noteの"つぶやき"機能の字数制限が140字なのは思考停止の模倣。もっと増やしてほしい。その32
デスストランディング、ゲームハードがなくて遊べない。
リアル登山の直喩みたいなゲーム
プレイ動画や解説動画を見た限り、そう感じた。
なるべく岩や崖を避けて目的地に向かえる道を見出す部分や、荷物の重みで移動が妨げられるもどかしさ、雨を忌避せざるを得ないSF設定、防水コートを着て動く、オンラインで他人の痕跡を見つける心強さ……登山ゲーに「これは登山のオマージュ」と言うのもかなり変な表現だけれど、わざわざ指摘しておきたくなるくらいにプレイヤーに実際の登山の身体的・心理的な感覚を想起させる作りになっている。
ゲーム内で登山をシミュレートしているだけでなく、ゲームの外のプレイヤーにまで登山の感覚を味わわせるというのは、いろんな評判を聞く限りとても画期的な試みだったと言ってよさそうだ。
私が住んでいる京都は北東西の三方を山に囲まれているもので、休日にふと思い立って山に登ることがある。観光客用の道が一本しかない場合はいいものの、少し道を間違えたり、それほど観光地としては整備されていない山に登ったりすると、たちまち道は見出すものになる。
誰かが踏み固めたような小道がある(実際には獣道かもしれない)とか、ボランティアが部分的に木の階段を打ち込んでいるとか、ときどき見つかる人為の跡に安心しつつ、しかしその他の道のりは常にその場の判断で選ぶしかない。
目の前の光景から足場の安定した道・転んでも大怪我にならない道を選んで、ときに目的の方角を迂回して目指し、ときに来た道を引き返す。歩けば歩くほど目の前の光景は移り変わるので、自分の足元に気を付けつつも、常に前方にも気を配らなければ頻繁に立ち止まることになる。
「湿った落ち葉は足が滑りやすいから、ゴツゴツした岩場を歩くべきか? いや、しかし岩場には転んだ時に手を着ける場所がない。来た道を引き返して他の道を見出すべきだろうか?」
そんなことを考えながら、靴の中に入った水や、髪の毛に乗っためしべか何か、顔にかかる蜘蛛の糸、汗ばむ肌着、リュックの重さ、スマホの残りバッテリー、にわか雨の気配……さまざまな不安や不快感を伴って歩き続ける。「こんなことなら山に来なければよかった」「帰ったら何時くらいだろう?」「全く、どうしたものか」と考えが浮かんでは消える。
小島監督は登山が好きすぎるのか?
……ここまで書いておいてなんだけど、自分は冒頭の理由でエアプ勢ので、間違ってたらごめん。
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