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二つのイベントへ登壇してみた雑感

11/22に大阪でSPORTECっていうスポーツ・健康産業の展覧会があったのですが、その中のいくつかあるイベントの中で、岡部恭英さんからお声がけいただき、スポーツビジネスサミットのオーガナイザーたち3名、福岡の平田さん、北海道は小樽の近藤さんと大湊さんらとともに「スポーツ×地方創生」をテーマにしたトークイベントへ参加。

11/23 新潟(古町)ではNewsPicksの非公式オフ会にて、 #スポみら の第一弾から一年が経過したところで感じている地方の課題や可能性について、新潟今昔写真館の冨山さんや、NewsPicksに属しながら完全リモート勤務をしつつ、複業をいくつも抱えている石田さんの3名でのトークイベントへ。

本当にありがたい話で、お声がけいただき参加できたのはすごく嬉しくて、自分の経験を話せる機会ってのはなかなかにないものです。ましてや、ぼくの場合は、第一弾こそ、多くの人たちに支えられ、クラウドファンディングこそ華々しく成功できましたが、肝心の集客については第四段で初めて80名の集客ができたぐらい。

いくら自分が「いいものだ」と思っていたとしても、人の行動を促せる動機をつくるってのは決して簡単ではないんだなぁ、と改めて実感したのです。

ぼくはそれを個人の活動で感じましたが、通常は日々の仕事や業務の中で感じるものなのでしょう。

それを思えば、ぼくは普段の仕事や業務がまるで「自分ごと化」してなかったんだ、と気づきます。

過去に在籍した会社で「圧倒的な当事者意識」をもち、顧客のためにではなく自分ごと化して仕事・業務に取り組む姿勢や態度を求められていたものの、全くもってできなかったわけです。

正直にいえば、その当時ぼくは「何も思ってなかった」のです。

どういう意味かといえば、「圧倒的な当事者意識」を持つって言われたのに納得し、共感しているものの、それを実際の態度や姿勢で示せていなかった、むしろ、それとは縁遠い世界に身を置いているかのような「意識」だったのです。

自分ごと化の困難さ

経営者の方やマネジメント職の方は「そんなことではいけないの!」と憤りを感じるのかもしれませんが、そもそも生きる死ぬをかけられない「仕事」や「業務」と言った「特殊な行動」を自分ごと化できる人の方が希少なのではないでしょうか。

だからこそ、あなたは経営者たりえるし、マネジメント職に就けているのだといえます。出世レースと言えるのかはわかりませんが、少なくとも他の人たちとの競争に勝って自らの地位を獲得しているのは間違いありません。

そんな人から、そもそも「仕事」や「業務」を「自分ごと化」させる態度や姿勢を求められたところで、実際にできる人はどれぐらいいるのでしょう。もちろん、皆無とは言いません。過去にぼくも複数社に属してきましたが、その中で、いわゆる「できるひと」っていましたから、その人たちの「当事者意識」は高かったと記憶しています。

ぼくは、どこかそんな人たちを遠いところから見るような心持ちだったのです。

「すごいな」とか「あんなに」とか、本当に他人事として自らの領分すらも見ていたのを、よく覚えていますし、自らのミスを他人のせいにしたいと思った機会なんて片手では足りません。

「自分ごと化して思考する」って、かなり高度で専門的な業務遂行能力です。

なぜか。

「仕事」や「業務」は、与えられた役割の演じ手であることを求められます。その役割をまっとうできるだけの「素養」を持っているのだと担保を求められ、その担保をもとに対価を得るわけです。

その難易度は決して、低くはありません。これまで所属する一番長い組織が小学校だったぼくがいうんだから間違いありません。それだけ、自分ごと化は難しいのです。

はじめて「自分ごと化」ができた自分

そんなぼくの中で自分ごと化されているのは、子どもとの生活。彼らとの生活は常に待ったなしで進んでいき、その時間は限られたものだと毎日、数時間ごとに実感します。

彼らと共に過ごせる時間は、平日でいうと3時間もあれば多い方で、基本的には生活リズムを整えてあげたいと願っている我が家的には、たまに崩すこともありますが、基本的に21時には就寝してもらいます。

我が家は夫婦で共働きですから、迎えに行き、自宅で彼らと会えるのは18:30を回っているのは標準的なもの。朝は06:00過ぎに彼らを起こしては、07:15~07:30の間には自宅を出ていますので、きちんと向き合える時間は本当に限られたものになってしまいます。

幼稚園や保育園(我が家は保育園)での人間関係が彼らの”社会”を設けるのだと実感せざるを得ないのですが、同時に、自宅の限られた時間の中で彼らに対して何ができるのかを真剣に考えています。

それを実感してたからこそ、前向きに、どうやったら良くなるのか、彼らのためにできることを全力で探している自分に気づいた時に、それまでに言われきた「自分ごと化」なんて嘘っぱちだったし、何にもできてなかったんだなぁ、と悲しくなったのをよく覚えています。

そんな「仕事」や「業務」に対して「自分ごと化」できなかったぼくでも、心底「自分ごと」として、自らが有する責任範囲の中で、どうやったらよくできるのか、自分を満足させるための活動として、初めて認識できたのがスポみらだったわけです。

自己満足は自分の感性を大切にする態度だ

ぼくは最近、そんな風に感じ始めてから「自己満足」についての考え方や捉え方が変わりました。

何かを企画するって行為は、そもそも提供する対象に対して満足感を与えるような内容を一所懸命に考えたりするわけですが、その考えている時間や、内容に対してワクワクしている自分のことが好きになれるんですよね。

「きっといいものになる」とか「いいものにしたい」って欲望みたいなものが湧いてくる。

それが形になった時にはじめて、自分への満足感を高めることができるわけで、その過程では「自分の感性」を大切にする態度を持って臨んでいるわけですから、自分を大切にする姿勢だともいえます。

そう考えるようになってから、自己満足は決して利己的なだけではなく、自分を大切にするっていう「誰かにやさしくするための前提条件」を自然と表現しているのだと感じるようになりました。

今回、二つのイベントへの登壇を通して、ぼくがこれまでやってきたのは「自己満足」であったし、これからも基本的には自己満足なんだと思うのです。ただ、その自己満足を独善的にせず、呼びかけて仲間として活動してくれる人たちを増やしながら、少しずつ、自己満足の輪を広げていければいいな、と思ったのです。

また、どこかで呼んでいただけるよう、自分を大切にしていきたいと思います。

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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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