はじめに note閲覧諸氏や市井一般の方は精神科医療従事者や福祉関係関係者についてどのようなイメージをお持ちだろうか。 医は仁術とか志の高い人物が従事している人徳者の職業だろうとお考えになる方が多いと思う。 はっきり言っておく。これは個人の見解であるが、彼らのほとんどは残念な人たちである。特に都会ではなく、地方都市や、いわゆる田舎では9割ダメと思っていい。 それはあまりに極論ではないかと一般の方は思うだろう。彼らは弱者を助ける崇高な使命を持って業務に従事していると
僕は昔から心の片隅で、この世に生きてきたからには何かしらの分野で名声を得ることが成功であり、人生の目的だと信じていた。 少年時代によくある「偉人の業績」を称える児童書に染まっていたのかもしれない。生まれてきた以上、どうにかして後世に名を残すような輝かしい社会的地位まで上り詰めること。それが人生の定義だった。 もちろん、僕は怠惰で能力もないから、そうなったらいいなという漠然とした気持ちしかなくて、毎日を無駄に過ごしてきて今があるわけだが。 むなしく時間が流れるままに生き
僕は精神保健福祉手帳2級を持っている双極性障害なのだけれど。 高校時代から病み始め、大学時代以降には向精神薬(抗鬱、抗不安、精神安定剤等)を常用しないと生きていけなくなった。 逆にいえば、中学時代以前は健常者だったわけで。 精神障害など遠い世界のお話だった。 精神を病んで随分と長いので、「幸せ」ってなんだろう? というのがよく分からなくなってしまった。 それは幸せについて考えることがなくなったというわけではない。 むしろ、始終考えを思い巡らすことばかりの毎日だ
医療保護入院 僕は32歳の時、閉鎖病棟に幽閉された。医療保護入院だった。 高校時代に人間関係でつまずいて、大学時代から本格的に精神安定剤などを服用するようになった。当時は自分がそれほど重症だという認識はなかった。だから、精神科医療に片足を突っ込んで生きなくてはならないとは考えていなかった。 自殺未遂と、卒業論文執筆の余裕がないという事情で、2年間休学した。卒業は何とかさせてもらったが、大学院への進学を諦めて、田舎の実家に戻るより仕方なかった。 地元へ戻って、療養生活をし
はじめに(いつもの如く、謎の上から目線で評価を落とす前書き) 私の個人的な人生観について記したく思う。 この世界に生きる方たちの人生の数だけ人生哲学はあるけれど、その中の一つとして、一つのメッセージとして読んでいただければ幸いに思う。 この文章もnote投稿用に作成したものではなく、自分なりの思想といえば大げさかもしれないが、私を形作るデザインとしての一部である。 20世紀から延々と人生について自分なりの考えをまとめたり、編集したり、更新したりしている。もちろん、今現在
本当はいいね、の通知いっぱい来るような、オサレで冴えた文章を書きたいのだけれど。 そんなの望めない私がいて。ネガティブな事柄は一般受けしないことは重々承知だけれど、事実なので記すしかない。 残念ながら、障害者って平均以下の生き物だと世間で通っているし、差別も受けたし。自分自身も中学生の頃は、障害者を見下していたし、その報いだから仕方ないけれど。 そんな幸せな身分じゃない人は、気の利いたエッセイなんて書く人生送れるわけなくて。だって日陰者で終わる人が、この世に転がってい
はじめに 予めお断りをしたいのだが、この一連の文章はエッセイではなく、論文口調になっているので、note閲覧諸氏は注意されたい。もともとnote投稿用に記したものではなく、個人的に大切なこととしての位置づけであり、読者受けはしないので、それも付記したい。 この本を手に取ってくださっているあなたは、今現在の生活において何らかの苦痛を抱えていらっしゃるか、暇つぶしのために雑学を手に入れたいか、或いは、死を望むものが考え方を変える文章などあるわけないと冷笑気味にページを繰って