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初デートでサイゼリヤはありなし論争に決着を!

ぼくは初デートだろうがなんだろうが、サイゼリヤをこよなく愛していて、我が家の妻と共に出かける際には、確実に候補に挙がるほどの存在感を保持している。いや、保持するように意識している。

1,000円以内でフルコースが楽しめるだなんて、どこをどう探したら出会えるのだ。

それなりの金額で、雰囲気が確かに蔓延する、味がしっかりした、料理名がひたすらにカタカナで、「店員さん、実は言いづらいですよね!?そうですよね!?な、なぜそんなにスラスラと言えるんですか...」みたいな気持ちになるレストランに行かなければ楽しめないものだ。

そんなところにだね、フラッと行けるわけがない。いってもいいよ?いってもいいけど、地方在住にして、標準セットアップで社会の歯車やってるぼくの懐事情は冬の日本海ばりに厳しいのだ。

外食に行ったとしても、子どもたちと共に行ける場所だとするならば、優先されるべきは彼らが食べられるお店だ。そして、多少のうるささも気にならない店、つまりはファミリーレストランか...。

いずれにしても、ぼくは1,000円出せばコースを楽しめて、ワインのデキャンタでも頼もうものならベロンベロンになれるサイゼリヤが大好きなのだ!

ところが、ぼくが大好きなサイゼリヤに誘われると嫌だという女性がいるようだとわかった。

正確に言えば、上の女性は初デートの食事でサイゼリヤを選択し、連れて行かれたことよりも相手の男性の端々に見え隠れする「気づかいのなさ」にしびれを切らしているのだろうが、ここから「初デートでサイゼリヤはありかなしか論」が始まった。

ところが、この論争に決着をつけてくれた記事が、ぼくの目に飛び込んできたのと同時に、非常に晴れやかな、そう、まるで小学生の時にグラウンドで目一杯遊んだ後に飲んだ水道水のような味がするぐらいに爽快なテキストに出会えた。

当記事の執筆者である雨宮さんが文中で以下のように述べているのだけれど、これを読んだ瞬間に「はい、終了〜!」と高らかにホイッスルが鳴った。確かに鳴った。ぼくの耳には届いた。

デートは相手ありきなので、相手抜きで「デートでこれはありかなしか」を議論するのは、あまり意味がありませんよね。

そう、結局はありかなしかを論ずる前に、相手がどんな趣味や嗜好を持っているのか、相手を思い、考え、どうもてなすのかを当人同士がきちんと考えて行動できているのであれば、別に何の問題もないのではないか。

そう、結局、勝負自体はサイゼリヤに行く前に決まっているのかもしれない。

かしこ。

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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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