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投下後79年余を経ても地中に潜む戦争の亡霊(500ポンド爆弾)-宮崎空港でJAL688便が誘導路を通過した2分後、離陸に向け滑走し始めた1分後に爆発(不発弾)

概要

東京(羽田空港)行の日本航空688便(JA331J、ボーイング 737-800)(海側に最も近いS7誘導路の一つ手前の)S6誘導路を通過した約2分後滑走路上で一旦減速(あるいは停止)し(山側へ向かって)滑走を開始した約1分後にS6誘導路の隅で不発弾が爆発した(爆発時には既に離陸していた)ようです。

「舞いあがれ」滑走路のヒミツ!離着陸の方向はどう決まる?

宮崎空港の滑走路

陸 → 海  ほぼ真東(  90度)RWY 09
海 → 陸  ほぼ真西(270度)RWY 27

旧S6誘導路が廃止された後に撮影された写真
旧S6誘導路が廃止される前に撮影された写真

(※ 旧S6誘導路は2021年1月28日に廃止され、S7がS6、最も海寄り(東側)のS8がS7と改称されました。)

宮崎空港の誘導路変更
宮崎空港
日々ブログ MORIMORI @宮崎県

航空大学校のカメラ

航空大学校の定点観測カメラ
(進行方向の右側(誘導路の隅)に
不発弾が埋まっていた)S6誘導路をタキシング中
誘導路から滑走路へ左折して
滑走路上で一旦減速(あるいは停止)
誘導路から滑走路へ左折して
滑走路上で一旦減速(あるいは停止)
航空大学校のカメラの視野から
滑走を開始した機影が消えた後、不発弾が爆発
航空大学校のカメラの視野から
滑走を開始した機影が消えた後、不発弾が爆発
航空大学校のカメラの視野から
滑走を開始した機影が消えた後、不発弾が爆発

宮崎放送(MRT)の情報カメラ

宮崎放送のライブカメラ(ターミナルビルの屋上(?)から撮影した海岸方向の映像を配信中)
(進行方向の右側(誘導路の隅)に不発弾が埋まっていた)S6誘導路をタキシング中
宮崎放送のライブカメラの視野から
滑走を開始した機影が消えた後、不発弾が爆発

※ YouTube で配信されている宮崎放送のライブカメラで撮影された映像にはタイムスタンプ(時刻)が表示されていません。(ネットワーク・レイテンシーが大きい環境にいる視聴者から加工・検閲された映像が配信されているのではないかといった突っ込みが入らないよう、タイムスタンプ(時刻)を表示していないライブカメラは少なくありません。)

太平洋戦争(大東亜戦争)末期に(斬り捨て御免の出城として)海と空と陸から鉄の雨が降り注いだ沖縄では、毎年、多数の不発弾が発見され、処理され、稀に爆発していますが

米軍の絨毯爆撃に晒された北海道・本州・四国・九州においても、終戦から79年余りが経過した現在でも、毎年、多数の不発弾が発見されています。(終戦後しばらくの間は、遊んでいる最中に不発弾に触れた小さな子供達が大怪我をしたり亡くなることも珍しくありませんでした。)

例えば、高知県+不発弾で検索してみると、下記の通り、多数の不発弾に関する記事がリストアップされます。

注意

当農学部構内は旧海軍航空隊跡地で終戦時、投棄された弾丸類が、その後構内の地下及び井戸から発見されており、発見個所については一度除去されましたが、いまだ全般にわたって絶対安全であるという保障はありません。

したがって、今後とも井戸さらえその他構内の土堀り作業等にあたっては十分に注意し、もし弾丸又は類似のものを発見した場合は、これに触れることなく速やかに会計係の届け出てください。

昭和五十一年十二月 高知大学農学部長

本土空襲には集束焼夷弾(油脂焼夷弾を束ねた(一種の)クラスター爆弾)が広範に使用されましたが、軍事目標に対しては大型の汎用爆弾が投下されました。

E46集束焼夷弾(模型)1945年3月10日の空襲で主に使われた焼夷弾。中にM69油脂焼夷弾が38本納められており、空中で尾翼部分にある信管が作動してバラバラになって落ちてくる。

東京大空襲・戦災資料センター
不発弾とはどういうもの?
昭和20年2月10日の空襲でB29より投下された500ポンド(約250キロ)爆弾の実物です。目標である中島飛行機太田製作所を大きく外れて、不発で畑に埋まっていました。戦後、地区の古老の証言によって地中約5メートルの深さから掘り出され、自衛隊が信管を抜いて無力化したものです。

#43発の不発弾 太平洋戦争の空襲による不発弾の謎に迫る。かつてここに「中島飛行機製作所」があったが、昭和20年2月10日の空襲で壊滅した。戦後、進駐した米軍が空襲の効果を調査し、地図に43発の不発弾を記録した。それは長い間、封印されていたのだが…

不発弾とはどういうもの?

昨日の午前8時前に誘導路の隅に埋没していた500ポンド爆弾(総重量のほぼ半分がトリニトロトルエン(TNT)またはアマトール(Amatol、トリニトロトルエン(TNT)と硝酸アンモニウムからなる混合爆薬))が爆発した宮崎空港は、太平洋戦争中に赤江飛行場(海軍の飛行練習基地)として開設されました。

宮崎空港は、昭和18年に旧日本海軍赤江飛行場として誕生。昭和20年には、連合軍に接収され、航空活動が禁止されました。その後、民間航空活動の再開の道が開かれると、宮崎でも空港誘致の気運が高まり、昭和29年の10月に航空大学校の訓練飛行場として、使用されるようになりました。

同年12月には民間航空機による定期便(大阪~宮崎)が運航され、宮崎空港が開港しました。最初の写真は、昭和34年のもので、まだ空港として未整備であることがわかります。昭和41年には、1,500mだった滑走路が1,800mに延長され、地方空港では最初にジェット機が就航するなど、まさに空の玄関にふさわしい整備が行われてきました。

さらに、年々増加する乗降客に対応するために大型ジェット機の就航が必要となり、昭和57年に運輸省は、滑走路を2,500mに延長し、ターミナル部分を拡大する計画を策定しました。中央の写真は、滑走路が延長される前、昭和50年の空港です。 平成2年には、この計画に基づく工事が完成し、新しい宮崎空港が誕生しました。

平成11年には、国際化に対応するために、CIQ(税関、入管、検疫)関連施設を備えた国際線施設を増設しました。そして、早ければ平成13年6月にも、初めての国際定期便(宮崎~ソウル)が就航する予定になっています。右の写真は、平成11年のものです。

宮崎空港
昭和34年
昭和50年
平成11年

戦争末期には出撃基地となり、大勢の通常攻撃隊員や特攻隊員が任務に飛び立ち帰らぬ人となりました。

戦争末期に米軍の激しい爆撃にさらされた宮崎空港とその周辺にはいまでも多数の不発弾が埋没しているようです。

8月8日(木)午後に起きた大きな地震(最大震度6弱、震源は日向灘)が引き金となったのか、宮崎空港が開港してから70年の間に航空機の離着陸時や誘導路走行時に発生する振動の影響が積み重なったのか

日本物理探鑛株式会社・田中剛さんは「九州と沖縄は(投下後、一定の時間が経過すると爆発する)時限式爆弾が使われた地域。信管の作動を止める留め金を化学物質で溶かして起動する特殊構造(化学式時限信管)。留め金が劣化したか、壊れて作動してしまった可能性が考えられる。」と話す。

東京(羽田空港)行の日本航空688便(JA331J、ボーイング 737-800)(海側に最も近いS7誘導路の一つ手前の)S6誘導路を通過した約2分後滑走路上で一旦減速(あるいは停止)し(山側へ向かって)滑走を開始した約1分後にS6誘導路の隅で不発弾が爆発した(爆発時には既に離陸していた)ようです。

航空大学校の定点観測カメラ
航空大学校のカメラで撮影された映像

(※ 下記に引用した写真に映っている旧S6誘導路は2021年1月28日に廃止され、S7がS6、最も海寄り(東側)のS8がS7と改称されました。)

宮崎空港付近の空中写真(2017年撮影の6枚より合成作成)

空港の東側が埋め立てられ、延長された滑走路の東端が海に突き出ている現状をみれば、S6誘導路の周辺が以前は海岸であったことは容易に推測されます。不発弾は現在の地表面のかなり下に隠れた砂浜に埋もれていたのかもしれません。

約80年前の米国製の不発弾と判明 なぜ爆発? 時限式の可能性も…宮崎空港の誘導路陥没
(2024年10月2日)
約80年前の米国製の不発弾と判明 なぜ爆発? 時限式の可能性も…宮崎空港の誘導路陥没
(2024年10月2日)

爆発後間もなく滑走路が閉鎖され、宮崎空港に近づいていた到着機は出発地へ戻ったり、目的地を福岡空港に変更しました。

開港時、宮崎空港にはもう一つ滑走路(現在の滑走路と斜めに交差する滑走路)がありましたが、1980年までに廃止されました。現在の滑走路は段階的に(近年では沿岸を埋め立てて)延長されてきましたが、S5誘導路が滑走路の全長が1,300m / 1,500mのときのランウェイエンド、2021年に廃止された旧S6誘導路が1,800mのときのランウェイエンド、S6誘導路が1,900mのときのランウェイエンド、S7誘導路が2,500mのときのランウェイエンド(現状)に当たるそうです。

不発弾が埋没していると推測される場所で土木工事・建設工事を行う際には工事に先立って磁気探査等を行うそうですが、空港ビルや駐機場周辺に比べ滑走路や誘導路は精査されなかったのでしょうか...

宮崎空港にはNHK朝ドラ「舞いあがれ」に登場した航空大学校(本校)が併設されており、小型機(練習機)も頻繁に離着陸しますが

JA8094's 航空機 Diary

離着陸する航空機が不発弾の爆発に巻き込まれなかったのは不幸中の幸いでした。陸軍・海軍の飛行場から転じた空港は宮崎空港の他にも沢山ありますが、予算と時間があれば、再度、地中を精査していただきたいと思います。




宮崎空港のエプロン(駐機場)
宮崎空港のエプロン(駐機場)

宮崎放送のライブカメラはターミナルビルの屋上(?)から撮影した海岸方向の映像を配信中
不発弾が爆発した瞬間

宮崎放送のライブカメラ
で撮影された映像

駐機場で給油中の機体は(おそらく)JA223J(エンブラエル E170)。日本航空(J-AIR)3621便として福岡空港から宮崎空港へ飛来し、日本航空(J-AIR)3622便として福岡空港へ折り返す準備中、不発弾が爆発し滑走路が閉鎖されたため、当便は欠航。翌朝、日本航空(J-AIR)3620便として福岡空港へ向け宮崎空港を離陸。


航空大学校の定点観測カメラ
航空大学校のカメラで撮影された映像

1945年の米軍史料より基地全体写真
(北東の河口側に3本目の滑走路が工事中)
昭和22年の米軍航空写真
昭和49年の航空写真
(現在の滑走路と斜めに交差するB滑走路も運用中)
宮崎空港付近の空中写真(2017年撮影の6枚より合成作成)

(3年前に廃止された旧S6誘導路が写っています。)

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