緊急事態宣言終了×内向的=焦り
東京は緊急事態宣言が明けました。私は焦りに駆られる側の人間です。
緊急事態宣言が明けた日の夜、親からの電話。
第一声が、
「あれ?緊急事態宣言明けたんでしょ?誰とも飲みに行ってないの?」
まるで誰かと社交していないとおかしいくらいの言いっぷり...
人間関係は狭く深く派の私は、人付き合いをたくさんすると疲れてしまう。だから、社交的な人に比べて全然遊ばない。一人時間大好き。でもたまに、週末何も予定がないことを後ろめたく思って勝手に傷つくという得意技を持っている。それは、自分が自分にかけた呪いだ。
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せっかくなので「人と繋がること」の本質を考えてみる。
基本的に生きているだけで、私たちは水道、電気、食べ物、そのほかさまざまなモノやサービスに頼っている。そしてそれを作り、維持してくれる人たちがいる。何もしなくても、たった一人でいても、社会との繋がりは確実にある。でも、それだけでは心は満たされない。
自分の将来や生活のことを考える合間に、家族や友達、会社の上司や同僚、恩師など、自分の人生に近しい人のことを時々思い出す。そして、「ああ、もうすぐあの子の誕生日だな」とか、「仕事がしんどいって前に言ってたけど、大丈夫かな。LINEしてみようかな」「長年会ってないけど、元気なのかな」なんてぼんやり考えたりする。或いは、コンビニのドアを開けたままにしてくれた人や親切な店員さんに心の中で感謝したり、賢そうな小学生が電車通学してるのを見て「すごいなぁ」と思ったり、忙しそうに駆け回る配達ドライバーさんに心の中で「お疲れ様です」などと思ったりもする。
その瞬間、きっと私は孤独とはかけ離れている。いわゆる「社交(=社会上の交際)」ではないけれど、社交よりももっと深くて根強い何かを感じさせるものだ。その人たちを思うとき、もはや私は孤独ではない。
そんなことを考えても、知り合いは増えない。私の状態は何も変わらない。でも私は社会の中に確実にいる、ということをこの上なく実感できる。
「社交」も勿論大事だ。私という存在を色んな人に知ってほしい。逆に、私も色々な人たちに出会い、良いところを見つけていきたいと思う。人間関係をつくるということは、そういう宝探しみたいな楽しさがある。でも、無理して気を張ることだけは避けたい。個人的に、テンションを張り詰めた状態で参加したパーティーや会合は疲れるだけで何の成果も見出せなかった。代わりに、リラックスして「面白くなかったら帰ろう」くらいに思っていると、案外いろんな人と打ち解けたりできる。
焦る側の私たち、気張らずにいきましょうね。
今回も読んでくれて、アリガトビームッ!(+ノ・_-)------☆
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