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意見をくれた人がなぜか孤立する現象

起業してたときも今のポジションでも、何とかしたいなあと思っている課題がある。「意見を言ってくれた人がなんだか孤立してしまう現象」である。何となくイメージがつく人も多いのではないかと思う。あれマジでなんなんでしょうか。

例えば何か業務フローの改善提案をしてくれた時。課題と解決案を提示してくれた人 vs その他大勢の人たち のような構図が生まれてしまうことがある。答えのない難しい課題ほど、そういう空気になりがちだったりする。

このような現象が多発する組織だからこそ、コトに向かえる人が少なくなってしまうのではないだろうか。とおもう。
https://x.com/moto_recruit/status/1846382394859049057


私の意見としては、本来そういった意見を出した人は内容に関わらずMAXリスペクトされるべきである。20点レベルであってもたたきを作るのが一番大変だし、何かを提案するという行為自体がとても勇気とエネルギーのいることだからだ。

しかし、対立構造のような形になってしまうことがある。この現象の厄介な点は、その他大勢側に悪意がないことだ。自分も何度か経験があって、「あれなんで俺こんな責められてるみたいな感じになった?」と感じて途中で萎えてめんどくさくなってしまったこともある。

一方、提案に対して意見を言う立場でも同じことが起きる。例えば誰かが反対意見を言った時に、なんだか相手を責めてしまっているような、どうしようもない嫌な空気になってしまった経験はないだろうか。あるいは、ただ理由や背景を質問しようとしただけなのになんだか対立構造みたいになってしまったりとか。真面目な人ほど、自分のそういう発言で空気を悪くしてしまったことに対して後で自己嫌悪になってしまう傾向がある気がする。とてもつらい話である。

もちろん、意見を言う人自身が工夫できるところはたくさんある。ただ、自分以外の人が意見を伝えてくれた時にはその人が孤立しないようにうまく立ち振る舞いたいなあという気持ちが強い。ファシリテーターの立場でも参加者の立場でもどちらでもいいが、意見を言った人も聞いた人もいい感じになれるといいなと思う。

まあ明確な答えはないのだけれど、フォロワーシップ、心理的安全性みたいなワードにつながる話である。組織文化レベルで解決するべき話でもあり、情報共有方法やミーティングルール、個々人のファシリテーションスキルである程度緩和できる話でもある。何か言ってくれたらまずそのこと自体に感謝を伝えるだけでも、経験上だいぶ違ったりする。

メモがてらに。おわり。

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