第17回③ 齋藤 秀輝先生 将来の夢は総理大臣?コミュニティで患者支える心不全専門医
高齢化社会の中で、心不全患者は増え続けており、がんの罹患者数約100万人に対し、心不全の罹患者数は全国で約120万人にのぼる。その罹患者の多さから、「心不全パンデミック」とも言われている。だが、患者の増加に合わせて医療者も同様に増えるわけではない。
そんな中、地域の人たちと積極的に交流し、地域全体で心不全患者を支えるコミュニティづくりに取り組むのが齋藤秀輝先生だ。そこに至った経緯や、先生のキャリア観を辿っていく。
文系学部の不合格から医学部志望へ
元々は医師を志していたわけではなく、政治家になり、ゆくゆくは総理大臣になりたいと考えていたと言う。
「何か問題を見つけたときに、自分で解決していくことを仕事にしたいと考え、政治の道を志しました。理系が得意ではあったのですが、薬学の研究職である父親を見ていると、もっと人と関わりたいなと思い、理系ではなく文系だろうと考えていました。医師は人の関わる職業だと薄々は気付いていたんですけどね。」
しかし文系学部を受験するも、不合格の結果に。
結果発表のその日に両親に伝えたことは、『医学部に行きます』だったという。
「さすがの両親もびっくりしていました。今考えると、文系受験でも医学部受験でも、共通して興味があったキーワードは、“社会”なのかなと思います。」
社会における疑問を自ら解決していきたい、自分の生きる社会の人たちとつながっていたい。この想いは、齋藤先生のキャリアの根幹となっている。
覚悟が決まった人の想いは強いものである。浜松医科大学医学部医学科へと進学し、新たなステージへと進んでいく。
循環器内科を選んだ理由
「カッコよかったから」
医学部在学中は、部活に明け暮れながらも、ボランティア活動に注力した。
「ボランティア活動の内容は、知的障害の方々と一緒にお出かけしたりキャンプに行ったりといったものでした。自分自身何か目的意識を持ってやっていたわけではありませんが、この活動のおかげで、他人に対して偏見なく接することができるなと思っています。どんな人も皆、その地域、その社会の中のひとりです。」
齋藤先生が話される言葉からは、ひだまりのようなあたたかみが感じ取れる。
そんな多様性に触れていた学生生活も終盤を迎え、実家から近く、救急車を断らない病院である海老名総合病院で初期研修を行うことを決めた。子どもたちに触れ合ってきた機会が多く、また自身の小児喘息の既往も相まって初めは小児科を志していたが、研修を行うにつれて心惹かれていった科が、循環器内科だった。
「純粋にカッコよかったんです。心筋梗塞や心不全など、命が危ぶまれる状態で運ばれてきても、治療をすることで劇的に改善され、早いうちから歩いて帰れることに、医師としてのやりがいを感じ、志すようになりました。」
病気で苦しんでいる状態から退院後の生活に戻っていくまでのスピード感に魅了され、循環器内科を志し、現在の職場である聖隷浜松病院 循環器内科に進む。
しかし、憧れの循環器内科として働く中で、カテーテル治療か不整脈治療か、さらにその専門を聞かれることが多く、齋藤先生はそこに大きな疑問を持っていたという。
「循環器内科というだけで十分専門性が高いはずなのに、さらに専門が大きく二極化されていたため、なぜ細分化するのだろうと思っていました。多くの心疾患には大抵心不全が絡んでいるにも関わらず、当時は心不全の治療にプライドを持って取り組んでいた先生は少なかったように感じます。」
そこからは自身を、「循環器内科のジェネラリスト=心不全専門医」と名乗り、心不全治療の重要性を発信していくようになる。
急性期病院の中からは見えなかった
地域における心不全患者の顔
齋藤先生の活動には、いつだって社会が関係している。
循環器内科の立場における地域社会とのつながりを伺った。
「急性期病院から療養病院へ転院調整待ちである心不全患者を数週間治療したのち、やっとのことで転院できたとしても、その引き受け先で、数日経たずして亡くなってしまうことが続き、モヤモヤすることがありました。急性期病院の中にずっといたので初めは分からなかったのですが、それぞれの病院で、患者さんの見え方が違うのではと気づいたんです。」
急性期病院での治療は、その患者の人生のほんの一部であり、また場所や職種によってその患者さんの見え方が異なっていると気づいた齋藤先生。一人の患者に対し、一つの見方で捉えてはならないと考え、職種・病院に関係なく、その地域で顔の見える関係の地盤を作るべく立ち上げたのが、「浜松心不全チームディスカッション」だ。
浜松心不全チームディスカッションとは、急性期や慢性期に関わらず、浜松全体で心不全治療に関わる医師、看護師など多くの医療職を集め、さまざまなテーマに沿ってディスカッション、および講演会を行うというものである。
毎回100人程度集まり、さまざまな人と交流することで視野が広くなっていく感覚を覚えたという。また、個人の見識が深まるだけでなく、病院全体の風通しも良くなっていき、地域で一つになっていく成功体験が生まれていったのである。
ひとつ成功体験が生まれると物事は加速度的に進んでいく。地域の薬剤師のプラットフォームである“くすりmate”に参画したり、市内の医師会や病院と連携の強化を進めたりするとともに、臨床現場に近い若手の医師たちが、医局や施設を越えて自由に議論をできる場である「U-40心不全ネットワーク」に2017年から参画し、2021年10月からの1年間は代表幹事を務めた。
「今後は、心不全の予防に関して、さまざまな啓発運動を通じ、市民一人一人が健康について、循環器予防について考えることを浸透させていきたいと考えています。予防に関しては、病院で待っているだけでは出来得ない。だからこそ、地域社会に入り込んでいく必要があるのです。」
若手へのメッセージ
「自分の信念を貫き通してほしい」
地域活動から始まり、全国へと輪を広げている齋藤先生だが、それでも最も重要視しているのは、目の前の人であるという。
「自分にとって社会とは何かと問われた際、どの単位で切り取って考えるかにもよりますが、根幹にあるのは地域社会、目の前の患者です。第二の故郷である静岡県浜松市という、普段接している患者さんたちが行き来している地域社会の中に自分がいるからこそ、医師として目の前にある課題の解決を、これからも行っていきたいと思っています。」
当時はあまり陽が当たっていなかった心不全という分野を、目の前の地域社会を通じて改善しようと奔走する齋藤先生。最後に、キャリアに対するアドバイスを伺った。
「心不全を専門にすると決めた時、そのような医師が少数であった当時は、『なんで心不全なの?』と言われることも多くありました。ただ、今の自分の活動を見てそれが間違っていたとは全く思いません。自分の信念があればそれを信じて突き進めばいいし、そもそも時代によってニーズも変わっていくはずです。周りの助言に流されて可能性を絞ることなく、信じたものを突き進んでいってほしいと思います。」
医療を地域の枠組みで捉え、そこに住む人たちを地域社会全体で支えていく医療をしたいと熱く語るその言葉から、静かに燃える、確固たる信念を筆者は感じた。
取材・文:下越病院 初期研修医 千手孝太郎
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