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大晦日の記憶。

年をまたぎ2019年になりましたね。

あけましておめでとうございます!本年もよろしくお願いいたします。

気づいたら正月も終わり。2018年の振り返りすっかり忘れてしまいましたが、なぜかここで大晦日の記憶を振り返ろうと思います。

と、いいましても2018年のことではなく、2009年までのこと!

私が実家の愛媛にいた時のこと。

ご存知の通り(自惚れ)私はお寺の子なので大晦日といったらメインイベント。

と、いいましても私はお寺に住んでいたわけではなく、お寺はお爺ちゃんお婆ちゃん家(父の実家)であり自分家族が住んでる家は他にありました。

父親は毎日、車で10分位通っておりました。

なので大晦日は、当日お風呂をすませ、18時ぐらいにお寺に母と姉とで行っておりました。

そこには父親の妹家族も来ています。

と、いいましても妹家族は自分ちの隣に住んでるのでそこまで会っても新鮮ではないんですが。昔は少し離れたところにすんでいたっけか?

大晦日の夕飯といったら毎年必ず"おでん"でした。とんでもないでかい鍋に、しかも2つ3つに大量に作った"おでん"でした。

小さい頃はなんの疑問もなく食べてましたが、なぜ"おでん"なのか今考えると。

「年末年始やはりお寺はバタバタするので、ご飯作るの大変→作り置きできるのにしよう→冬だし温かいもの→鍋かカレー→カレーだとご飯炊かなくては→普通の鍋だと何度も火を通してるうちに野菜とけちゃう→おでん一択!」

これは完全に想像です!

もしかしたら
「おでん好き→おでん一択!」かもしれませんが。

私の好きな具は
ちくわ、さつま揚げ、ごぼう天…どうも練り物番長です!

そして当時テレビは格闘技全盛期。

大小3個テレビを用意して、個々人が
・紅白歌合戦派
・ドラえもん派
・格闘技派

に分かれて見ながら食べてたような気がします。無理矢理ワンセグでガキの使いも見てたような気もします。

私は格闘技派。

住職の父親が早々に食事をすませて、100%カラシで咳き込んでたと思います。100%母親が「もー急いで食べるけん」と言っていたように思います。そしてお勤めの準備にかかってました。

マジで私は
お寺の子 < テレビっ子
だったので、父親の準備を一度も見たことありません。見ときゃよかった。

そして年越しそばも食べ終わり。0時もまわったところで、本堂に家族で見にいき正座して父親のお経を聞きました。

うちのお寺は大きなお寺でもないですし、大きな釣鐘もない(表紙の写真はネットから拾ってきた憧れ鐘)ので普通のお勤め用の磬子を鳴らしてました。

あれー、テレビで見てる感じと違うなー。と子供の頃思ってましたね。

正直年越しの瞬間に参拝客の方がひっきりなしに来てる記憶もありません。近所の方がチラホラ来るだけ。そんなお寺です。でも寒い冬の夜に窓から扉から全開に開けて、読経してゴーンして大晦日だよー!やってるよー!感が好きでした。特別な家に生まれたんだ!という優越感かな?

1時も過ぎるとそろそろ帰るかーと、なります。

参拝客の方トータル10人も来てなかったなぁ。見てないところで来ていたのかな?

家に帰ってもまたまだテレビが終わらないのが大晦日→正月なので、テレビっ子のテンションは爆上がり!

深夜2時3時からテレビを見ながら家族で"夜食フライングおせち"が至福のときでしたね!

寝てたまるかまで頑張って、さようなら大晦日するのです。

大学卒業するまで本当にこの流れが変わらずやっていたと思います。

子供ながらの特別な家での特別な日。あの感覚はもう戻らないかもしれないけどいい思い出だなぁ。という話でした!

よろしければお布施をお待ちしております🙏