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センチメンタル、秋

個人的に、何故だろうか秋はセンチメンタルな気分になってしまうことが多い。
大した恋愛もしてきていないのに、爽やかな秋晴れとは対称的な夜風の冷たさがそんな気持ちにさせるのだろうか。謎の人恋しさすら覚える。

そんなセンチメンタルが発動させた思い出を、今日は小噺として。



大学時代も終わりに差し掛かった頃、好きになった人がいた。社会人になってから気持ちを伝えたが「彼女って感じじゃない」と、あっさり、実らずに終わった。
その後、また普通に顔を合わせる関係にはなるのだが、私が地元に帰ることになり、それ以降は連絡も取らなくなった。

初回の記事でもさらっと書いたが、今から5,6年くらい前だろうか、私は読書をするようになった。小説をよく読む。元々恋愛体質でもなければ浮かれたった話もなくそういうキャラじゃない私だったが、恋愛小説を読むのも好きになった。

読書といえば、読書の秋。
そして、おセンチの秋がやってきてしまった。

その頃の直近の恋愛での出来事が、先程書いた思い出。
彼はいま何をしてるんだろうか。元気なんだろうか……
(今思えば、何故そんな事を思ったのかも謎だ。センチメンタルって怖い。)

私はFacebookを開いた。彼の名前を検索した。いた。写真もあった。多分これだ。これが彼だ。

悩みに悩んで、友達申請ボタンを押してしまった。
(何で今更。センチメンタルって怖い。)

そんなすぐ承認の返事が来るわけない。今の私みたいに開きもせず放置してる可能性だってある。そもそも今更すぎて何故?なんて思われる気しかしない。
この、返事が来るまでの謎の緊張と負の感情。何故申請ボタンなんて押してしまったんだ……
(友達承認されたところで、別に何でもないのに。センチメンタルって怖い。)

数時間後、友達承認された通知が来た。
彼がFacebookとかちゃんと見てるんだ、という驚きも持ちつつ、彼のページを見てみる。

いつ頃のかは覚えてないが、○○さんが彼をタグ付けしました、といった内容で上げられている写真が並んでいたように記憶している。彼自身が何かを投稿している感じではなかった。
どんな写真だったとかは正直あまりよく覚えてはいないのだが、見なければよかった、という感情が湧き上がってきたことは覚えている。

既に知り合った頃の写真だったかもしれないが、それでも、私が知ってる彼ではないような気がしたし、私が知ってたのは彼のほんの一部だったという事実がそこにあった。
そして、私だけ未だ思い出の中にいるのだ。彼を好きだった気持ちも、東京で感じた空気も、過ごした日々も、全部綺麗な思い出のままで、大事にしすぎて、前に進めていない感じ。なんだか情けなさすら感じた。

何を期待などしていたのか、自分でもよくわからない。これを、センチメンタルのせいにしてしまっては、センチメンタルさんもいい迷惑でしかない。
彼もいつまでも、あの頃の彼でいるわけがない。きっと私は、綺麗な思い出に触れるはずが、触れてしまったことで、自分の中で綺麗なままだった思い出を壊してしまった。色彩が色を失くしたような、或いは白黒だけれどしっかり輪郭を縁取られた線を消されてしまったような。
思い出は思い出のままが一番綺麗だ。後から色を重ねても、彩度の違いか明度の違いか、ちぐはぐになって馴染むことなんてないし、線を描き足しても形は歪になる。
コントロールの出来ない感情っていらないな、と思った。

恋心は、厄介だ。





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今年の秋は、それほどおセンチな気持ちにはなっていないと思ったけど、これ書いてる時点で多分おセンチな気がする。

ちなみに、後日談。
この数年後に彼と再会することになる。私は非常にざわざわした気持ちを持ちながら。
またセンチメンタルが訪れたら、思い出小噺として話しましょうか。



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