BRAHMAN 六梵全書 Six full albums of all songs 2024.11.4
余韻が凄い。
その名の通り、6枚のアルバムの全曲72曲を4時間でやりきるというもはや超人レベルのライブだったが、何が凄いって、全曲全フレーズ一切抜かずに歌い切って、演奏し切っていたこと。しかもぶっ続け。行った人はわかっていることだが、途中3回だけ2分くらいのSEが流れる(実質的な)休憩があったが、それ以外はずっとぶっ続け。
「幕が開くとは終わりが来ることだ。一度きりの人生の中で、まだ俺たちは終わりが来るってことを知らない。なのに、いつか必ずその終わりが来る。だから、誰よりも、高く高く飛ぼうと思ってやってきた。深く深く、みっともなくても這いずりまわってやって来た。30年は30年という塊じゃない。その1年1年、1日1日、1秒1秒。今日やる4時間72曲というのは72曲という塊じゃねえ。1曲1曲の、大事な物語だ。4時間後、ここに立ってるかどうかわからねえ。あんたらもそうだ。でも、そんなのは知ったこっちゃねえ。ずっと全力でやって来たんだ。さあ、幕が開くとは終わりが来ることだ。一度きりの意味を、俺たちが、問う。30年分のBRAHMAN、始めます」──TOSHI-LOW
「4時間後、ここに立てていられるかはわからねえ。けどそんなこと知ったこっちゃねえよ!ずっと全力でやってきたんだ!」この「ずっと全力でやってきたんだ!」という言葉が、ずっとずっと、心に響いている。
BRAHMANの、トシロウの全力は、ただライブのことだけを言っているのではない。
見切れ席でしか見れなかった人に、ライブ後半に「下に降りて見に来いよ!」と言い切る強さ。
おそらくは転売のことを見越して当日券が出ることをギリギリまで伏せて、どうしても見たくて来た人を抽選としながらも120数名全員当選させる。当日券のひとはスタートの18時半に入場させる。
だから、10分押して始まったんだと、私たちは後で知り、感動する。
全力っていうのは、ただがむしゃらにライブをやるということだけではなくて、全方位に目を配り気を配るその配慮。
こんな伝説のライブ、チケット代は1万円以上して当然なのに、6666円というその値段。(ちなみにライブ終了後発表されたツアーのチケット代は3500円。震災後の幕張メッセは2000円だったらしい)
惚れてまうやろ?
そんなもん。
「4時間後、ここに立てていられるかはわからねえ。けどそんなこと知ったこっちゃねえよ!ずっと全力でやってきたんだ!30年分のBRAHMANはじめます!」
泣くやろ?
そんなもん。
私はステージ向かって左の見切れ席で見ていたんだけど、途中インストがあって、トシロウがステージから左側のほうに捌けていったんだけども、私のところからは見えるところにいて、座り込んでいたんだよね、とても辛そうに。
で、スタッフがちょっと集まってきていて、「え?え?」みたいな。私はね。(途中までその曲がインストであることに気付かなかった)。スタッフは見切れ席から見えるのを隠すためっていうのもあったと思うんだけど、普通に心配になって集まっているようにも見えた。
横からライブを見ることなんてほとんどないんだけど、そのあとはしばらくちょっと、去年ロック界で起こった悲しい出来事も頭を過ぎり、トシロウ死ぬな!と半分本気で心配しながら見ていた。ライブなんて途中で辞めていいから、とにかく生きていてくれ。お前まで死んでしまったら、日本のロック界が暗闇に包まれてしまう。
この、ステージ横の見切れ席だからこそ見れた、ライブ曲間のトシロウが座り込んでいる姿は、ああ、トシロウも人間なんだなという当たり前のことを教えてくれた。
こんなにも牽引し、人々に影響を与え、鼓舞し、他の誰にも絶対にできないライブを成功させてしまったBRAHMAN。
参加できて、本当に良かった。
BRAHMANを知れて、本当に良かった。
このライブだけではなく、BRAHMANは俺たちに生きる指針というか、魂の礎っていうと大袈裟かもしれないが、精神の根幹の部分に大切な何かを植え付けてくれている気がする。
絶対にああいうふうにはなれないんだけど、ずっとそっちの方を向いていたいというか、方向だけはね。
いやでも途中ね、行く前は「BRAHMANなら絶対にできる」と思って何の心配もしていなかったけど、ステージ袖で座り込んでいるTOSHI-LOWを見て、絶対なんてないな、彼らも人間だな、そしていつか終わりが来るんだなということを感じた。
だからこそ、出来る限り見ておかねば。