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明日から #令和

 今日(04/30)、今上天皇が退位され、平成が終わり、新しい元号である「令和」へ。あらゆるシステムの中から刻まれ続けてきた30年が一斉に失くなり、「元年」と呼び、刻み直しがはじまる。

 では、新しい元号になったからといって、ぼくたち一人ひとりがそれぞれに積み重ねてきたもの、組織が積み重ねてきたものが0ベースからやり直しになるのかといえば、それは全くありえないよね。

 「これまで」と「これから」は地続きで、呼び方が変わるからといって、天と地がひっくり返るなんて大層な事態になるわけでもない。

 「これまで」と「これから」が同じ線上にあるのかどうかは、各個に喜怒哀楽、それ以上の複雑な感情を基盤にしているから一概にはいえないし、言うべきでもないんだろうね。

 「平成」って元号に思い入れがあるのかといえば、ない。ないよ、そりゃ。短い期間だったし、記憶にあるのかないのか定かではないけど、昭和だって生きた人間だからね、ぼくは。

 元号に対して思い出が詰まってるわけでもないだろうけど、新聞やラジオ、テレビなんかで「平成の記憶」みたいに語られそう。でも、それっておかしくないかな。

 記憶を呼び覚ます一つのキーになるのかもしれないけど、そこに全てが詰まってるってほどじゃない。何かが変わるわけじゃない。

 「令和になったから」
 「元号が変わったから」
 「平成が終わったから」

 そこに何かを置いていけるわけでもないし、新しい何かを持っていけるわけでもない。それは年末年始や年度が変わる際に目標を立てているのと何ら変わりはないわけで。

 自分以外の何かが変わる際に、それに便乗して自分を変えようとするのはオススメしないし、本質的にやろうと思えているのか、辞めたいと思っているのか、それを本人ですら怪しんでるんじゃないかな。だから自分以外の何かが変わる瞬間に便乗して、変えようとしてみる。

 何も変わらない。けど、いつだって変えられる。変わらないのが怖いんじゃない。変えられないと思っているのが怖いんだ。

 明日、2019年5月1日から「平成」から「令和」へと元号が変わる。

 だからと言って、ぼくは何も変わらないし、これを読んでくれているあなたも変わらない。変わりようがない。だけど、いつだって変えられる。

 はじめるのはいつだってできる。そう、いつだってはじまりだ。

 何も変わらないからこそ、変えられる。今日だって、未来へのはじまり。


 今日もお読みいただき、ありがとうございます。令和を迎えるにあたり、何だかニコニコとしてくるのは、今上天皇の人柄なのかもしれませんね。


ぼく:遠藤 涼介/Endo-san (@ryosuke_endo

#スポみら (元 #スポーツの未来に僕たちができること )オーガナイザー。 第一弾、新潟経営大学イベントの資金調達を目的に行ったクラウドファンディングは3サイトで募集し、すべて目標達成(総合達成率140%)#新潟 を #前向きな空気の溢れるエリア にすべく活動中。

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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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