地震を人工的に起こせると思っている人がいると聞いたのですが、正気ですか。
枕にかえて
どうも、えんどう @ryosuke_endo です。
世の中には本当におもしろい人たちが存在する。03/16(水) の深夜に起こった福島県沖を震源とした地震を「人工地震だ」と嘯くユーザーがいたのだが、それを間に受けてしまっている人たちがいるというのだ。
あまりにも非科学的で愉快な解釈だが、そんな解釈に向けて丁寧に、何よりも真摯に否定する記事をNHKが出していたことを受け、E-テレでお世話になっている立場でありながらも上から目線でNHKを見直したものである。
ハッキリ言ってしまえば、地震が人工的に起こせると思っている思考回路自体が正気の沙汰とは思えないのだが、愉快犯的に広げている人がいることは少なくとも事実だろう。
また、デマ情報やフェイクニュースに騙されてしまう人たちは”騙されている認識すらない”だろうし、「そんな酷い話があるのなら多くの人に知らしめるべきだ」といった正義感から拡散したりコメントしたりしているようにも見受けられる。
その光景たるや滑稽で仕方がないわけだが、拡散しコメントを残しては多くの人たちに届けようと必死に、そして真剣に行動する人たちが抱くのは紛れもなく正義感であると思わざるを得ない。そうでなければ説明がつかないのだ。
以前にも陰謀論に乗っかってワクチン接種する動きを止めようとする人たちについて記載したが、彼らに共通しているのは「正義感」なのである。
地震を人間が引き起こせると考えている人たち、もしくはそれに騙され、デマ情報を拡散してしまった人たちに向け、なぜ不可能なのかといったことを共に考えたい。
▶︎ Mの計算式を知れば、もしくは調べれば終わる話
03/16(水)に発生した福島県沖の地震規模はM7.4だとされている。
M(マグニチュード)と表現されるこの単位。日本に住む人たちであれば聞き慣れているものだろう。2011年に起こった東日本大震災時のエネルギー規模はM9.0で、地球規模で見ても1900年以降で史上4番目の規模であったことがわかっている。
ちなみに最大の地震は1960年のチリ地震でMw9.5とされており、東日本大震災のエネルギーとは4倍も差があることになる。(計算等は後ほど説明する)
マグニチュードは単位が1つ上がるとエネルギーは約32(31.6)倍となり、2つ上がれば1,000倍となる。
この計算は、ドイツの地震学者であるグーテンベルグとアメリカ合衆国の地震学者であるリヒターが見出した、地震の発生頻度と規模の関係性を表す法則である。
数の単位だとか計算を出したところでよくわからないだろうから抽象的に話しつつ、計算を組み込みながら説明しよう。
1995年に阪神・淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震(M7.3)。僕は小学校5年生だったが、オリックス・ブルーウェーブに在籍していたイチローの活躍と共に「ガンバロウ神戸!」の掛け声と共に95年パリーグ制覇、96年日本シリーズ制覇となったことは鮮明に覚えている。
僕自身もイチローの振り子打法を真似したものだ。右打席で。
今回の福島県沖で発生した地震と同等程度の地震だ。東日本大震災のM9.0と比較すると1.7だが、これがどれほどの差なのか。約350倍である。
つまり、阪神淡路大震災が350回起こらないと東日本大震災にはならないのだ。あまりにも大きいだろう。これを小さいと言える人はあまりにもスケールが大きすぎて太陽なのではないかと思えてしまう。
▷ 福島県沖で発生したM7.4を再現するにはリトルボーイが125発分必要
第二次世界大戦時に広島へ投下された原子力爆弾、リトルボーイ。16万人もの広島県民の命を奪った悪魔の兵器はM6.0の地震が放つエネルギーと同じぐらいだといわれている。
「なんだ、マグニチュードが阪神・淡路大震災と1.3ぐらい違うのか。近いね!」
そんなコメントをしたあなたは、ここまで記載してきた内容を一切読んでくれていない人だな。大好きである。
もう計算するのが嫌になったのだが、改めて説明すると1.3の差だと m=1.3のため10の1.95乗で89.125倍となる。もう何がなんだかわからなくなってきた人もいるだろうが、阪神淡路大震災を起こすためにはリトルボーイが89発も必要だということだ。
では、リトルボーイと東日本大震災ではどうか。
M9.0とM6.0の間にはMにして3.0もの開きがある。これがどれほどなのかというと、約32,000倍もの差だ。つまり、東日本大震災はリトルボーイが32,000個ほど用意できなければ起こせないものなのである。
これが実現可能なのか。現在公式に計算されている核兵器の数は2021年1月時点で13,080だそうで、いくらどこぞの国が隠し持っていたとしても残りの2万個も書くし持てるわけではないだろう。(世界の核兵器保有数(2021年1月時点))
つまり、今回の福島県沖で発生した地震についても同様で、一国が自発的・能動的に核兵器を利用して地震を起こすことは無理なのだ。125発分の原子力爆弾を一気に1箇所で爆発させることも不可能だし、何よりもどうやってもバレる。
しかも、それを一度のエネルギーで起こす必要であることを考えると、明らかに無理ゲーなことぐらいは想像できそうなものである。
▷ デマを広げる人は罰せられる
他人の書き込みであっても、嘘の情報をRTしたり引用して投稿すると「虚偽風説の流布」や「偽計を用いる行為」に該当し、偽計業務妨害罪に問われる可能性がある。
自らの愚かさを露呈するだけでなく、そんなデマ情報を広げるといった愚行も晒してしまうだけでなく罪として認定されて民事上の責任を負ってしまうことにもなりかねないのだ。
書き込みを消したところで、責任を最小限にとどめるだけで「投稿を拡散した事実」はインターネット上のゴミクズながら、きちんとログ(記録)として残っているため投稿を消去したところであなたのデマ拡散したという事実は消え去ることはない。
仮にデマを拡散してしまい、仮にそれによって大きな存在を被った人が投稿主と、それを拡散した人物たちをすべて告訴した場合には、はるかぜちゃんの裁判がきちんと被害者側にとって有利な判例となるわけだが、それをもとにした判決を受けることになる。
インターネットが人類の生活に普及したことにより、過去の叡智や現時点で流布すべき知恵がリアルタイムに検索できるだけでなく、活用・拡散できような時代になったことは非常に有意義な時代である。
だからこそ、インターネットを利用する以上は自分で情報を精査することや情報に対する向き合い方として検証したり前提条件や批評的な見方をすることが前提となるだろう。
いわゆるそれは「Internet literacy」と呼ばれるものだが、読み書き算盤といわれるように人が社会的な営みをするうえで必要だといわれる能力はインターネット上でも必要だ。
ただ鵜呑みにするだけとなる場合、結局は第二次大戦時の大本営発表を真に受けていた人たち、もしくはそれを正当に受け止めることが「正しい行動だ」と杓子定規的に捉えて生きることと同義であり、未来の日本人たちからすると非常に愚かな行為だといわざるを得ない。
バカ発見器だと揶揄されるようなこともあるインターネット上の情報行動だが、それに見合うだけの態度を身につけることは自分を守ることにもつながることは覚えておきたい。
▷ インターネットに向き合う上で大切にすべきは「検索の検索」
日々、インターネットに向き合う立場である以上、10年前や15年前には抱けていなかったが「検索して出てくる情報」には「検索し直さなければならない情報」があることを認識することが必要だ。
あなたが検索して出てくる検索結果をそのまま鵜呑みにすることは、結果的にあなたの人生を損なわせる可能性がある。自分の人生に責任を持つために検索情報を鵜呑みにするのではなく、自分で再検証する必然性を自分自身に設けるべきだ。
インターネット上に転がっている情報が「正当性が高い」と何の疑念も持たず、そのまま享受してしまうことはハッキリといって愚行以外の何者でもない。
根拠となる情報の有無はもちろん、それ以外の情報にアクセスして裏どりすることや裏を取った後に信憑性が乏しいのであれば拡散することは避けることがインターネットに向き合う上で必要な態度だといえる。
SNSでの拡散する情報によっては自らの無知蒙昧を曝け出してしまう可能性を存分に秘めているものの、それに気づけているかどうかによって物事に対する見方なども大きく変容してしまう。
SNSはインターネットと別軸に存在するものではなく、インターネットという海の中にある小島みたいなものだ。ネットという海には多くの情報が混在しているからこそ、情報を選りすぐらなければならない。
インターネット上に転がっている情報の一つがSNSなのであって、その逆はあり得ないのだ。
だからこそ、検索の検索や検証の再検証みたいな態度や姿勢を大事にしていきたいと常々思っているものの、虚構新聞が大好きな自分を恨めしく思ったりする今日である。
ではでは。
えんどう
▶︎ おまけ
▷ 紹介したいnote
地震というと、どこか身近に感じながらも「自分には関係ない」と考えてしまっていることの多い事柄ではないだろうか。間違いなく、僕はそうだ。準備をしなければならないことは認識しているし、その必要性も認識しているものの、どこか関係ないと思い込んでしまう。それではだめだ。
こういう制作物をみると、どういう視点で言葉を選ぶのか。配置やフォントなど、考えなければならないことが多々あることに気づく。何気なく飾ってある看板やポスターにだって、そうやって懸命に伝えたいことを真摯に表現しようとする人たちの汗と涙が詰まっているのだ。
地震・津波の発生から「避難指示」を受け、「避難指示解除」で自宅に戻るまで
自分のnoteで申し訳ないのだが、過去に山形県沖で地震が発生した際に「避難指示」が出された。何が何だかわからなかったものの、必死に子どもたちを連れて逃げ回ったことを忠実に記載したものだ。避難勧告と避難指示のどちらが上位に来るのかを把握する機会になったのでよかった。
▷ 本noteに関連する紹介したい書籍
教養としてのテクノロジー―AI、仮想通貨、ブロックチェーン (NHK出版新書 545)
改めて伊藤穰一さんがデジタル庁の長官になれなかったことは本当に悔やまれる。当人が何をしたわけでもない状態で要職に就くことすらできないってのはどう考えてもおかしいものの、情報をどう扱うのかって点で非常に参考になる事例だろう。書籍自体も示唆的でタメになるものである。
▷ 著者のTwitterアカウント
僕の主な生息SNSはTwitterで、日々、意識ひくい系の投稿を繰り返している。気になる人はぜひ以下から覗いてみて欲しい。何ならフォローしてくれると毎日書いているnoteの更新情報をお届けする。