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はじまりのはじまり -2021.晩秋-
「Sain'o Oが胎内にいた頃の物語」
ちょうど2年前の秋にこの日記を書き始めたとき、
あの頃の僕は、いつか誰かに読んでもらうためにこんなにまじまじと読み返すことになると、本気で想定していただろうか。
あっという間だったと振り返るにはあまりにも濃密な2年間は、僕にとって、世界中のあらゆる生活様式が変化せざるを得なかった非常事態が若干霞むくらい充実したものでした。
2020年6月12日に自主レーベルから発売したアルバムは
本当に昔からの僕の夢でした。
自主レーベルまで立ち上げて、すっかり大人ぶっていますが、自作自演のヒーローごっこにも見えなくありません。
誰かのために、何かのために、なんてことは自分を満たしてから言いなさい。なんてよく言われることですが
その度に、僕は自分を満たそうとしかしていないなと思っていました。
本気で自分の欲望に忠実になって、頼む、これも叶えてくれ、と仲間に言っているうちに
願いを受けてくれたその人の幸せを願うというループに入ります。
見方によってはどこまでも搾取のようでいて
気がついたら溢れた何かが、ある人への恵みになっている
そんな行ったり来たりを繰り返すのが、僕の性格的な癖なのかもしれません。
気怠い雨の午後、なにもせず人を羨みながらまどろむのも僕で
好きなら好きって言って踊ろう、とストレートなのも僕で
世界平和を願うのも、隣のやつを妬むのも、命を惜しむのも、誰かを癒したいのも、誰かに赦されたいのも僕です。
それぞれが1人の人間のあらゆる側面。欠片。
一つの言葉で表現できなかった僕に
「Sain'o O(セインオーオー)」
という音が響きました。
すべての感情に名前なんていらないし、
すべての光景に名前なんてつけられない。
どっちとも言えないとき
白黒なんてつかないよなって思うとき
それらはなんとなく
Sain'o Oっぽいな
と思うようになりました。
日記は途中、恥ずかしいくらいの豪語も混ざりましたが、ご存知の通り結果はまだまだ。笑
恩返しとかそういうことに囚われすぎても違いますが
みんなへの感謝は消えることはありません。
2年経っちゃってこれで終わりだなんて思ってないし、だからといってここにしがみつき続けるつもりもなく
これからも転がり続けるんだと思います。
好きなことやれています。
おかげさまです。
改めて、当マガジン「Sain'o Oが胎内にいた頃の物語」を購読してくださった方々には感謝申し上げます。
"胎内にいた頃"の物語はこれで終わりとなりますが、一般的に物語は胎内から産み落とされたところからはじまります。
常になにかが終わり、それは何かのはじまり。
終わりがあるかぎり、はじまりは終わらないのかもしれません。
noteの有料マガジンを申請するときは
予定購読者数100人って書きましたが気持ちいいくらい裏切ってます。笑
相変わらず計算?は苦手みたいですが、僕にとってあなたはあなたということで、1人、1人でした。
足し算するのはお金だけ、、笑
ということで、
6ヶ月分の収益は、次回アルバム制作費の一部として大切にさせていただきます。
多分読み切ってない方とかもいらっしゃると思うので、また気が向いたら読んでやってください。
マガジンは廃刊処理となりますが、購読された方はあとでも読めるそうです。
ここがまたなにかのはじまりになりますように。
本当に本当にありがとうございました。
2021.11 土橋悠宇
P.S ここから始まっていたことを思うと、この日記にも長くお付き合いいただきました。感謝。
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「Sain'o O」(セインオーオー)が胎内にいた頃の物語
富士山麓で生まれた10曲が一枚のアルバムになるまでの物語。 作詞作曲をした土橋悠宇(どばしゆうま)によるアルバム制作ダイアリー。 多く…
ありがとうございます。アルバム次回作の制作予算に充てさせていただきます!