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『お題目』とは
日蓮宗や法華経などで勤行の際に唱えられる「南無妙法蓮華経」の文句のことです。
「南無妙法蓮華経」と唱えることを唱題といいます。
⭐︎参照にさせて頂いたサイトはコチラです→🌸

2021.09.09

今日は重陽の節句。
菊の花を飾り、季節を味わいながら、身体のメンテナンスをしようと起きた朝。



ZOOMで筋トレして、瞑想して...

『ああ、なんて健康的なのだろう🤤』

(普段の私は、ゴロゴロが大好きです🤣)

そんなことを思いながら、心を落ち着けて、お題目を唱えた。

***

◇お題目を唱えていた時間
約18分

◇前回との比較
前回の時は、父方の血筋や御先祖様に想いを馳せるような氣持ちになったけれど、
今回は一味違う展開だった😳

▽前回はコチラ▽

◇感じたこと

目を閉じて、お題目を唱え始めた。

***

音程はの音が私は唱えやすい。
自然と出た音はドの音だった。

満天の星空の中に、ポツンと私がいた。

空を見上げると星が光っていて、私はじーっと見ていた。

すると父方母方の曽祖父や曽祖母、その他たくさんの人が私を暖かく見守ってくれた。

数は、映像が埋まるぐらいにいらっしゃったので、数えきれない程、といえばいいのかな。

何故かは分からないけれど、私に御縁がある人たちなのだなあと直感で感じた。

不思議だった。

そして映像が切り替わるのが早すぎて追いつかなかったけれど、父方の御先祖様はどうやら関東方面から逃げてきたのかなあと感じる瞬間があった。(直感なので根拠はない、調べてみたいなあ)

星空と一緒に現れた無数の人たちと、たくさんの映像が切り替わるシーン。

不思議な話だけれども
本当に自然と、私はたくさんの命の流れの果てに今生きているのだなあ、という自分を俯瞰する意識と、ここまで繋いできてくれた全てのものに『ありがとう』という氣持ちが湧いた。

とてつもない命のバトンが回った先に、今の私がある。そんな感情だった。


唱え終わるタイミングも、もういいかなあ、と自然に思った。

唱え終わると、とても穏やかな氣持ちになっていて、自分の中に太くて真っ直ぐな芯が通った感じ。

身口意が一致する感覚はこういう感じなのかな?と思うぐらい、腹が据わっていた。

自分とは違う別の視点から、私自身を見ていた。
御先祖様の目を通して見ているのか、はたまた私なのか、不思議だった。

***

スッと目が空いた。

終わった後は、今あるタスクを冷静に淡々と、だけど前向きにこなす私がいて、仕事がサクサク進んだ😳


あの感覚はなんだったんだろう。

シェアタイム〜上七代・下七代・上無量生・下無量生〜


しょうくんにシェアすると

『はえーー。すごーーーい😳!!!』

と言いながらも大切なことを教えてくれた。

しょう『上七代・下七代・上無量生・下無量生
こんな言葉があってね。』
めい『うんうん。どういう意味?』
しょう『ん〜、とっても簡単にお話すると...

自分が成仏したら、
7代先の祖先、7代先の子孫、
更には父母祖父母、子孫...
もう数えきれないぐらいの方たちが
成仏できるんだよ
、っていう教えがあるのね。』

めい『へーーー!』
しょう『悪の中の大悪は、我が身にその苦をうくるのみならず、子と孫と末え七代までも、かかり候いけるなり。善の中の大善も、またまたかくのごとし。目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は、我が身仏になるのみならず、父母仏になり給う。上七代下七代、上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う。』ってところから来てるんだけど...

めい『くぁwせdrftgyふじこlp...』

『大事そうだからゆっくり教えて...』
しょう『わかったよ〜。よしよし☺️』
めい『😍😍😍』

しょう『つまり何が言いたいかと言うと、
めいちゃんが唱えたことで、上下7代と数えきれないぐらいみんなに届いてるから、そういう映像が見えたのかなあって思ったんだよね。』

『悪いとされる苦しみや行いも、善いとされる想いや行いも、生きている死んでいるの状態は関係なく、さっき言った【みんな】に影響する。』
『だから、めいちゃんの想いが届いている、
って感じたんだよね。』

『まあ、善い悪いなんて、
本当は無いって思ってるけどね!』
めい『なるほどね〜!!!
なんだかうれしいなあ🌸』

『ところで【成仏】ってなんなの?
死ぬことなの?』
しょう『ん〜〜これもまた難しいところでね、
長い月日をかけてまで、議論になるぐらい範囲が広くて奥ゆかしいものなんだけどね』
めい『ふむふむ。』

しょう『ただ1ついえるのは
死ぬこと=成仏ではない

むしろ
成仏は生きてるときにしかできない。
めい『えーーーーー!そうなの!?!?』
しょう『成仏とは、物事の見方のこと
フィルターを通さないで見れるかどうか
(個人の思い込みや色付け)

↑から解き放たれたものが
仏という状態だと、
俺個人的には思ってるかなあ』
しょう『だからめいちゃんが氣付きの中で
【大きな愛の流れに氣づくこと】
【小さな愛を取りこぼさないこと】


って書いたこと
成仏という状態になっている、近づいているといえるんじゃないかなあ、と思ったよ!』
めい『そうなのか〜!
そんな大層なことはしてないけれど...笑
なんだかいつも見守ってもらえたり、
教えてもらうような感覚になれることは
嬉しいなあ☺️』


知らない事がいっぱいのこの世界。

しょうくんから、付き合ってから仏教のお話を改めて聴くようになってから、もしかして、知らないことが思っている以上にありふれてるんじゃないか?と現実味が帯びてきた😳

知らないことがいっぱいのこの世界で、生きていられることが、実はすごいことなのかもしれない、なんて思っためいでした。

※体感は個人の感想です♡
※こんなことがあるのか〜!っていう
フィクションの読み物として
お楽しみくださいませ♡

つづく

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