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光は常に正しく在り その③:星屑のようなメロディーを探している

ぼくはいま、アルバムを作っている。アルバムのテーマは「全肯定」と決めた。再会と再開。迷いながら、彷徨いながら歩いていくこの路すらも肯定していく。そう決めた。

おそらく、アルバムは8曲入りになる。って、以前の日記で書いたのだけど、この間の打ち合わせで、どうしても追加で入れたい曲が話に出てきたから、9曲入りになるかもしれない。9曲入りになるとして考えると、完成している曲は8曲。あと1曲。これがまだまだ作れそうにない。

ぼくは曲を作る時、まず歌いたいことをなんとなく考えるところから始める。何に対して、どんなことを歌うか。形にする想い。そのイメージを掴むところからスタートする。ぶっちゃけ、ここまでは簡単。「歌いたいようなこと」は、この脳みそから無限に出てくるから。その後、その想いを音楽に翻訳していく。この気持ちに合うコードはどんなのだろう?リズムは、テンポはどんなものが相応しい?この想いにはどんな言葉が似合う?そんなことを考えながら、とにかくギターを鳴らしてみる。ぼくにとって、ここがいちばん難しい。

うまくいくときは、スルスルっと、完璧な言葉とメロディーが同時に出てくる。だけど、大体は、まずテキトーにデタラメなことを歌って、メロディーだけ作ってから、そのあとで正式な歌詞に直すってパターンが多い。ごく稀に、デタラメに歌った言葉の持つパワーが強すぎて、あとの歌詞も全部そっち側に合わせなくちゃいけなくなるっていう場合もある。「マリリン・モンローみたいに世界を支配してみたい」って言葉がメロディーに乗っかって出てきたときは、それまで書いてた歌詞を、マリリン・モンローに合わせて全部書き直すハメになった。

いま作ろうとしている曲も、イメージは決まっているし、なんとなくの雰囲気もおぼろげには見えている。それでも、その気持ちを翻訳しようとしてできた曲は、まったく元の想いとは別物で。納得できそうなものとは程遠い。どうでも良い音楽なら、いつでも簡単にできちゃうのにね。

想いにふさわしい言葉やメロディーは、まるで流れ星のようなものだから。ある夜に「掴んだ!」と思った光だって、次の日の朝になってみたら、間違いなくそこにあったはずの眩しさは、影も形もなく、この手からすり抜け落ちてしまっている。まるで、短い夢でも見ていたかのように。あとに残った星屑からは、情熱もときめきも消え失せていて、涙が出そうになる。

ぼくはいま、永遠に光が消えることのない星屑を探している。そして、窓辺から転がり込んでくるそれを待つだけでは、きっと出会うことはできないということも理解した。ここまでできた曲たちには、必然的なきっかけの訪れがあった。だから今回は、自分からそのきっかけを探しに行く。

おそらくもう、それは自分の中にはない。ここまで、自分の中から出てくる気持ちはさんざん音楽にしてきたから。自分の外側にあるものと出会わないと、求めている光には出会えないと確信した。

何も、特別なことや難しいことをするつもりはない。自分が普段聞かない音楽を聞かせてもらったり、話さない話題で話すこと。自分が歌わないタイプの歌をうたってみること。それをSNSに毎日投稿してみること。読まないタイプの本を読んだり、映画を見たりすること。休みの日は毎日外に出て、どこかに行って、何かを見てみること。そんな、ささやかで、確実にぼくの世界を更新してくれることを続けていこうと思っているんだ。

ぼくはいま、星屑のようなメロディーを探している。だけど、ゴールは見えているから、迷子じゃないんだ。だから、そのタイトルだけ、ここに置いておく。"バウムクーヘン・ハッピーエンド"。みんながいつか、この曲と出会ってくれる時に、「ハッピーエンドのその先も幸せなんだよ」って、笑ってもらいたいな。

とにかくいまは、がむしゃらにでも、たくさん動いてみる。正直、焦っていないというと嘘になるけれど、どうせなら、その焦りすらも楽しんでいかないとね。だって、悲観的な態度で生きている暇も時間もないから。

動かなきゃ、きっと、きみに会えない。
会いたい。



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