影の地。ミケラを追う。瑕疵を知る。

黄金樹が伝えている。
影を。狭間の歴史の裏側を。

ラダゴンはマリカである

神々にも表裏がある。
それなら黄金樹に影が存在したこともまた、必然であったのかもしれない。
私の最後の仕事として、黄金樹の影を指で読み、そして語りあかそう。
君が私と閃きを同じくするなら、この指を読んでくれたまえ。


影の地の文化。争いのはじまり

角は穢れの象徴である。これが黄金樹の民の一般的な認識だろう。
しかし歴史学的に考えてみれば、その特徴が一地方では神聖であり、また別地方ではそうでないことは、往々にしてありうることである。
坩堝に近しいそれはまさに影の地の民の神聖であった。

それは高位の証である。ベルラートでは神事の神獣にその諸相がほどこされるほどに

しかし、のちの黄金樹の民がそうであるように──みずからの出自を高位と思いこむことは傲慢に過ぎない。
その一面が影の地の文化に見てとれる。
罪人と御子を一壺に押しこめ、善人に産まれかわらせようとする。
あるいはこの文化こそが、すべての悲劇のはじまりだったのかもしれない。

影の地では壷を作るために、御子を生贄に捧げていた
這いだしたそれは襲いくる。生者へ憎しみをぶつけるように

そしてこの文化に関わってくるのが、狭間の地の女王であるマリカなのだ。
マリカはつねに謎の存在だった。
目も眩むような黄金の輝き。それは擬態のヴェールのように過去を隠し、マリカも出自を明かそうとはしない。
むしろ多くの王はその成りたちを偉大なことのように語るはずなのに。

しかし、それもそのはず。マリカの故郷の因習。それは彼女が過去を隠そうとするに充分なものだった。
マリカは上述の文化の犠牲者──御子たちの村の出身だったのである。

御子の村。もはやそこに人の姿はない
その祈祷は御子の村の中心に捨ておかれた

その村での生活はどのようなものだったのだろうか。
影の地の片隅。贄となる御子たちを送り、自分もそれを待つだけの日々。
そんな日々を終わらせたのも、やはり意志の存在にほかならない。マリカと指の関わりは断片的で詳細は分からないが、彼女の故郷のそばに指遺跡や隕石跡があることは非常に示唆的である。
マリカはデオの指遺跡で、意志や指との邂逅を果たしたのだろう。

そしてマリカは母に捧げた。祈り願いと告解を。

ひそやかに供養の髪は捧げられる

それが影の地への復讐か。それとも意志の導きに従うことを示したのか。今となっては分かりようがない。
しかし、それでも事実として──影の地は黄金樹の軍勢に滅ぼされている。
どんな経緯があれどもマリカは黄金樹の民の長となり、そして影の地での聖戦をはじめたのである。

エルニ・イリムを見るメスメルの軍勢。その心境

やがて因果は巡り──有角は狭間で迫害されることになる。
マリカは迫害の痛みを知っていたはずだ。しかし彼女の一族もまた、有角を迫害するようになり、異郷の商人を郎党、地の底へ埋めるようになる。争いの因果は用意に輪をほどかない。
それをのちの歴史は示している。

聖戦は存在しない。あるのは戦争だけである。

仮に復讐のための戦いであったとしても、そこに名誉がないことをマリカも分かっていた。
だからマリカはルーンを英雄に授け、息子の右目に刻印を刻みこんだ。

その輝きの力はまるで魅了にも似ている

そして多くの信徒たちの疑問も祝福の瞳膜で包みかくしたのである。

黄金の輝きは人の心を欺瞞する

そしてベルラートを滅ぼしたあとマリカはエルニ・イリムの頂上へ辿りつき──角人たちの死体の山が積まれたその場所で、彼女は神になったのである。これが黄金の律のはじまりであり、すべての過ちのはじまりである。

神の門は角人たちの死体で彩られている

あるいはすべてが正常なら、黄金の時代は終わることなく、のちの世まで輝きを世界に伝えたのかもしれないが、残念ながらそうはならなかった。

意志の示しを伝える、すべての二本指の母。
それがとうに壊れていたことは黄金樹の民の大きな誤算だったにちがいない。

二本指は壊れている。ギデオン・オーフニールの指摘は正解に近いものがあった。その大元はすでに壊れていたのである

のちに狭間の地は壊れたのではない。それは当初よりすでに歪み、壊れきっていたのである。


ミケラを追う

やがて有角たちの地は影に隠され、その地が日の目を見ることはないと思われた。
ミケラが現れるまでは。あるいは彼(彼女)も律の壊れを知り、マリカがしたように神の門へ向かったのだろう。

その息子は母と同じことをした

すべてはやさしさの律で世界を包みこむために。そのためにミケラは妹を唆し、将軍の魂を手中にし、血の君主の遺体を冒涜した。

しかし将軍はそれを受けいれなかったのだろう
使命は神の人格さえも破綻させる
その秘術の犠牲者は血の君主である

誘惑したデミゴッドの遺体を依代に魂を縛りつける。まさに冒涜的な所業である。
しかし、これは狭間の地に残されているミケラの痕跡とは一致しないところがある。
と言うのもミケラが人格者であった根拠は、狭間の地の各地に残されているからだ。
妹の腐敗の運命を憂い、兄な不純な死を悼む。ミケラはそんなやさしさを持ちあわせていた。それはたしかである。
しかしミケラはそれを甘さだと考えたのではないだろうか。ミケラは影の地のさまざまなところに、肉体と精神の一部を捨てさっている。
恐れを。迷いを。そして何よりもみずからの半神であるトリーナと愛を。

恐れなき律に“はどめ”はない
迷いなき律に思考はない
愛なき律にやさしさはない

恐れ。迷い。そして愛。それは非業を躊躇するミケラの良心である。だから半神のトリーナはミケラに反目したのである。
トリーナはミケラの所業を憂い、あの褪人に死を望みさえした。
たとえミケラが目を逸らしたとしても、彼の半神はその非業たるを理解していたのである。トリーナは彼の進む先にやさしさの律がないことを知っていた。霊と化したミケラの信徒が語るように、みずからの半神を救えぬものが、世界を救えるはずはなかったのである。

力こそが王の故。傀儡の将軍があの褪人に勝つことはないだろう



未知なる律に夢を求めて

じつを言うと私にとって──影の地の歴史を知ることは重要なことではない。それは歴史の裏側のできごとに過ぎないからだ。
それでも私の指が影の地を読もうと動いたのは、やはり神々の人格を測るためだったのか。
疑念が深まり、確証に変わる。
マリカの過ち。ミケラの因業。そして狭間の地の争い。それを知るほどに視座は深まりを見せてゆく。
それは律に人格は不要だと言うことである。
そもそもの話──律に余計な人格を介入させなければこれほどの悲劇が狭間の地を襲うことはなかったかもしれないのだ。結局のところ──余計な欲望のあるものたちに、律を整然と運べるはずがないのである。
それでは神々とデミゴッドたちは余計な争いを齎したに過ぎなかったのか? 彼等は後世に愚者と伝えられるべきなのか?
私はそうは思わない。誰もが自分の律を信じた。誰もが生きるために戦っていた。後世はあとから神々の過ちを、糾弾するに過ぎないのだ。他者の過ちに指を差すことは簡単である。

だからこそ私は神々に学び、この律を成立させたいと思う。
黄金の輝きはすばらしいものだ。しかし黄金律の輝きは、我々の目には眩しすぎた。律に輝きが必要だとしても、それは狭間の地の野に当たりまえに咲いている、一輪の金輪草のようであればよい。

私は望む。人心が律に関わらぬことを。届かぬところで律が世界を眺めることを。
すべてよ。遥かな遠くに思うがよい。
私は律を完全させるだろう。しかし律を決定するわけではない。学者つねに考えるだけである。
力こそが王の故。最後には力のあるものたちが、狭間の地の命運を決めるだろう。

マリカはラダゴンである

それを教えてくれたあの褪人がこの律を掲げてくれることを願う。

王都の崖下で待っている。君に完全律を託すために。
褪人よ。君が見てきたこの狭間の地。そして影の地を想いたまえ。
大いに悩み──決断し──君が望んだようにエルデンリングを掲げるがよい。


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