Day365 自分の人生に意味を見いだそう



今日で毎日投稿を始めて1年がたつ。まさか365日続くと思っていなかったが、自分なりに工夫しながら毎日投稿できるように習慣化することに成功した。この習慣はこれからもずっと続けていきたい。また、留学中はきちんと編集した面白い動画を別チャンネルにおいて投稿していきたい。留学中は研究者になるために必死に研究に打ち込む一方、英語、読書、YouTube、ブログ、遊びを頑張っていこうと思っている。


それはともかく、今日は私の卒論の研究動機、そしてこれからの修士や博士課程における研究テーマに関してについて書きたい。


私は高校の時に理数科に在籍し、周囲が物理とか数学を得意としている中、自分は文系で英語が得意だった。理数科であったため、必然的にクラス内で英語が常にテストで1番か上位にいることができた。また、理数科で英語ができるというだけで、学校の代表として県内の弁論大会に3回出たり、SSHの全国大会に参加したり、1週間アメリカにホームステイをしたりと、かなり機会に恵まれたと思っている。自分は英語できると、自信を持って振舞っていた高校時代が懐かしい。高校の3年間は陸上部に所属していて、毎年ケガをしたり県内で予選落ちしか経験したことがなく、反対に周囲の仲間たちは全国大会で優勝したり、関東大会やインターハイ、国体に出場するようなとんでもないメンバーであったため、自分でも正直入る部活を間違えたと思っている(笑)。中学3年間での陸上部での体験は極めてポジティブで充実していたので、それ以上の喜びを期待して高校でも陸上を続けたが、練習がきつすぎて、私の体には正直あっていなかった。陸上部での悔しさをすべてぶつけるために、英検準1級に高2の時に受かった。そしてセンター試験は英語で8割の得点を得ることができた。その時までは、自分は英語ができると思っていた。しかし、私が大学に進学して英語科出身の学生たちに出会って話を聞いたときに、センター試験でほぼ満点を取っているにも関わらず、話すことにおいてはクラスの中で底辺であり、周りには帰国子女が数人いたといって、「英語ができない」と自負している学生に出会った。私は理数科においてセンター試験英語8割で1番で調子に乗っていたが、大学に来て初めて、自分よりももっと英語ができる人達がクラス内の同級生の英語力に大きな影響を受けて自己効力感を下げてしまっているケースを見た。これが研究テーマの原点である。理数科に所属するか、英語科に所属するかで、英語学習に対する向き合い方が変わってくると私は感じた。


私も同じく、英語教育専攻に入学してみて、周囲には長期留学を経験している人や、小さいころから英会話をやっている人、インターナショナルスクールを出ている人、部活動をい一切やらず勉強1本で努力をしてきた人など、入学時点で英語力の格差を感じ、1年生の時は少し自信を失っていた。ゴリゴリに部活動に励み、普通に公教育で英語を勉強してきた人達にとっては、かなり苦しい状況であったと思う。英語教育専攻のセンター試験の英語の得点の平均はもちろん高いが、話すことに関しては、中高での英語学習の取組状況、または英語教育にかなり影響を受けていると感じた。英語専攻で周囲が英語に特化している中免許を取るか、数学や社会などの他の専攻に在籍しながら副免として英語の教員免許を取るかで、その人が気持ちよく英語を勉強できるかどうかが決まってしまうのではないか。


そして大学1年生のときに英検1級の1次試験を田舎で受けたとき、会場にはおじさんとおばさんと優秀そうな高校生が数人いた記憶がある。自分より年上または本当に優秀そうな数人の高校生が周りにいて、正直なんか嬉しかった。英検1級はやっぱり狭き門なんだと思っていた。がしかし、2次試験を東京に受けに行ったとき、私服の大学生である自分含めて2人くらいで、残りはみな制服を着た中高生だった。A日程で受けたため、20歳以下の人達が東京に集まったわけだが、それにしても、中高生の多さに驚いた。控室で流暢な英語でやりとりしている中高生たちを見て、自信満々に1次試験を受けていた自分の態度を改めようと思った。そこで初めて、帰国子女に出会った。かれらはおそらく、英語ができることが当たり前という前提のもと、専門性を身に付けようとしているのだろう。しかし私は英語がカタコトだし、小手先のテクニックで英検の1次試験に合格してしまったので、能力に格差を感じた。田舎で育った自分だからこそ、英検の2次試験のような会場で初めて帰国子女の大群を目の当たりにした。


また、同じ大学1年生の時にアメリカのサンフランシスコにおいてビジネスコンテストに参加する機会があった。そのときすでに英検1級に受かっていたので、ある程度自信はあったものの、英語ネイティブの人達を相手にすると、何言ってるか分からないし、そもそも何を話せばいいか分からなかった。専門性もないし、英語も全くできない。この体験をきっかけに、交換留学への申請をし、かつ洋書をたくさん読むようになった。交換留学は中止になり、代わりにカナダの大学院に進学するつもりであり、出発までは精一杯洋書や論文を読んでおきたいと思う。日本人相手またはALT、日本語を学習している英語圏の人とならうまくコミュニケーションはとれても、ガチの英語ネイティブと話すと本当に苦戦する。途中相手がフランス語を話しているというドッキリを仕掛けられているんじゃないかと本気で思うくらい、相手の言葉が理解できない場面がたくさんあった。


過去の英語学習をすべて振り返ってみて、中高までは、私の英語を学ぶ理由は不純だった。陸上部で上手くいかなかったから、またはほかのひとよりいい得点がとれるのが気持ちよかったから、英検の参考書が楽しかったからなどである。が、大学以降、帰国子女や英語ネイティブに出会って、上には上がいるということがわかってから、初めて純粋に長期留学をしたい、英語で本が読めるようになりたい、英語で本を書きたいと思えるようになった。狭い教室で日本ん人同士でくだらないマウントの取り合いに夢中になっていた哀れな自分に気づいた。


日本国内においては、英語を普段使う機会が狭い教室内に限られていて、しかもそこは30人程度の日本人で占められている。私の仮説だが、日本人の多くの中高生は、偶然であった30人程度の同級生と数年間一緒に英語を勉強し、その狭い環境で「自分は英語ができる、できない」を決めてしまうのではないか。本当に英語が得意または好きで、大学以降も英語を勉強して、英検を都会に受けに行ったり、海外に行って英語ネイティブと話してみたりしない限り、自分の英語力を図る指標が、狭い教室の周囲の仲間の英語力といった風に判断材料が限られてしまうのではないか。もちろん、周囲の英語力に影響を受けない人もいるだろうが、そういう人は、狭い教室の外の世界を知っていたり、留学生となかがよかったり、英語圏に特別何か特別な思いを抱いている人であるのではないか。大学に合格するため、いい評定や成績をとるためだけに英語を勉強するほとんどの日本人は、狭い教室で、たった30人40人の日本人の英語力を見て、自分の英語力を判断してしまうのではないか。


というわけで、私は研究者になって自己効力感の研究をして日本人の英語学習者の支えになれたらいいなと思っている。特に、英語が好き、または英語に興味はあるけれど、周囲の狭い人間関係によって自己効力感を下げてしまい、英語学習を辞めてしまうという生徒、学生を救いたい。英語は続けていれば、誰だってできるようになるのだから。日本の英語教育の仕組みやカリキュラム、教科書、入試の仕組みを変えることは不可能に近い。が、周囲の同級生と比較することで自己効力感が上下してしまうという事実(もし仮説が立証されれば)を知ってもらうだけでも、多くの生徒、学生を救うことが出来ると信じている。そうすれば、教師も成績重視から、英語を学ぶ目的、モチベーションを上げるための授業を多めに設定したりすることができるだろう。英語学習の仕方や授業の仕方ではなくて、気持ちの持ち方を少し変えるだけで、英語学習を継続するきっかけを作ることが、日本の英語教育にとって本当に必要なことなのではないか。ということで、卒論、修論、博論、それ以降の研究に励んでいきたい。


今まで英語教育を変える!!といった、無謀でかつ方法もわからない目標を高校3年生から掲げていたが、4年間自分なりに考えた末、英語学習のマインドセットなら無料で変えられることに気づき、だったらそこに焦点をあてて研究をするべきであると自分なりに結論づけた。変えられないものを嘆いているより、変えられるものに全力取り組んだ方が賢明であるだろう。と、思っている。明日からも毎日投稿を続けて、いつか日本の多くの英語学習者を少しでも多く救えるように、考えたことや本で読んだことをここでアウトプットしていきたい。


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