【逆転裁判】追想の逆転【逆転検事】
わたしが逆転裁判をクリアしたあとに、逆転検事のリマスターが発売されたのは、まさに幸運な偶然と言ってもよいだろう。
魅力的なキャラクターと奇想天外なシナリオ。物事のムジュンを指摘したときのカタルシス。ほかにも様々な要素がクリアしたあとでも鮮明に浮かびあがってくる。そして同時にわたしがふたつの作品で感じたことさえも。
シリーズが同じなので当たりまえだが、逆転裁判と逆転検事には共通点がある。それはどちらも“真実の追求”をテーマのひとつにしていることである。正確には“真実を追求するその姿勢”と言うべきかもしれない。
どうしてそれがテーマなのか。それを数々の証拠品でアキラカにしてみよう。
追求:ふたりの主人公、天秤座の男たち
この男を御存知だろうか?
この男は成歩堂龍一。逆転裁判の主人公である──とこの有名人を説明するべくもないだろう。わたしもプレイするまえから、存在そのものは知っていた。
だからプレイしたときはイメージとのギャップにおどろいたものである。わたしはこのキャラクターを熱血漢的な性格のモチヌシだと思っていたのだ。多くの逆転裁判未経験者も大体がそのような認識だと思う。
一側面に於いてそれは正しい。しかしキャラクターと言うのは多面的なものである。
逆転裁判をプレイしたことがあるのなら、誰もナルホドくんが普通の熱血漢とは言わないだろう。彼の裁判の光景がそれを証明してくれている。
この程度の発言と発想は序の口である。滅茶苦茶な発言と発想をすることに関して、ナルホドくんは他の追随を許さない。
しかし重要なのはそこではない。大切なのはナルホドくんが“自分の滅茶苦茶な発言を信じるチカラに長けている”ということである。
逆転裁判は“依頼人を信じる”こともテーマのひとつだが、わたしはそれと同じくらいに“自分の発言を信じる”ことも、テーマのひとつなのではないかと思っている。
このゲームの犯人たちの犯行は複雑で、ときには荒唐無稽なものさえある。だからこそ──その手口を指摘するときに多くのプレイヤーは考える。
(自分の考えは正しいのだろうか)
その不安に“待った”をかけてくれるのがナルホドくんだ。
「異議あり!」
ナルホドくんは声高に叫び、相手に指を突きつける。そうするからには自分の発言を疑ったりなどしない。途中で躊躇することもあるとは言え、最終的には持論を通そうとする。
その姿勢はあまりに頑なすぎて、ときには狂気的に感じるほどである。しかし、どんなに荒唐無稽な意見でもナルホドくんはそれを曲げようとしない。
自分の意見を曲げることは、すなわち依頼人の敗北だからである。
もちろん簡単なことではない。上述したように真犯人たちの手口は複雑で、ときに尋常なやりかたでは勝訴を望むべくもない。
それなら如何にナルホドくんは戦うのか? 証拠が揃っているのは大前提として、彼が武器にするのはイキオイやハッタリである。
そこにナルホドくんの意外性がある。検事たちが(比較的)論理的に物事を進めることに対して、彼は想像力や独創性を武器に裁判へ挑むのである。
複雑なトリックを常に合理性が解決してくれるとは限らない。支離滅裂には支離滅裂を、荒唐無稽には荒唐無稽を。それを押しとおせるところにナルホドくんの天才性がある。
それともうひとつナルホドくんはほかの弁護士や検事にはない、最大級の武器を持っているのだ。それは彼が侮られやすいことである。
要するに舐められやすいのだ。ナルホドくんのオドオドとしたその態度がそうさせている。しかし、まるで役に立ちそうもないこの態度こそが鍵なのである。
検事や真犯人たちはナルホドくんを舐め、余計な発言を追加してしまう。こうなってしまえば、もはや彼の術中である。
おそらくナルホドくんが自覚的にやっているわけではないのだろうが、彼のこの天性の才能は他者の言動を引きだし、真実を白日の元に引きずりだす。
このようにナルホドくんは様々な奇策で真実をアキラカにする。そのさまは弁護士の中では異端、法曹界のジョーカーと言えるだろう。
そして逆転裁判を代表する、もうひとりの男がいる。上述の親友──御剣怜侍である。
逆転裁判でナルホドくんの次に活躍するこの男を、逆転シリーズの第二の主人公と言っても過言ではないだろう。
そしてナルホドくんとミツルギには共通点がある。どちらも真実をアキラカにするために戦っていると言うことだ。
最も最初からそうだったわけではない。被告人を有罪にするためなら、どんな手段もいとわない。初登場時のミツルギはそんな人物だったのだ。
しかしミツルギは変わっていった。ナルホドくんをはじめとして、様々な人物との交流や体験が彼を変えたのである。
そしてエキセントリックな裁判をするナルホドくんと真逆に、ミツルギが武器にするのは合理性や論理性──ロジックである。
状況の組みあわせや感情へすみやかに搖さぶりをしかけることで、ミツルギは様々な情報をしなやかに集める。そして情報が集まったあとは合理的に事件の流れを組みたて、真実を白日の元に引きずりだすのである。
このふたりの方法のちがいは、おそらく対比的なものである。赤と青。ふたりの特徴的なデザインの差からもそれは示されている。
しかし手段はちがってもふたりの結果はいつも同じところに到達する。それが“真実の追求”なのである。
追求:真実の正当性
そこでひとつの疑問が現れる。
それは“真実を求めることは正しいことなのか”と言うことである。ほとんどの場合──真実と言うのは神聖視されるものである。人間は嘘よりも事実を欲するものだからだ。
しかし真実はいつでも正当なもので、いつでも善人の味方なのだろうか?
そうではない。味方であるはずの真実は主人公たちに牙を剥くのだ。
それを説明するのに最もふさわしいエピソードがある。それは二作目の最終話である。
このエピソードには、ほかのエピソードとの、重大なちがいがある。弁護の依頼人が本当に悪辣な殺人犯なのである。
その人物の無罪などは望むべくもない。しかし、ひとつの事件がその人物の無罪を確定させようとする。なんとヒロインの綾里真宵が誘拐されてしまうのだ。
犯人(別の犯人である)の要求はこうである。
殺人犯を無罪にしなければ、ヒロイン(綾里真宵)を殺害する
ナルホドくんはほかの人間に有罪を押しつけるか、マヨイちゃんを犠牲に殺人犯を有罪にするかの二択を迫られるわけだ。
まさに究極の選択と言えるだろう。これが真実が牙を剥くと言うことだ。この状態で真実がいつも正当なものであると、誰に断言することができるのだろうか?
これは一例でしかない。ほかにも真実が牙を剥いてくるケースは非常に多く、それは常に致命的な悲劇の源泉でもあった。
ナルホドくんの師匠(綾里千尋)の死、その師匠の先輩の毒殺未遂。悲劇の数は枚挙にいとまがない。
真犯人たちも死にものぐるいだ。真実を暴かれようとすれば、殺人を犯すこともいとわない。
ハッキリと言わせてもらうがナルホドくんやマヨイちゃんが結果的に生きているのはメインキャラクターであるからでしかない。ふたりは何度も危険な状態に陥っている。仮にふたりがサブキャラクターだったとしたら、どこかのタイミングで殺されていたのは容易に想像できる。
自分や身内を危険に晒してしまうなら、真実を追求することはそれほどまでに価値のあることなのだろうか?
おそらくこの疑問への完璧な結論は存在しない。完璧に答えられるのは法の女神くらいのものなのだろう。
しかし完璧とは言わないまでも、作中の行動を見るにナルホドくんやミツルギは、一定の結論をすでに導きだしているようだ。
すなわち──ふたりの行動理念は以下である。
真実はときに凶暴なものであり、あるいは自分や身内を害するかもしれないが、それでも真実の追求を已めるだけの理由にはなりえない
なぜなら真実を隠してしまえば、それと呼応するように罪悪が隠されてしまうからである
それは無実の善人が冤罪を着せられること、卑劣な悪人が世の中にのさばることを意味しており、ゆえに目の前にどんな苦難があろうとも、真実を追求するために邁進しなければならないのだ
わたしは作中のふたりの行動がこのような文脈を持っているように感じたのである。
追求:超常への追随
個人的に好きなシーンがある。
それはあるキャラクターがナルホドくんに彼の師匠の面影を見るシーンである。
この表現は主に漫画に使われがちなもので、主人公が師匠の領域に到達したことを意味している。逆転裁判のこのシーンもその文脈にある。
しかし、このシーンはもうひとつ──逆転裁判だけの重要なメッセージを含んでいると感じるのだ。それは逆転シリーズの重要な要素。すなわち霊媒と密接に関わっている。
ナルホドくんと師匠がかさなる、まさにその一瞬──霊媒の里のテーマのイントロが聴こえるのである。
これはどう言うわけだろうか。たしかに師匠の出身は霊媒の里である。しかしナルホドくんに霊媒ができるわけではない。それならこの瞬間に流れるべきなのは霊媒の里のテーマではありえないはずである。
つまりこの演出は、ひとつの事実を示している。
それは“真実を追求するその姿勢”は、霊媒のような超常現象に匹敵するということである。
この解釈は突飛なものだろうか?
わたしはそうは思わない。これまで見てきた。
ナルホドくんの奇想天外な独創性を。ミツルギの怜悧な推理を。狩魔冥の内心の強がりを。神之木荘龍の執念の苦みを。
誰もが真実を追求するために戦っていた。誰もが自分の言葉を信じていた。
ときには躊躇を感じるかもしれない、ときには弱気に捕まえられるかもしれない。しかし、だからこそナルホドくんたちは指を突きつける。
そして自分たちの真実を通すために、法廷で声高に叫ぶのだ。