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行くさ。
「ikusa」
戦わずして勝つ。
戦わないのだったら勝ちも負けもないのではないか、とも思うが、戦いにも色々ある。
自分との戦い、恋敵との戦い、競合との戦い…
また何を勝ちとするかも価値観によって違う。
かつて、真田家が、井伊家が苦慮の上実行したように、ときに、真っ向から立ち向かわないことで守るべきものを守る、という"勝ち"がある。
それらは孫子"兵法"の教えの中核でさえあるように思う。
定義は変わり、常識は揺れる。
時代はいとも容易く、"当たり前"を"あり得ない"にし、"あり得ない"を"当然"にする。
しかし僕は感じている。
いかなる状況下、環境、時流でも、人が人であるかぎり、命が命であるかぎり、"相変わらず"が存在することを。
それを普遍と呼ぶ。
太古ネアンデルタール人も遺体に花を添えていたことが発見されている。
人類が死を悼む心は"相変わらず"だ。
歌にメッセージを込めるのは第一目的ではない。
歌は旋律として美しくさえあればと思う。
が、言葉も音だ。言葉も旋律の一部だ。
そこにのせるなら何を歌うがいいか。
「ikusa」に込めたのは、動物(人)は戦うという普遍と、必ずしも真っ向勝負が真ではないというメッセージ。
逃げることは恥ではない。
戦わないことは負けではない。
逃げて守れるものがあるならば
逃げ切ることは勝利だ。
戦わずして守れるものがあるならば
不戦は勝利だ。
それでもときに、真っ向勝負して打ち砕かれることも選ばれるだろう。
敗者になることが、必ずしも"負け"ではないこともある。
しかし
辿り着きたい場所があるのなら
叶えたい何かがあるのなら
戦わなくてもいい戦いも多いのではないだろうか。
それはしばしば感情との戦であったり、自分の内面との戦であったり。
そんなときは
逃げ切るなんてどうだろう。
そんなとき僕は
どこへでも行くさ。
"おしまい"
デビューアルバム「Sain'o O」から「ikusa」について書きました。
記事を気に入ってくださった方はぜひ楽曲もご試聴ください。
https://soundcloud.com/roku-records-japan/ikusa
CD予約販売も承っております。
https://rokurecords.theshop.jp/items/27619360
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