お題目日記 Day1
『お題目』とは
日蓮宗や法華経などで勤行の際に唱えられる「南無妙法蓮華経」の文句のことです。
「南無妙法蓮華経」と唱えることを唱題といいます。
⭐︎参照にさせて頂いたサイトはコチラです→🌸
2021.09.08
初めて唱える日。
私、めいは、現在ほぼ在宅ワークなので、コンディションを整えるために、普段から瞑想をしています😳
なので、瞑想の延長線上でお題目を唱えてみた。
***
南無妙法蓮華経を氣の赴くままに唱えていたら
ひいひいおばあちゃんとひいおばあちゃんを感じた。そのまま唱えていると、涙が溢れてきた。
ひいおばあちゃんの氣持ちになったのか、すごく泣いてしまった。
『もう大丈夫だよ』ってひたすら声をかけた。
ひいおばあちゃんは自分の中にある悲しみや黒い氣持ち、激しい感情をどうして良いかわからなかったんだなあと思った。
お題目を唱えて、泣いていたら、身体がふと軽くなった。何かが抜けていくかんじがした。
身体の感覚が軽くなったことから、もしかすると楽になった魂がいたのかもしれない、と思ったり
何故か分からない安心感もあった。
***
目を開ける。
見える映像、泣く自分、安堵感、身体の軽さ...
体感できることがたくさんあって驚いた。
『何が起こった!?』と思う私もいたけれど、『御先祖様や自分と関係する人たちに想いが届いたんだな』『知れてよかったなあという』安心感の方が大きかった。
と同時に、初日でこの感覚なのであれば、唱えて行った先にどうなるんだろう、と好奇心旺盛な私も居た。
私、めいについて
ここで自己紹介の補足。
▽自己紹介はコチラ▽
誤解のないように伝えたいのだけれども、
私はちょっと感受性が高い方だと思う。
美しい景色を見た時、美しい物語や歌を聴いた時、人の愛を感じた時、心を感じた時...。
感動して涙が出る😭
その反面、人の怒りの感情や悲しみの感情、疲れている人を見ると、自分もその氣持ちに何故だか分からないけれどもなってくる。
前はそれが苦しかったけれども、自分との対話を丁寧に行なって、自分の本音を拾うことに集中していけば、それも徐々になくなっていった。
直感やインスピレーションは働く方だとも思うし、小さな頃は、大きな存在や山の木と対話なのか想いを馳せて過ごすことがあった。
だからといって、自分が特別、ではなくて、
人間はみんな、思考と直感を働かせて生きていると考えているし、想像力は他の動物にはない、人間ならではの力と、どこかで聴いた覚えがある。
人によってはHSPと言う人もいるだろうし、
しょうくんは感応ではないかな?と分析中。
なので今の私の解釈としては
○直感はみんな働く。
○直感の受け取り方として、
『どこの五感が優位に働くのか』
『何に興味を持って生きているか』
○直感に氣づきやすい状態づくりとして
『毎日の生活で動く時間、休む時間のメリハリをつけているか』
『副交感神経優位なリラックスする時間を日常の中で取れているかどうか』
その違いなのかなあと思って、
この日記を綴っています🌸
ちなみに、私はどちらかというと、思ったことは伝えるし、ピンときたら行動するので、自分の心の声に正直な方。
だから直感に氣がつきやすいのだろうし、御縁や必然とも言えるお引き合わせを頂く機会を自覚、認知しやすいのかなあと、自分を分析しています。
(自覚、認知のプロセスが大切なのかなあという仮説も立てている、今日この頃です🤭)
父方の血筋を辿る
私の母や祖母の話によると、
父方の曾祖母(ひいおばあちゃん)は、どうやら当時、鉱山採掘の指導に来ていた外国の方との子どもらしい。
曾祖母を産んだ高祖母(ひいひいおばあちゃん)は
違う家に嫁いだため、
曽祖母は知らない大人の中で、1人で生きてきた、というお話を聞いたことがあった。
山奥にある、村意識が強い地域だったため、
生き残るためにその中で曾祖母はお店を開いたらしい。所謂、【何でも屋さん】だった。
町から仕入れた日用品を売り(歯ブラシ、歯磨き粉、洗剤、ホウキなど)
宴会で出す食事の注文が入れば作り、
着物が破れたり、新調したい場合は、曾祖母のところに依頼が入る
男社会の中で、強く在ろうとしたからなのか、お酒は村の男よりも強い、だなんて噂も。
(母と知人曰く)
そんな風な生活だったそうな。
その反面、厳しさもあり、怒ると手がつけられない部分もあり、怒りの感情が爆発することもあったという。
1人で生きなければいけない
おそらく生い立ちからくる『愛』として
娘である祖母にも厳しく躾をしたらしい。
とはいえその反面、
住む場所のない人に、使わない家を無償で貸していた。
その家の人とは、今でも仲良くさせてもらっていて、私にとっての5人目、6人目のおじいちゃん、おばあちゃんともいえる人が、その家の人たち。
そのエピソードから
本当は愛情の深い曾祖母だったのだと思った。
そんな曾祖母から育ててもらった私の祖母。
厳しく躾を受けたと話してた。
祖母は身なりは常に美しく整える人だったし
家事掃除は完璧なまでに綺麗だった😳
朝5時に起きてお化粧して、掃除をして、家のことをこなす祖母。
私が学生の頃は、私に似合うお洋服をいつも選んで買ってきてくれたし、私の好みにぴったりだった🤭✨女性の嗜みと楽しみを知っている人🤭🌸
そして祖母も怒ると、とても怖かった。
だけど
その人を思う愛情から怒っているのも理解してたし、同時に自分の価値観から外れたものと出逢った時に、不安を抱えてしまいやすいのだなあって思ってた。
そして息子である私の父。
父もまた、きっちりしている人。
だけど本性は、野生味あふれる人。
だって、雪道で目の前が雪で通れなくなった時に、車をドリフトで回転させて除雪して道を作るし、
自分が行きたい!と思った場所には片道6時間かかろうが、行く。
家族旅行はいつも弾丸。予定は未定👏笑
川魚の腹を手で割き、ワタを取って調理もするし...。
なんと言いますか、とにかく、ワイルド🤣
そして父も、怒ると、とても怖かった。
ここでお氣づきかと思うけれども、
私の父方の血筋のテーマは
『自分で生きていかなければ』
『キチンとしていなければ』
という意識。
こうして代々の躾や価値観は受け継がれていき、地域性も加わって、その人にとっての『常識』が形成されていく。
だから私も、
『ちゃんとした人でいなきゃいけない』
『すごい人でいなければいけない』
『自分1人でなんとかしなければいけない』
その意識が、何かを選択する時に常に頭にあったし、
私が失敗をするとき、負のサイクルにハマるときを分析するに、上記の理由で選択したことが、失敗の理由になっていたなあ、って思うのです🥺
そして落ち込んだ時やイライラしてしまう時も、上記の理由で行動したことが原因のことが、多いなあって思ってます😇
私、父、祖母、曾祖母が
何かに対してきっちりしようとしたり、罪悪感を感じやすいのも、少なからず父方の血筋を辿るとぼんやりと見えてきます😳
だから、曾祖母がお題目を唱えている時にイメージの中に出てきたのかなあって。
***
お題目を唱えて、不思議な体験をしたので、
この日の私はすぐさま、自分の知る限りの家にまつわるエピソードを思い出して、まとめていった。
午前中ひとしきり御先祖様、父方の御先祖様側 のことを整理して、書き留めて、しょうくんにシェア。
お題目日記のはじまりは、こんな出来事からでした。
※あくまで個人の体感と感想としてのシェアです🤭
※そんなことあるんだ〜!っていう読み物としてお楽しみくださいませ♡
続く🌸