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#時間 はどこからどこへ流れてるんだろう

(この文章の文字数は2133文字です。)

2018年の振り返り、なんて考えてみたものの、ある事につまづきまして、うまくいきません。

振り返るってのがなんだか過去を見るだけな行為なのかもしれない、と思ったら少し嫌だな、と思ってしまったのも要因の一つなのですが...

今回は時間の流れについて考えたことを書いてみます。

・1年の終わりに未来(来年末)から振り返る
・目標設定と事実の帰着は異なるもの
・人の気持ちは、今よりも未来に向くべき

1年の終わりに未来(来年末)から振り返る

時間の流れについて考えるに際して、高城 剛さんが来年の同じ時期の自分から振り返りをしている、というのを思い出しました。

何をいってるのかさっぱりわからない人もいるかもしれませんが、高城 剛さんは未来にいて、その未来の高城さんが今の自分を振り返ってる、と。

今が2018年の年末ですが、高城さんは2019年の年末にいます。その2019年の年末にいる高城さんが2019年を振り返るんです。

これ、一見すると突拍子もないことと感じてしまいますが、僕は非常に合理的に感じていまして、納得もできているんですね。

未来予測なんてしたところでそうなるとは限らないのだからムダだ、という意見もわかるのですが、高城さんがやってるのは未来予測ではなく、未来からの振り返りなんです。

すでに2019年末に確実に起こっている、いや、起こったことから2019年を振り返る、ということを高城さんはやってる、と。

これは会社組織の中でも求められる「目標設定」に近いのかもしれませんが根本的には異なるものだと思ってます。

目標設定と事実の帰着は異なるもの

なぜ根本的に異なるものだとするのかといえば、目標設定は「過去から積み上げた"今"を基準にして立てるもの」で、時間が「過去から未来へ流れること」が前提です。

ここで一つ考えなければならないのは、時間の流れは本当に「過去から未来へ流れているのか」ということ。実は「未来から過去へ流れている」のではないか。

もし、そうなのであれば、過去からの積み重ね、つまり事実が積み重なるのではなく、未来から事実が訪れるということです。

それを簡単に図にしてみるとこんな感じでしょうか。

過去は色がハッキリしています。なぜなら認識しやすいから。"積み上げる"という表現が本当にぴったりときます。

なぜなら「わかる」から。

触れてきたし、知ってきたし、見てきた。

つまり、人間という動物がいわゆる五感というものを駆使し、得てきた「経験」というもので成り立っている概念が「過去」

過去に人類が得てきた経験の積み重ねだというのであれば、未来へ向かって積み重ねることで未来を構築できる、と考えるのは自然なことだといえます。

ですが、時間の進み方が、シャワーのように勝手に降ってくる(意識せずとも訪れるもの)だとしたらどうでしょう。

上の図では逆進的、と書いていますが、それは時間の流れが過去から未来へ向かうものだと規定をしているからで、本来的に流れる時間が積み重ねるものではなくて、訪れるものなのであれば、むしろ逆となるわけです。

僕は、現在から以前を把握することは(ある程度)できますが、未来を確かな実感を持って確信を持つことはできません。図でも、それを表現するために淡い掴みづらいような色にしています。

そうせざるを得なかったともいえるのですが、だからこそ、好きな方向を選ぶことができるともいえる事になります。

人の気持ちは、今よりも未来に向くべき

人の思いが未来をつくる、というのは聞きなれた言葉ですが、僕を惹きつけて離しません。ただ、時間の流れが未来からくる事実の帰着だとしたら、その趣は全く変わってきます。

それは人の思いがどこへ向いているのか、という視点や開始点が異なる事が大きな理由なのかもなぁ、なんて思う次第です。

僕は人の思いが現時点に向いてるときは、"決して良い状態ではないのかもしれない"と感じていて、今へ強い想いを馳せることは、その思いは常に過去へ向かう他にないから。

逆に未来に思いが向いている場合はどうでしょう。

あまりにも背伸びをし過ぎた場合には、自らの範疇を飛び出てしまうことで収拾がつかなくなってしまう危険性が高いのですが、適切に身の丈にあった思いなら地に足をつけて歩けます。

※そのあたりを少しだけ考えた記事を過去に書いてます。お時間があればお読みください!(『目標が高いことはいいことなのか、というお話』

まぁ、とはいえ、自分がそんなことをできているのかといえば、決して容易にはできているとは思えませんし、思いが今に向きまくってしまうことも多々あります。

けど、未来を想像する、もっと簡単にいえば、楽しそうなことを計画するだけでも心が沸き立ちます。

そして何よりも、その準備をしているときは事実が未来から帰着してきている、つまり、未来からその楽しい計画が自分の元へ向かってきていることを実感します。

楽しい気持ちを抱くことは、それだけでも歩く力を沸き立たせてくれますし、何よりもその姿勢を周りと共有していきたいし、共に生活をしてくれる妻や子どもたちに見せたい。

そんな風に思うので、また未来に向けて想いを馳せることにします。

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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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