「考える」は書くほどに簡単な行為ではない
僕はほぼ日が大好きなのですが、どのぐらいに大好きなのかといえば、乗組員募集を見つけた途端に、全くの未経験職種の募集だったにもかかわらず、そして、応募するには推薦状が必要で、そんな人の人生に関わるような役割をお願いしなければならないのにもかかわらず、応募してしまったぐらいに大好き。
(推薦状をお願いしました方、これをお読みかどうかはわかりませんが、改めて、その節は大変お世話に、いや、それだけでなくいつもお世話になりっぱなしで...恐縮です。そして、ありがとうございます。)
特に糸井重里って人がする表現だったり、言葉の選択だったりに、いちいち反応をしてしまっては感動をしている人間で、「どうしてそんな風に言葉を出せてしまうのだろう...」と、ネット上と本を読むことで何とか情報を収集している次第なのですが、一言で言ってしまえば、「ものすごく考えてる」人なのだと理解した、今日までの僕です。
木村拓哉さんのラジオ番組に出演された際の内容を紹介してくれる記事があったので、それを読んでいたら、やっぱりなぁ、と不思議なことに納得のいく内容が目に飛び込んできました。
木村拓哉さんがした「いつも、どういう(言葉の)チョイスをしているんですか?」と、いくつもある言葉の中から"選ばれる言葉"の基準を聞きたいと質問したのに対して、糸井さんは「選んでいるのではなくて...」と続けてこう述べてるんですね。
「言葉を選択しているんじゃなくて、何を感じるかがまず先。その次、感じたことから何かを“思う”わけだよね」
「今度は、“それでいいのかな?”と自分の引き出しのなかにあるさまざまな考えや言葉をぶつけてみて、その次は“考える”になるわけ。それで、向こう側から見たとき“どう見えるかな?”というのが最終的な形で」
これ、主観から感じる思いにつながって、その思いに対し自分の中にある引き出しから色々とぶつけてみた上で、初めて「考える」って出てきました。
率直に、「え、それって考えてなかったの?」って感じません?少なくとも僕は、いや、これを読むまでの僕は、そんな風に「考える」を深掘りした経験がなかったのもあり、「考える」って行為の敷居を上げざるを得なくなりました。
雑かもしれませんが、糸井さんの言葉を出す際のプロセスをまとめてみると、【観察⇒主観思考⇒考察⇒客観視】って具合でしょうか。
どうしてそんな風に「考えられる」のか...なんて平易な感想しか出てこないのですが、同時に思ったのは「考える前の段階」の大切さを幾度となく痛感して来られたんだろうなぁ、とも。
考えるって行為は言葉で書くほどに簡単なものではありません。これは僕の最も苦手な部分だというのはもちろん、憧れとしてしっかりと物事や事象に対しての因数分解をできるようになりたいと考えてもいるからこその感想かもしれません。
こんな風にして「考える」を「考える」と、考えるって行為に至るまでにやらなければならない事柄があるのだなぁ、とは思えるのですが、とっさな場面でできるのかといえば、時間的な制約がなければない程に難易度や敷居が高くなります。
僕はそれでいくつ、そして、何を損してきてたんだろうなぁ…と哀愁を漂わせなければなりません。
それ程に「考える」をしっかり、きっちり、くっきりできるってのは大変すばらしいことなんだと理解している次第なのですが、「考える」ってホントに難しいよなぁ…
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#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #許容度の高い エリアにすべく活動中。現在は会社員をしているものの...
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ほぼ日ってサイトも手帳もご存知の方は少なくはないでしょうが、それがどんな風に経営されているのかって想像もできないでしょ。その一端を垣間見れる本です。ちなみに、僕は読んでうっすら涙が浮かんできたのは内緒。
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