弁当のご飯粒
スマホを弄りながら昼食の弁当を食べる。
広く現代人に染み付いてしまった生活行動だ。
ネット技術の普及によって見たい情報や映像がコンマ数秒で手に入るようになったこの世界で、現代人はそのスピード感に飽き足らず、さらに時間短縮を目指し、飯を喰らいながらネット世界を漁る。
高速で画面をスクロールして数多の写真を瞬間的に捉え、「イイね」と感じたらすかさずダブルタップ。
写真そのものが時間の中に存在する対象のとある瞬間を記録したものにも関わらず、現代人はそれら写真をも瞬間的にしか捉えない。
このスピード感。
10年前の日本人が見てもきっと異様だろう。
10年前の日本人は、現代人ではないのだ。
それはさておき、そんなスピード感の中で生きる所為で、現代人の生活には「粗(アラ)」が出る。
昼休憩に弁当屋から購入した弁当を食べる。
「ご飯粒を残したら、目が潰れてしまうで」
脳の片隅に母の声を聞きながら、根拠の無い恐怖に震えて茶碗のご飯を綺麗に平らげていた幼少期を思い出しながら、それでも尚、スマホの画面をスクロールする指の動きは止まらない。それを追う目も。一方、手には箸を持ち、器用にご飯とおかずを口に運んでいる。
ふと弁当の残量が気になって、チラと目を動かした。
あ。
ご飯食うペース早すぎたか。
おかずがこんなに残ってる。
何とか縁に付いた米粒集めてご飯のボリューム確保せな。
弁当箱の縁に着いたご飯粒を箸でつまんで、つまんで、つまんでひと塊にしようとするが、箸にくっついて取れない分は、ひと先ず食べてしまおうと、口に運ぶ。確かに箸先は上下の両唇に挟まれてから出てきているから、箸先にくっついていたご飯粒はなくなっていた。ところが、
あれ?
今食べたご飯粒どこいった?
口の中どこにもあれへん。
飲み込んだんか?
いやいや、あんな一粒飲み込むほど俺の喉は暇やないで。
ああいうサイズのご飯粒は口の中にホールドしといて次のひとくちと一緒に嚥下するもんや。
あれ、どこいったんやろ?
ま、ええか。
ほぼ一瞬の間に繰り広げられる思考の最中、ひょっとして床に落としたかも、と思いながら、わざわざ体を動かして床に落ちているかもしれないご飯粒を探す様な動作はせず、その勢いのまま弁当を平らげた。
午後の業務でお客様から指摘を受けた。
「ズボンのチャックのところ、ご飯粒付いてるで(笑)」
これまたエラいところにご飯粒を付けていたらしい。
とんだ粗相。
28歳とは思えない照れ笑いを浮かべて、ヘラヘラしていた僕。
妹はもう2人目を産みましたが、
僕の結婚はまだまだ遠そうです。
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