ウイルスミスめちゃかっちょええ。 私は食わず嫌いである。嫌いな食べ物はないが、変わった食べ物とかは、あまり食べない。新メニューなどに手を出すのも苦手だ。 映画や、ドラマでも同じである。同じ映画やドラマを何回も見てしまう。内容知ってるのに。もうええやん。でも、それがおもろいから見てしまう。でもたまにテキトーに見た映画が自分の中でヒットする時がある。 「最後の恋の始め方」という映画だ。いつの映画かとか全然見てないし、友達の家でのほほんとニート生活の中で暇すぎて見た映画。でも、
ひとりぼっち。それは悲しい。しかし、1人だから考えれることや、できることもたくさんある。 この前、小林私というミュージシャンのコラムを読んだ。そのコラムでは、小林私がどのように音楽を作っているかなどを書いていたが、そのなかで、小林は、創作のハードルがもっと低くなればいいのに。的なことを言っていた気がする。 そして、創作する為には材料がいって、その材料は、いろいろな経験からできるものだと。 だから、深夜のドライブなどをしろということでもないらしい。材料を集めようと思って経験す
やばい、ノートに書いてない!! そういこともあるお
私は最近誕生日を迎えた。年々誕生日というもののありがたみを感じなくなってきている。 昔は、誕生日という理由でワクワクしたものだ。クリスマスと誕生日という二つのプレゼントをもらえるイベントの時は、常にソワソワしていた記憶がある。 そんな私も歳をとるにつれ、祝ってくれる人も減り、誕生日もほぼ1人で過ごし、なにしてるんだろう。などと考えてしまっていた。 話は変わるが、ちょっと前に「hello talk」と呼ばれるSNSを始めた。 たまたま目に入った人に、日本語で「こんにちは」
寝れないアル。 寝てないアル。 寝れないアル。 この無限ループから抜け出したい。
キラクニイキルオ
今まで、色々な人に会ってきて、話をして、飲みに行って、遊んで、人といることって楽しいなって思う反面、人といると、やな事もある。 楽しい時にも、今後はどうなるんだろう。とか考えてしまうことが多いけれども、明日なんてどうなるかわからないからこそ、今日まで続いてよかったなって言いたい。 ほんで、トマトパスタつくって笑える人と一緒にいれたらよきかもしれないって思う。そんな曲。 星野源「そしたら」
「かわいい。」 「かっこいい。」 「美しい。」
私がわからない。 人間関係における自分がわからない。 20数年生きてきているのにもかかわらず、ほとんどわからないのはどうしてなのだろう。 人に誘われなければなんか、悲しいなぁってなるし、誘われるとちょっとめんどくさいなぁってなる時もある。 恋愛においても、ほぼ同じである。 何年も付き合っているのに、真っ暗な部屋で目をつぶっていると、好きなのかなぁ?とか考えてしまう自分がいる。 でも、恋人も友達も大事な人たちだとは思う。 なんか、恋愛マスターみたいな、仙人がいてそいつが全
ボケとツッコミってすごい関係。 日常的にボケれる人ってすごい、すべることを恐れていない感じに尊敬。 あの失敗を恐れない感じ。 でも、ツッコミの方がかっこいい感じがするのはなぜだろう。ツッコミのひとは、リアクションで動いているのではないだろうか。 でも、ツッコミがいないと、ボケの人が成り立たないのもなんか、いい関係。 だから、どっちもできるなにかを作れる、挑戦できるひとになりたいなぁって思う。
SとMで悩む。Sだとちょっと小さくて、Mだとちょっとたきが長い。 微妙にサイズが合わない。気がする。いっぱい作っているから、細かいサイズなんて作れないんだろうけど、もう1000円だすから、ぴったりのサイズが欲しい。Mチイサメ、Mオオキメみたいな。 なによりも、試着室にSとMを2枚持って行く時の、店員さんの目と気まずさを感じてしまうことがちょっとなんか、ヤダ! Sちょっと小さかったなぁ、腕の血止まりそうだお。
「小籠包じゃ足りない」ってどう言うことなんだろう。 そら、上海蟹食べたいけど,小籠包でも全然ええけどな。って初めて聞いた時は思った。 でも、ちゃんと聞いたらふかぁい意味があるみたい。 過去に目を向けてる人が、心のピストルブッかましてあなたと上海蟹食べたいって言ってるいい歌。 「琥珀色の街、上海蟹の朝」を聴きながら、電車のトイレを探し、足を組んでウンコ我慢する16時。
朝井リョウ「時をかけるゆとり」 私はおなかが弱い。飲みに行った時は大体おなかが痛いのを隠した状態で、生のジョッキを持つ。この腹の痛みは、何が原因なのだろう。周りには、シンプルにおなかが弱いと言っているが、実際はただ神経質なだけだと自覚している。 この本そんな話。