな方向で話を進めてしまいそうだ。

まずは親の役割を担う人が自分自身を喜ばせる手段や方法を知っていること。それが第一ではないだろうか。

ではでは。

えんどう

▶︎ おまけ

▷ 紹介したいnote

「家事・育児をしたい」と主張する夫が不要な妻もいる

夫婦生活も家族生活も子どもとの生活も、何もかもが理想と妥結点の折り合いの上で成立するものだ。家族である以上は独断と偏見による行動は監視対象となるし、行き過ぎた場合には懲罰をくらすことだってある。何だか身に沁みる話だった。

育児や教育のなんたるか

“取り返しつのつく範囲で失敗を子どもに体験させる”僕も強く意識していることだが、失敗を設計することってのは存外に難しい。本人が望む形で試行に入り、本気で失敗する必要があるからだ。だから彼らの果たす成長は彼らのものであって、保護養育者が自慢気に語るものではない。

ヒトの自由・人間の教育

“よい大人”とは何か。これが曖昧な状態はかなり多いだろう。少なくとも、僕は何かを把握していない。何を持ってして成人することになるのか。立派な大人って何だ。そんなことを考えていたらあっという間に40歳になろうとしている。いつまでも童心でいたいと思う今日この頃だ。

▷ 本noteに関連する紹介したい書籍

日本人の9割が知らない遺伝の真実 (SB新書)

以前から度々紹介しているが、遺伝行動学が少しでも認知されることになる状態を願い、紹介を重ねている。遺伝はあくまでも特性であって悲観的に諦める材料ではない。個々の特性を見極める上で必要な項目なのだ。自己啓発に溺れることがあったとしても復帰できるように。

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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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