光は常に正しく在り その⑯:或る作家の手記
いつも犬を散歩に連れて行く公園で一冊のノートを拾った。黒い装丁に銀色の文字で表紙に何かを書いてあるが、ボロボロになっているのと達筆すぎてぼくには判別できなかった。
ノートは酷く風化しており、中身もほとんど読めないが、どうやらある作家が日記を書いていたようだ。唯一読むことができた最後のページに書かれていた内容がとても印象的だったので、ここに転記してみる。
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とりとめのないことを書いていました
これまで
この世に生を受けて物心がついてからというもの
ずっと
私は私の言葉が
私のような弱者に
世間から排斥されて一瞥もされぬような者たちに
届くことを思って言葉を綴っていました
願わくば
その言葉が誰かの救いや支えになることを
祈念して
言葉は想いそのものではないですから
どうにかして
私の本当の想いに近づけられるように
苦心して似合う服を創造していました
そのつもりでした
そして
それが
誰の役にも立たないものであることは
判っていました
私などよりも
より精緻で繊細で美しい言葉を生み出す
そんな詩人たちが
この世にはごまんといるのですから
私は初めから理解していました
凡愚たる私の言葉などでは
誰の心も動かせないということを
命を削って
生み出したその文字たちに
私はまるで意味を与えてあげられぬことを
私の行いは
あってもなくても
この世界にとって
全くの影響を及ぼさないということを
羨望と憧れのフィルターをかけて
気づかないふりをしていただけなのです
いつしか私の言葉は
私の心さえも動かさなくなっていました
ただただもう
全てに飽いてしまったようです
誰かの救いになりたい
などと願っていましたが
どうやら
私はただ
誰かに私を見てほしかっただけのようです
だだ私だけを見ていてほしかった
こうなってしまったからには
もう
私の言葉は本当に価値を失ってしまったのでしょう
準備は調っています
私は新品の剃刀と普段の10倍の睡眠薬を用意し
布団の上に一面の薔薇をしきつめ
部屋の扉にはしっかりと錠をした後に
このノートを窓から投げ捨てるつもりです
拾った方
どうかこの中身を読んだ折には
私が書いてきた言葉は全て気の迷いだった
と
そう解釈していただけることを願っています
どなたかが
そう受け止めてくださるだけで
私を安らかに眠らせてくれる
そんな気分になってたまらないのです
ましてや
およそ余計な同情などはかけられぬように
この世界にはまた
私のような愚鈍で凡庸な人間が
一角の詩人になることを夢見て
現れるのでしょうか
どうか
その方が負けないでいられるよう
私のように闇に飲まれぬことを
心から願っています
このノートを自ら処分できなかったのは
ひたすらに私の弱さと自尊心が招いた所業です
今際の際においても
私は誰かが私の言葉に熱を感じてくれる未来を
捨てきれずにはいられぬようです
とはいえ
その結果をこの目で見ずにいられぬのは
ひどく安心した気持ちになります
ただ一つばかり残念なのは
今日の天気が
私の敬愛する詩人の最期のような
透き通った風の吹く晴天などではなく
濁った曇り空が泣きはらすような
土砂降りであることのみです
しかしまあ
私にはお似合いだ
と
誰かが笑っていてくれますように
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ぼくは負けないよ。
ずっと信じているから。
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