『アジアに偉大なる指導者現る。その名は文鮮明である。』福田赳夫 元首相(当時は大蔵大臣)のスピーチ @「希望の日」晩餐会(1974年5月7日 帝国ホテル 孔雀の間)
「希望の日」晩餐会 1974年5月7日 帝国ホテル 孔雀の間
アジアに偉大なる指導者現る。その名は文鮮明である。
私はこのことを伺いまして久しいのでありますが、今日は待ちに待った文鮮明先生と席を同じくし、かつ只今は文先生のご高邁なご教示にあずかりまして、本当に今日はいい晩だなと、気が晴れ晴れしたような感じがいたすのであります。
今日は文先生から『お前らは神の子である』という激励を受けまして、少し何か偉くなったような感じもいたします。私は『この神の子である』というのは、世の中の為に大いに奉仕していく、また、そういう気持ちになった日本人個々を育て上げなさいと、こういうことであろうと受け取りました。
今日は文先生、本当に立派なお話を承りまして有難うございました。心から御礼を申し上げます。
旧統一教会と自民の密接な関係 岸信介氏から始まった3代の因縁
毎日新聞 2022/9/15 06:00(最終更新 9/15 21:02)
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と自民党の密接な関係は、27日に予定されている安倍晋三元首相の国葬にも影を落とす。あらためて「安倍家3代」と教団との「因縁」を探った。【源馬のぞみ】
「3代のお付き合い」
「この信頼関係ができたのは、一朝一夕の話ではないんです」
昨年10月、教団の渋谷教会。教団の関連団体「天宙平和連合」(UPF)ジャパン議長で、旧統一教会系の政治団体「国際勝共連合」の会長でもある梶栗(かじくり)正義氏はこう語り、安倍氏の祖父・岸信介元首相と父・安倍晋太郎元外相に連なる「3代のお付き合い」「3代の因縁」を強調した。ジャーナリストの鈴木エイト氏が映像を入手した。
安倍氏はその1カ月前、UPFが主催したイベントに「韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁に敬意を表します」と語るビデオメッセージを寄せ、統一教会を創設した故・文鮮明(ムン・ソンミョン)氏の妻で教団トップの韓総裁をたたえていた。
岸氏の時代
梶栗氏が話したように、旧統一教会と安倍家3代との関係は長く、深い。
教団は1954年、文氏が韓国で創設した。日本では1964年に宗教法人として認証された。教団系出版社が刊行した「日本統一運動史」によると、教団は同年、岸元首相の自宅(東京都渋谷区南平台町)の隣に下北沢から本部教会を移した。岸政権時代に首相公邸だった建物を使っていたという。
1968年には「共産主義からの解放」を掲げる教団系の政治団体「国際勝共連合」が設立された。名誉会長には右翼の大物として知られる日本船舶振興会会長の笹川良一氏が就任した。
「運動史」によると、岸氏は1973年、教団を訪れ「笹川君が統一教会に共鳴して『私が陰ながら発展を期待している純真な青年の諸君だ』という話を聞き、礼拝の後に参りお話ししたことがありました」とあいさつしたという。
統一教会や勝共連合の初代会長を務めた久保木修己氏も著書で「岸先生は、しばしば統一教会や勝共連合の本部に脚を運んで下さいました。先生と私たちには共有できる精神的連帯がありました」「岸先生に懇意にしていただいたことが、勝共運動を飛躍させる大きなきっかけになった」などと回想している。
共産党が1972年衆院選で38議席、1979年衆院選で39議席を獲得するなど躍進したことで、自民党は危機感を強めた。こうした選挙結果を背景に「反共」を掲げる勝共連合との関係も1970年代に強まったとみられる。
1974年には教祖の文氏が来日。岸氏の系譜を受け継ぎ、後に清和会(現安倍派)を創設する福田赳夫蔵相(当時)が「アジアに偉大な指導者あらわる。その名は文鮮明」とあいさつし、文氏と握手している。
勝共連合が発行する「思想新聞」によると、岸氏は1985年に韓国で開かれた「国際勝共決起大会」に「私のもっとも尊敬する一人である文(鮮明)先生は、民族をこえアジアと世界のために粉骨砕身、努力してこられました」とのメッセージを寄せたという。
教団側が自民党の選挙を支援していた記録も残る。「思想新聞」は、1986年の衆参同日選に向けて「保守圧勝を」「あなたにもできる選挙活動」と訴え、選挙事務所での手伝いや電話での投票依頼などを紹介した。自民党は選挙に圧勝。同紙は「勝共推進議員130人が当選」と大々的に報じた。
だが、日本では1970~1980年代、教会が絡むいわゆる霊感商法や大規模な合同結婚式などが社会問題化。1987年7月には、共産党が国会で中曽根康弘首相(当時)に「霊感商法の背後に統一教会、勝共連合があることは明白」などと追及し、中曽根氏が「思想と行動の自由に対する重大な侵犯発言だ」と応じる場面もあった。
晋太郎・晋三氏の時代
1987年8月に岸氏が死去すると、同年10月に自民幹事長に就任した娘婿の安倍晋太郎氏がしばしば「思想新聞」に登場するようになる。
同紙によると、晋太郎氏は1988年、勝共連合の新春懇談会で「勝共連合の皆さんには大変お世話になっている」とあいさつ。1989年の「勝共推進議員の集い」でも「勝共運動とともに自由主義体制を擁護していかなくてはならない」と述べたという。
1991年に晋太郎氏が死去すると、同紙は「勝共推進でも先頭に」「氏は陰に陽に本連合に対し支援、助言を行ってきた」などとする評伝を1面に掲載した。
晋太郎氏の後を継ぎ、1993年衆院選で初当選を果たした晋三氏は小泉政権下で官房副長官、党幹事長、官房長官を務めるなど着実に政治家としてのキャリアを積んだ。2006年には、官房長官だった安倍氏は教団のUPFの会合に祝電を送っている。まもなく安倍氏は首相に就任するものの1年で辞任。2年後の2009年には自民も野党に転落した。
2012年に自民が政権に復帰し、第2次安倍政権が始まると、勝共連合と関係が深い雑誌「世界思想」の表紙を安倍氏が何度も飾るようになる。
同誌2018年6月号の特集「歴代内閣を格付けする」では、第1~4次安倍内閣を吉田茂、岸信介、中曽根康弘の各内閣と同じAランクと評し、「わずか1年でおびただしい実績を上げた第1次安倍政権」「日米同盟基軸の外交とアベノミクスで存在感示す」などと安倍氏を称賛した。
第2次安倍政権下の2015年には、清和会に所属する下村博文文部科学相(当時)が世界平和統一家庭連合への名称変更を許可している。
多くの自民関係者が、教団側ともっとも深くつながっていたのは安倍氏ら清和会だと証言する。旧統一教会との関わりを認めたある自民党議員は「安倍さんは統一教会とのかかわりにおいては、親玉みたいな存在。国葬は筋が悪い」と話した。
「希望の日」晩餐会 1974年5月7日 帝国ホテル 孔雀の間
敬愛する諸先生の皆様。待ちに待ったこの場におきましてお会いすることができましたことを心より感謝申し上げます。
人間は、食べることと、見ることによって喜びを感ずるのであります。今日、こういう風に、食べたり、いろいろな環境を見ているのですが、私たちのために音楽や歌、ピアノを聞かせて下さった人達にも感謝の拍手をお送り下さることをお願い申し上げます。
諸先生方におきましては、統一教会の創立者としての、文鮮明という人物に対して、いろいろな疑惑を持っておった方がおられると思います。今日、このようにして諸先生をお迎えしましたこの本人が、いわゆる文鮮明という人物でありますから、皆さん、よくよく御判断をお願い申し上げます。
私は、敬愛なる諸先生方を心より愛するものであります。
...中略 ...
どうか今後日本共に日本におきまして統一教会の久保木会長もいるんでありますけれども、この若い者達が成すことにいろいろ欠点もありましょう。年寄の先生方では、いろいろな方面で指導なさいまして美しい日本、これは希望をもつ日本、世界が頼りとする日本、アジア全ての弱小国家が崇拝する日本となるためにはこの「ために存在する」ところの鉄則を個人より社会、国家全ての民族を越えて世界にその影響を世ぼす日本となるとするならば、まちがいなく日本の国が、世界を指導するでありましょう。もしも、アジアのいかなる小さなる国がこういう原則を先立っていたとするならば、その国によって世界は指導されると思うのであります。だからこういうような立場からみたためにそれは結果してアジアの為、世界のために総動員してこういうような理想郷を今から開拓するそういう道を得るように各自が努力するという決意を固めたとするならば、わたくしの話によってこれ以上の栄光ないと思いながら皆様の将来の健康とともに家庭あるいは社会のその成功を祈りながらその神の御好なる愛が共に成することで思いつつわたくしの話を終わりたいと思います。
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