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文字の認識ってムズカシイ

絶賛、文字の練習に勤(いそ)しみ始めた我が家の長男。

先日、転園に伴い、担任として2年間、見守ってくれた保育士さんに手紙をしたためたのは過去に書きました。(noteタイトル『はじめての手紙』

その手紙自体も、すべてを自分だけで書いたわけではなく、ぼくが彼の云いたいことを聞き取り、下書きしたものを彼が上からなぞったものでした。

やはり、それでは満足ができなかったようで、ひらがなの練習に勤しんでいるところです。

そこで目の当たりにしたのは、「文字認識の難しさ」。

AIがディープラーニングを実装し始めたことで、画像認識の制度が恐ろしいほどにあがった、などと見聞していたのは既に一昨年ぐらい前の話で、実際にはもっと前からなのでしょう。

「へぇ~、そんなにむずかしいんだね~。」なんて呑気に考えてました。

しかし、どうでしょうか。我が息子が「い」を認識するのに、これほどまでの苦労がいるとは思いもしませんでした。

彼の取得している教材のなかで、現在はひらがなの書き順を覚えている最中なのですが、「い」を探してみよう、と「どーこだ?」なんてやっています。

いやいや、さすがに46文字の中から探すのは大変だ。これは制限をかけた上で選択しやすいようにしてみよう、と思い、段々と列を絞っていき、最終的には「あ行」のみになったところで「さぁ、この中にある?」と聞いた彼の反応は、

「ない!」

「...え?いやいや、よくみろよ!」なんて言いませんよ。そしたら次なる手は、「あ行」を「あ~お」まで読み上げながら、共にみていくことにしましょう。

「あ、い、う、え、お。さぁ、この中にある?」

「ない!」

...なに!?オイ、お前の目は節穴か!?いや、節穴だな!なぜなら、君が探そうとしている文字はこの中にある、いや、この中にしかない!むしろ、ここ以外で探すことのほうが困難なのだ!

さぁ、今一度、その目をよくこすり、目が充血するほどまでに凝視せよ!

そんな気分になりそうだったが、この瞬間に気づきました。

あ、ムズカシイのか。

ぼくたちでいえば、日本語以外で、まったく触れたことがないようなアラビア文字なんかを見せられた際に、同じ文字かどうかを判別するのってムズカシイですよね。

彼は話せるようになっているし、その語彙が急激に伸び続けている様子をマジマジとぼくや妻に見せつけてくれていますが、文字としてその言葉たちを認識しているわけではありません。

ここの乖離を埋めることをしていく手助けをすることが必要なのかなぁ、と勝手に思っているところなのですが、ここのバランスというか興味づけというか内発的な同期の促しって容易ではないなぁ、と感じているところです。

そんなことを考えていると、機械学習やら、深層学習やらって言葉が出てきて、拡張知能の素晴らしさを見聞していましたが、それ以上に人間の知能や、根本的な性質って本当に素晴らしい機能がたくさん、しかも同時並行して入ってるんだなって思うと感動すら覚える次第。

ただ、人間が壮大な無駄をしていることは把握する必要があるとも思っていて、人間が「歴史を残す」ようになってから何年かは調べなければわかりませんが、1000年以上は経っているわけです。

それでも、人間は生まれた瞬間に何もできない存在でしか生まれてくることができません。

生まれてきた瞬間に、それまでの身につけてきたものを全てインプットされた状態ができれば、それまで大人たちがしてきた失敗を踏まえた上での行動が可能になり、その数が増えれば増えるほどに精度が高まっていくことも期待できます。

しかし、そうはなっていません。言ってしまえば、その無駄こそが、生物としての人間の魅力なのかもしれませんし、それこそが生きがいなのかもしれませんね。

とにかく、ぼくは彼のひらがな習得をどう支援するのか、支援する方法や言葉がけも含めて試行錯誤することが続きそうです。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。新しい元号が発表されましたが、"ひらがな"じゃダメなんですかね。割と本気で思ってます。漢字は中国にもあるけど、ひらがなは日本だけですから。


書き手:遠藤 涼介/Endo-san (@ryosuke_endo

#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #許容度の高い エリアにすべく活動



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