2022年4月1日(金)
アビイです お元気ですか?
どなたにも会わず、二か月、過ぎました
おかげさまで、少しずつ、回復
今日もひとり、仕事を始める準備を
しています
この写真は、2年前、イギリスで生活していたとき
なつかしいメガネです
初めて、イギリスへ行ったのは、西暦2000年でした
英国航空で、ロンドンへ出て、俳優の友人宅に泊まり、
すぐ、マンチェスターへ向かいました
語学は、中1のころは大好きでした 成績も少し良くて、
中2では、英語劇で、シェイクスピアの『リア王』に出演
道化(Fool)の大役を務めています
そのときの王様役だった友人は、東宝の重役になっています
毎年、英語教師が変わって、各学年、違う先生に教わりました
有馬正英先生の基礎教育は素晴らしく、小林幸子先生には、
とてもお世話になりました しかし・・・
中3の担当Tは、Englishのできない・・・、発音悪く学識もない
あまりにもひどい職業教師のひとでした
(※私は英語教育学で、そのあと、大学院を修了していて
教育評価の分野で、論文を書いている研究者でもあります)
加えて、文化祭で、『サウンド・オブ・ミュージック』に
色男の役で出演しても、上演の長さの都合もあり、私の演技が
くさすぎて、台本からセリフをどんどん削られ、歌だけになったり
蔵前に、プロレスを観に行ったときには、レスラーにサインを
断られたりして、本当に、「英語」が嫌いになったんです
※今でも、ビル・ロビンソンという名前をみるだけで複雑
それでも、都立高校受験は、96/100で、無事、合格
※中学は、東京都千代田区立練成中学校、人口減で廃校、
跡地は、アーツ千代田3331,もうすぐ『キャッツアイ』展
期待して高校に入学したら、高1の英語担当二人がまた、
古臭いスタイルで、発音もよくなくて、たまらず、
駿台に行くと、なんと、高校と同じ教師が予備校講師
(※時効だから書きますが、日比谷高校のH先生は、
公務員として、ルール違反をしていました)
私をクラスにみつけて、「みた顔がいるねー」と苦笑い
こちらも、苦笑い・・・
学力はどんどん、低下、高2は熱血の新人S先生、でも
「訳さない」とか、気負いすぎている授業で、ますます、
頭の中が混乱して、ダメになり・・・
ようやく、高3になって、達人の原田和彦先生と
出会えて、英語学習への意欲が戻ったときは手遅れ
あえなく、浪人となりました
私の母校は、東京の区立で当時は偏差値最高峰の千代田区立練成中学校と、
あの都立日比谷高校ですから、学習環境は悪くなかったんです ないのは
やる気と根気だけ、だったように思います
模範となる先生の責任は、100%、これは、自分自身、英語講師になって30年以上も教えている間ずっと、信念にしている考えでもあります
モティベーションと、アクション、それが、英語習得には大切
絶対、英語を教えるひとは、できるようになりたい人の意欲をそいだり、
間違った方法を伝えたりしては、いけないんです
人生が変わったのは、第1回東京国際映画祭での体験がきっかけです
幸い、学校に通っていなくて、アルバイトもしていなかったので、
時間だけはあり、1985年5月31日から、6月9日まで、毎日、渋谷で、
新作映画を観て、映画人のトークを聴けたんです
鬱気味だった私を心配して、ありがたいことに親は、それも勉強、と、
好きに行かせてくれました
メインのプログラム以外、SFファンタジー中心のファンタスティック、
新人監督のヤングシネマ、第三世界、女性監督の特集など盛りだくさんで
大きく、世界観が変わりました
黒澤明※『乱』展・東急デパートは、着物や原画もありました
トークには、品田雄吉、原田美枝子、根津甚八が登壇
公演の舞台ではない場所で、本物の俳優をみたのは、初めてでした
※黒澤明も私も同じ家系で安倍貞任(秋田県)の末裔に当たります
パルコで、手塚眞『妖怪天国』を鑑賞 自分でも映画が撮りたくなりました
※父は『日本の妖怪たち』(東京書籍)の著者、それが引用されたのが漫画
『うしおととら』(藤田和日郎・少年サンデー・小学館)
NHKホールで相米慎二『台風クラブ』をみたときは、前の席が、おすぎ
充実の日々、映画の世界に入りたいと思っていたのは、日比谷高校時代から
あの頃、好きな作品は、ドイツの『メトロポリス』と『ある日どこかで』
『ダーククリスタル』『ストリート・オブ・ファイアー』でした
すべて、映画館で、鑑賞できたのは、幸運でした
高校時代、みゆき座での作品は何でもみています
他にも、近くのスカラ座、有楽座、日比谷映画、並木座、
シネマ1、シネマ2,有楽シネマ、丸の内東映パラス、松竹セントラルや、銀座松竹、丸の内松竹 そして、新しくなった日劇※、日劇プラザ・・・、
やがて、その舞台に立つとは、思っていませんでした
※2000年10月7日、『Xメン』舞台あいさつ司会&通訳は私でした
マーベルシリーズの初期、大事な役割を担いました
渋谷で行われた東京国際映画祭、テレビでは、タモリが司会
ソフィー・マルソーの衣装にドキドキしました
青山スパイラルホールでのSFX(スペシャルエフェクト・特撮)アカデミー
という、来日専門家による講演会が、特に素晴らしく、そこで、会えて、
サインもしてくださった、リチャード・エドランド(『帝国の逆襲』)や
握手していただいた、ジェームズ・キャメロン、スタン・ウィンストンは
今でも、尊敬しています、
他日の質疑応答では、『ゴーストバスターズ』のドリームゴースト役は、
プレイメイトだと教えてもらえたり、「『グレムリン』背番号事件」とか
企画者で司会の御影雅良先生には、いつかお礼を伝えたいです
※2022年現在、オンラインで、「御影英語塾」を開いておいでだそうです
※その後、『グレムリン』主演ザック・ギャリガン、主役ギズモ特撮クリス・ウェイラス、『ゴーストバスターズ』マシュマロマン役&特撮ビリー・ブライアンを日本に招いて、トーク&サイン会を企画運営したのは、私です
あのとき、ロッコ・ジョフレ(マットペインター)にロビーで誰か※が、
熱心に話しかけていたのをみました
※後の上杉裕世さん(ルーカスフィルム)です・・・
JR渋谷駅下に、喫茶店がありました たまたま、そこを通りがかって、
レジ前で、『1984年』の女優と内緒で、デートしていた別の映画の監督
・・・なんと、ニール・ジョーダン(『狼の血族』)と出くわしました
ちょうど前日のQ&Aで、眉毛について質問していたのを覚えてくれていて、ボディランゲージだけで通じました
もっと、話したい、そう思ったのが英語学習やり直しの動機になったんです
とはいえ、また、受験に失敗し、二浪します
英語ができるようになったのは、翌年からで、そのときは、もっと大きな、
別の出会いがあったんです
英語ができるようになるには、動機と努力、ドキドキとドリル、が必要
そういうお話でした
(つづく)
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