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『あかり。』 #17 年上の夫、年下の妻・相米慎二監督の思い出譚

次作のキャストは、ラサール石井さんと菊池桃子さんだった。
なかなか息の合ったいいコンビだった。

それにしても、なんでこうも夫が年上で、妻が年下という組み合わせばかりだったのだろうか。
まだ時代が、そういう価値観を引きずっていたのか。
しかも、夫が結構な年上のケースが多い。

やさしい夫に、子供っぽい妻。
年の離れた女性を妻にする男性。
今の時代だったら、その逆かもしれない。

一回り以上、年下の男性と結婚する女性が身の回りにもたくさんいる。
それに、家、結婚、子どもの影なし、クルマ(新車)なんて、令和にあってはすべて過去の遺物だ。

時代は変わり、人々の価値観が変わる。
しかし、相変わらず変わらないこともたくさんある。


秋だった。
夏の名残りが消えて、食べ物の美味しい季節になっていた。
つまり、相米慎二監督にとって大歓迎の季節だ。
相変わらず、監督と僕は、昼に夜に街に繰り出し、時間を過ごしていた。
秋の味覚を教わり、ちょっとまだ難しい味を胃のなかに収め、僕はどんどん太っていった。

きっとあれは、監督の『暇つぶし』にお供していただけなんだろう。
僕は嬉々として、その暇つぶしに付き合い時間を共にした。

さて……ラサールさんは喜劇人だから、監督と相性がよかった。面白いことをしようと常に企んでいるし、それが板についているから作為的に見えない。
一方、菊池桃子さんはすごく緊張していた。やたらと礼儀正しい人で、いつも「はい、はい」と監督のいうことに大真面目に返事をしていた。

妻が新車を買おうと、夫にねだり、締まり屋の夫は買わないという。
そんな小さな喧嘩。
夫は最後には根負けして、新車を見にディーラーへ行く。するとクルマを気に入ってしまう……
きっかけは、或る夜に降った初雪だった。
雪が降ったから、クルマを買おうあり得ない話が、あるのかもしれないと思わせるファンタジーだ。

「雪か」
「はい」
「雪が降ったから車買うのか?」
「はい」
「おもしれ」

そうニヤニヤして、監督は僕の書いた演出コンテを面白がってくれた。セリフはごく簡単なもので、『あ、雪…』と、菊池桃子さんが言うだけである。初雪が降った夜なら、誰でも口にするだろう言葉をあえて選んだのには、小さなわけがある。

面白いセリフや状況を演出するよりも、このなんでもないセリフを監督がどう演出するのかが見たかったからだ。他愛もない日常を監督はどんな言葉を投げかけて演出するのか。それをそばで見たかった。

菊池桃子さん(妻)が寒い夜に縁側に出て、ふてくされている。寒いから閉めろとラサールさん(夫)が言う。
しばらくすると、初雪が降ってきて、ふたりの距離が変わる。

そんな日常を監督はたいした指示もなく、役者に任せて軽々と撮っていた。編集では長くは入れられなかったけど、テイクには二人の微笑ましい或る夜の日常が映っていた。

僕は雪を撮るのが好きだ。
降らせて撮るのが好きだ。
それもあって、このCMはシリーズの中でもとても気に入っている。


カメラマンは空港篇に続き
Sさんだった。
Sさんの撮る上品な映像のトーンは、この作品にとても合っていた。
さてさて、
Sさんは、グラフィックカメラマンでもあるので、フレームつまり、画面のサイズ感とか、人物の位置とか、カメラを置く位置に関しては、ものすごく大切にしている。

監督は、芝居をみて人物を動かそうとする。
二人のせめぎ合いが面白かった。

もちろん、今回もカットを割ることで、ふたりの緩衝材になるべく工夫した。
一部、移動ショットはあるものの、このCMはフィックス(固定カメラ)が多い。そこはSさんのこだわりというか、頑固なところである。

だけど、監督は『カメラ動かないの?』とは言わなかった。

その静的な画面の中で、喜劇があるのがよかったように思う。

セット撮影で、作り込んだモダンな日本家屋もよかったし、スタイリストの北村道子さんが用意してくれた二人の衣装も、よく見るとアバンギャルドで面白かった。たぶん、監督の映画における衣装の考え方みたいなものをすごく研究されていたんじゃないか。

そう、シリーズを通して、北村道子さんと高橋靖子さんが衣装を交互に担当した。(この回は、北村さん担当)
お二人とも、スタイリストという仕事が、日本に現れた頃からの大御所というかなんというか、われわれ若手のスタッフにすれば、まったく頭の上がらない存在だった。
当然、内心、二人も張り合っていたと思う。
剛と柔。
ほんとうにタイプの違うスタイリストだった。
僕はお二人どちらも大好きで、その後も自分の仕事で何度もお願いした。

シリーズの性格もあったけど、監督は『かわいい女』というのが好み、というか、演出するのが得意だった。
私生活は知らないけれど。

だから余計にそういう企画を広告代理店が立てたのかもしれないし、今となってはわからないが、そういう作品がシリーズ通して多かった。

今の時代とは、クルマを買う理由や車種を選ぶ基準がぜんぜん違う。
商品もまた時代とともに生きているんだなあと改めて思う。


CMも完成して、年の瀬が近づき、その年もあとひと月で終わる頃、
なんとなくやり切ったなあ
という感慨があった。
これでおしまいにしてもいいと思えた。

それに、一緒にいればいるほど、いつまでも監督がCMを撮っていていいわけがない、と感じていた。

これは監督にとって、あくまで『箸休め』みたいなものなのだ。
僕は、それとなく監督に、冗談めかしてそんな話をたびたびした。

すると、監督も同じように「そろそろ終わりにするか」などと言う。
監督と僕は、暗黙の了解で、シリーズを離れる予感を感じていた。

始めたものは、いつかやめなくてはいけないのだ。
監督には、帰るべき場所がある。


しかし、そう自分たちの都合で、ものごとは進まない。
それもまた、世の常であった。


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