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【国際結婚】日本人的な価値観を自覚する

こんにちは。今日は国際結婚で重要な「日本人的な価値観を自覚する」ことについて書こうと思います。

海外から来た人と一緒に過ごしていると、価値観の違いにびっくりすることはよくあるもの。また、外国で暮らしていると、自分の日本人的なところが反応して衝撃を受けたり怒ったりして、自分の新たな一面を見つけたりするものです。
ところが、その「日本人的な価値観」の中でも、あまりにも当たり前に思っているので、自身を相対的に見ることができるまでに結構時間がかかる分野のものもあります。実はこういう価値観こそ、国際結婚の際には重要になるもの。この記事では3つ、そういう日本的な価値観を紹介したいと思います。

「日本人的な価値観」とは言っても、人によって感想が変わるものです。出身国が皆凄いニコニコしている国出身の人は、日本人があまりニコニコしていないと見る人もいるし、仏頂面の人が多い国出身の人は、日本人がすごいニコニコしていると感じる人もいます。出身国によって好意的に受け止めるところ、ネガティブに受け止めるところはバラバラ。多面的なものです。
ですので、この記事で日本人はこういう傾向がある、と言っても、エリアによっては違う風に見ることもあります。あくまで参考程度にお読みください。

1. 「家事」への意識と熱量、時間が飛び抜けてる

これは特に「料理」に当てはまります。
東アジアや南アジア地域でも一般的かもしれませんが、日本の家庭では1日を通して「火を使わない料理」が出ないということは、
そして1週間同じ料理を食べ続けると言うのも、
東南アジア地域は外食文化が当たり前にある為、日本と比較すると料理の回数は少なくなる。西洋では料理にかける工数が日本の家庭より少なく、火を使わない夕食を出すこともある。つまり洗い物の量が少なくなる。キッチンにいる時間が少なくなる。
日本でいくら女性が当たり前のように社会で働いていようが、「栄養バランスを考えた美味しい料理を、毎日違う献立で用意すること」は、家庭での「妻」、「母」としての役割として、まだまだ「日本女性」には求められているように感じられます。脱線しますが、「家事」のハードルが高いが故に家事分担のハードルが他国より高くなっているのではないか?とも、感じます。
そういう価値観が薄い、または無い国出身の方と家庭を築くと、「手間隙をかける家事スタイル」ではなく、もう少し合理化ができるのではないか?と提案されることも。また、海外居住中にメイドさんを雇う際に、料理や掃除などをメイドさんが担当することによって、アイデンティティクライシスに陥る人もいます。

2. なんだかんだで「家庭の収入は「男性」がずっと途切れず入れていく、女性は数年キャリアから休みを取っても良い。そして女性はその際に家庭内で「家事」をメインで担当する」という意識がある。


女性が強かったり家族のサポートを得られるエリアを除くと、これはアジアエリアでは普通のことのように見えます。
一方で西洋ではこの点に関する意識に違いがあり、特にアメリカや西ヨーロッパに居住する場合に顕著ですが、子育てのために女性が仕事をしない、ということが常識的に許される期間が「短い」
と言っても、社会が提供できる子育てのサポートシステムに大きな違いがあることが前提ではありますが、①で述べたように「合理化できる」家事や育児のために、仕事をフルで継続しない、キャリア発展を志さない、という選択肢はそこまでメジャーではありません。
ここは実は日本人男性が一定の国の女性から人気を得ているポイントでもあります。良くも悪くも、家族を養う為にずっと働かなければ。一家の大黒柱である、という意識がどことなく存在し続けています。つまり、日本人以外の男性を選ぶ日本人女性は、この点に関して意識に違いがある可能性を覚悟しておいた方が良いでしょう。「家庭を支える」意識にギャップが生じる可能性があります。

3. 母親とよくコミュニケーションを取る人は「マザコン」?日本の一家の主という価値観


海外の男性はよく「マザコン」では無いか・・?という話題が日本人女性の間で上ることがあります。しかし、それは全て日本人男性と比較してのこと。母親とコミュニケーションを取る回数が多くないか?ちょっと子ども過ぎないか・・?という、エリアによって強弱あれど、基本的に日本人男性より、いわゆるマザコンと日本人女性に捉えられてしまう動きをしている人が多く見えるようです。

ところが、色々な国の話を聞いていくうちに、これはもしや日本の家族のコミュニケーションが少し異常なのでは無いか・・?という気づきに至りました。例えば、日本ではよく母親を気遣って連絡したり会いに行ったりする「娘」は「親孝行で良い」と捉えられますし、娘の配偶者も特にめくじらを立てることはないでしょう。
一方で、よく母親を気遣って連絡する「息子」、よく母親に娘と同じような頻度で会いに行く「息子」は、母親の立場から見るとよく見えますが、逆の立場、息子の配偶者の立場からすれば、果たしてどうでしょうか?
そしてそれはなぜそう思うのか?

よくある妻から夫への質問に、「私と母親、どっちが大事なの!」という質問があります。これに対してどちらも大切、という回答をする男性に対して怒っている人がよくいますが、逆に夫から妻に対して「俺と母親、どっちが大事なんだ!」という質問をしたら「何を言っているの?」と人間性を疑うのではないでしょうか。その感覚が、実は外国人の彼らがその質問をされたときに感じる感覚そのものです。

こうした違いは、最近は全く珍しく無くなった日本の核家族形態と、日本の世帯を持ったらその主である(=独立している)、という意識が影響を与えているのではと思います。日本の諺に「老いては子に従え」という言葉もありますし、日本では結婚したら新しく世帯を作り、世帯主が新たに誕生しますが、現在では9割以上が夫が世帯主になっています。
一方で海外ではそこまでの状況にはなっていないでしょう。欧米ではエリアにより様々ですが、母親と頻繁に連絡を取ることは健全な家族仲であれば普通です。
それではどこで「THEマザコン」と区別をつければ良いか?それは日本の「よく連絡をとる娘」と同様に、母親と連絡は取るけれど自立性があり「決めるのは自分」という態度ができているかどうかでは無いでしょうか。


良ければこちらもお読みください!

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