1992年の文鮮明教祖来日に金丸信副総裁(当時)ら政界が便宜(2023年4月6日に公表された韓国の外交文書で確認)
世界制覇を志向する教団は、草創期から、世界中で(韓国でも日本でも米国でも国連でも)様々な手段を用いて政治家に近づき手懐けてきたようです。
日本では岸信介元首相が国際勝共連合の設立を支持して以降、半世紀以上に渡って清和政策研究会(岸派→福田派→安倍派→三塚派→森派→町村派→細田派→安倍派)が旧統一教会と親しかったようですが、自民党の他の派閥に属する政治家にも旧統一教会との濃厚接触者は多数いたようです。旧統一教会に関わる昨今の報道の中で、例えば、30年前、法務省に圧力をかけて教祖を無理矢理入国させた金丸信の武勇伝が取り上げられています。
教祖の入国を実現するために選挙協力が本格化
【TBS報道特集 2022年10月22日放送】
1978年の来日以降、教祖の入国は許可されませんでしたが、教祖がアメリカで懲役一年六月の判決を受けて服役(入管法第五条の上陸拒否事由に該当)した後、教祖の入国は不可能となっていました。
事態を打開するべく、国政選挙における滅私奉公をはじめとして、中曽根政権に対して教団はロビー活動を続けたようですが、教祖の来日が実現しないまま、1987年には中曽根裁定により(安倍晋太郎でななく)竹下登が内閣総理大臣に就任しました。安倍晋太郎の体調が悪化する中、教団は金丸信(副総裁)に急接近したようです。
金丸信の強力なバックアップを受け、田原隆 法務大臣の特別許可で1992年3月26日に教祖は入国を果たしました。自民党議員による招待の形をとり、入国理由は「議員の会との懇談」とされていましたが、入国後は各地の信者集会に出席し、株式会社ハッピーワールド(旧 幸世商事株式会社)(旧 世界のしあわせ株式会社)等の(霊感商法)関連企業も訪問したそうです。政府は、事前に提出した予定表にない行動を許し、自ら統一協会や霊感商法にテコ入れをしたと非難されたようです。
30年前も(今日と変わらず)《ああ言えば上祐》な統一教会の広報部は、教祖の来日に対する抗議について「文師の来日に対し、生きた神の存在を信じない共産主義者らによる一部の反対があることは大変遺憾だ。」と述べたそうです。
尚、金丸信は1992年3月20日に足利市の市民会館大ホールで右翼団体構成員に拳銃で狙撃されましたが、この事件がきっかけとなり、2年後に警護要則が改正されたそうです。
また、この事件で発射された銃弾3発は金丸信には当たりませんでしたが、今回の銃撃事件を受けて、約30年ぶりに警護要則が改正されるそうです。
金丸副総裁が来日中の文鮮明師と会談
1992.03.31 読売新聞 東京夕刊 2頁
自民党の金丸副総裁は三十一日昼、都内のホテルで来日中の世界基督教統一神霊協会(統一教会)の創始者、文鮮明師と会談した。
会談の内容は一切明らかにされていないが、文師は昨年暮れ、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪れ、金日成主席と会談しており、また金丸氏も一昨年秋にやはり訪朝していることから、南北対話の見通しや日朝国交正常化交渉の成り行きなどを中心とした朝鮮半島情勢に大半の時間があてられた模様だ。
世界基督教統一神霊協会の文鮮明氏と金丸氏会談
1992.04.01 毎日新聞 大阪朝刊 2頁 2面
自民党の金丸副総裁は31日、都内のホテルで世界基督教統一神霊協会(統一教会)の文鮮明氏と約2時間会談した。会談の詳細は明らかでないが、文氏は昨年12月に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問、金日成(キム・イルソン)主席と会談しており、朝鮮半島問題が話題にのぼったものとみられる。
竹下元首相・渡辺副総理会談/金丸自民党副総裁・文鮮明氏<統一教会>会談
1992.04.01 毎日新聞 東京朝刊 2頁 2面
竹下元首相は31日夕、韓国訪問から帰国後、都内で渡辺副総理・外相と約40分間会談した。竹下氏は盧泰愚(ノ・テウ)大統領との会談について説明した。
自民党の金丸副総裁は31日、都内のホテルで世界基督教統一神霊協会(統一教会)の文鮮明氏と約2時間会談した。会談の詳細は明らかでないが、文氏は昨年12月に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問、金日成主席と会談しており、朝鮮半島問題が話題にのぼったものとみられる。
文鮮明師の入国に抗議 原理運動被害者父母の会など
1992.03.31 朝日新聞 東京朝刊 30頁 2社
世界基督教統一神霊協会(統一教会)の創始者文鮮明師の入国に抗議して、全国原理運動被害者父母の会(本間てる子会長)や全国霊感商法対策弁護士連絡会(事務局長・山口広弁護士)などが30日、衆院第2議員会館の会議室で緊急集会を開いた。
文師は、自民党の国会議員でつくる「北東アジアの平和を考える国会議員の会」の招きにより26日に来日した。集会では「『親泣かせの原理運動』『霊感商法』などをすすめているのが『統一教会』の姿」とし、「法務省は直ちに入国許可を取り消し、国外退去の措置を取ることを要求する」などの決議を採択し、法務大臣あてに「申し入れ書」として届けた。
○統一教会広報部の話
文師の来日に対し、生きた神の存在を信じない共産主義者らによる一部の反対があることは大変遺憾だ。
金丸氏と統一教会の文教主が会談
1992.04.01 朝日新聞 東京朝刊 4頁 政治
自民党の金丸信副総裁は31日、来日中の世界基督教統一神霊協会(統一教会)の文鮮明教主と都内で約2時間会談。双方の希望で実現。文教主は30日には自民党の「北東アジアの平和と安全を考える国会議員の会」(世話人・加藤武徳参院議員、約30人)のメンバーとも会談した。
九州産学官協力会議、「統一協会が運営」と霊感商法対策弁連
1992.03.07 西日本新聞 朝刊 30頁 19版30面2段
高額なつぼや印鑑を売り付ける霊感商法問題に取り組む弁護団「全国霊感商法対策弁連」が六日、福岡市で全国集会を開催。席上、九州の官、学、財界などのトップが役員を務める「九州産学官協力会議」が、霊感商法と関係が深いといわれる世界基督教統一神霊協会(統一協会)によって運営されている、と指摘。同会議の役員約百八十人に、入会動機などをただす質問状を送ったことを明らかにした。
弁護団によると、同会議は昭和五十四年八月に発足。九州の地域振興を掲げ、学者らによる先端技術の講演会を開催、技術者の九州へのUターン就職を促す情報誌「九州技塾」を発行するなどの活動を続けている。同会議事務局の実態は、統一協会のメンバーが事務局長を務めるなど統一協会が深く関与しているとしている。
役員への質問状は(1)同会議の役員として名を連ねているのは本人の意思か(2)同会議は事実上、統一教会が運営していることを承知で役員になったのか(3)今後、同会議に対し、どう対応するのか-について文書での回答を求めている。
同弁連は今後も統一協会に「違法な伝道、資金集めをやめよ」と働きかけていく一方で、同会議役員に対しては、質問状の回答を見たうえで、今後の対応を決める考え。
▼久原潤三・九州産学官協力会議事務局次長の話 事務局長と私が統一協会員なのは事実だが、個人的な宗教の信念と、会議の運営とは無関係だ。会議事務局と統一教会の九州支局は同じビルに同居しているが、事務局メンバーが信者で占められることはなく、布教活動もしていない。
「霊感商法」の統一協会教祖/文鮮明が来日工作/ビザ申請「言論人会議」口実に
2001.01.13 しんぶん赤旗 日刊紙 15頁 社会
霊感商法や違法伝道で知られる統一協会教祖・文鮮明が日本入国を工作、すでに査証(ビザ)申請をしていることが十二日、わかりました。文は出入国管理法などで法律上は入国できない立場。政府の対応が注目されます。
表向きの来日理由は、十五日から東京で開く「第十八回世界言論人会議」への出席。外務省外国人課は「会議出席目的の査証申請は在韓大使館にでているが、今後の対応はプライバシーの関係でいえない」、法務省入管局は「実際に上陸許可が申請されれば、それから慎重に対応することになる」としています。
文鮮明は過去、アメリカで懲役一年六月の判決(脱税など)を受けて服役しており、入管法第五条の上陸拒否事由に該当しますが、一九九二年三月、自民党の金丸信副総裁(当時)の強力なバックアップを受け、法務大臣特別許可で入国しました。この時は、自民党議員の招待の形をとり、当初の入国理由は「議員の会との懇談」としていました。入国後は各地の統一協会信者集会に出席し、ハッピーワールドなど霊感商法企業も訪問。「事前に提出した予定表にない行動」(法務省担当者)を許し、「政府みずから統一協会や霊感商法にテコ入れをした」との強い批判を浴びました。
「言論人会議」は、「文師の提唱によって」(統一協会宣伝誌『新天地』)開かれるもの。統一協会によるマスコミ、言論界工作の舞台とされています。今回は、十五日から十七日まで新宿区のホテルで開き、元米国務長官らが講演するとしています。
全国霊感商法対策弁護士連絡会の山口広事務局長(弁護士)の話 言論人会議の開催は統一協会の宣伝、組織強化や霊感商法などの被害拡大につながる。それに文鮮明が出席すれば被害拡大に拍車をかける危険がある。政府は絶対に入国を許可すべきでない。
出入国管理及び難民認定法第五条 次の各号の一に該当する外国人は、本邦に上陸することができない。(中略) 四、日本国又は日本国以外の国の法令に違反して、1年以上の懲役若しくは禁錮又はこれらに相当する刑に処せられたことのある者。…
Japan Policy Research Institute Working Paper No. 83 (December 2001)
Kishi and Corruption: An Anatomy of the 1955 System
by Richard J. Samuels
In 1967, Sasakawa invited the Unification Church to use his motorboat racing center in Yamanashi prefecture for its first rally in Japan. The following year, three months after the Reverend Moon established his "Federation for Victory over Communism" (Shokyo Rengo) in Korea, Sasakawa agreed to become its honorary chairman in Japan. Kishi was impressed by the Federation, suggesting that "If all younger people were like Shokyo Rengo members, Japan would have a bright future." In this way, Sasakawa and Kishi shielded what would become one of the most widely distrusted groups in contemporary Japan.
Although loathed and feared for its alleged kidnappings and mind control of young Japanese, the Unification Church proved (and may still prove) to be of incalculable benefit to many Japanese politicians. By the early 1970s, a number of LDP politicians were using Unification Church members as campaign workers. While the politicians were required to pledge to visit the Church's headquarters in Korea and receive Reverend Moon's lectures on theology, it did not matter whether they were members of the Church. Actual Church members -- so-called "Moonies" -- were sent by the Federation to serve without compensation as industrious and highly valued campaign workers. In return, for many years the Church enjoyed protection from prosecution by Japanese authorities for their often fraudulent and aggressive sales and conversion tactics. Not incidentally, by the 1980s, Japan reportedly provided some four-fifths of Unification Church revenues worldwide.
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