終わってみればあっけないもので
今日は簿記試験3級試験の日だった。
私にとって、簿記試験3級の受験理由は、
紆余曲折あって「学ぶことへの信頼を取り戻す」だった。
紆余曲折はこちらから。
さて、「学ぶことへの信頼を取り戻す」だった。だったのだ。
私にとっての「学ぶことへの信頼を取り戻す」とはどういうことか?
これまで、中学受験・高校受験2回・高卒認定試験2回・大学受験1回、割と大きめな節目になる受験に対し、やり切ったと感じるほどにやったことは一度もない。どれも中途半端に終わり、そして「受かる所に入る」みたいな軌道修正をする。その軌道修正も結局「自分には合わない」という理由で諦める。
こうして自己信頼を失ったと思っていた。そう、思っていた。
その前提は、
昨日のひとのことアカデミー応用発展クラス
で覆った。
今回の簿記試験の勉強も、「学ぶことへの信頼を取り戻す」に応えるほど、
非の打ち所がなく勉強したか?と問われると、うんとは言えない。
どちらかと言うと、合格点が取れればいい。というゴールだった。
これをハードルが低いというらしい。
まぁ、確かに過去問を解いている時も、合格点を取れているからOK。ほぼ満点だからOK。みたいな具合に、何点取れているか?だけを重視していた。
そんな自分に気付き、なぜ間違えたか?次に正解するならどういう工夫ができるか?という視点で振り返ると、まだまだだという判断が自分に下る。
そこから研鑽を積むことが非常に面倒に感じた。
そういった具合で、もはや「学ぶことへの信頼を取り戻す」という目的には程遠い。等身大の自分・自分の足元が明らかになり始めた。
学ぶ=勉強するに含まれる、根本的な信念・価値観がもはや自分の道とは違うのでは?という疑問だ。
これまで疑うこともなくきた、学歴・資格・経歴への負い目は、やはり母の期待する道(国立大学卒業・国家資格取得・有名企業や公務員)を生きていないことへの罪悪感だ。まさか学ぶことが罪悪感によって動機づけられているとは、驚きだ。
学びとは、学術的な勉強や社会的に認められた資格を得ること、それらを生かして社会的・一般的な知名度の高い働き先を得ること、のみではないはずだ。
学ぶとは本来、楽しいこと。学術的な勉強や資格を得ることが楽しいのであれば、それも学ぶことだろう。生計を立てるために学ぶことと、純粋な好奇心によって学ぶことは、またその意味合いが変わってくるのだろう。
実際に簿記試験を受けてきて今の私はそう感じている。
では、罪悪感ではなく、私が心の底から楽しい!と感じる学びとは何か?
それを思い出すことが、「学ぶことへの信頼を取り戻す」ということなのかもしれない。