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『あかり。』第2部 S#63 雪の歩き方など・相米慎二監督の思い出譚

今日の東京は春のような気温で、それに風がやたらと強くて、着るものに迷った。結局、薄手のウールのコートにあとはいつもの格好で坂道を下る。
この前、大雪が降って、東京は歩くのも大変だったのに……。春の訪れが近いと気候が不安定になるのだろう。

雪道を監督と歩くと、いつもからかわれた。
「お前たちは、雪の歩き方を知らないからな」
監督は嬉しそうに、雪道を器用に歩いた。
僕たちは転ぶのを恐れて恐々歩くのを、先を行く監督が嬉しそうに振り返るのだ。
「かかとから。ベタ足で踏むと転ぶぞ。慣れてないんだから」
路地裏をスタスタと歩く監督は、雪国の人だった。

春が近いせいだろうか、行きつけのスーパーで行者ニンニクを見つけた。
鮮度もよさそうである。

きれいな行者ニンニク

この野菜を教わったのも監督からだ。北海道ロケに行ったときに、夜になって食事の際に行者ニンニクのお浸しと醤油漬けを監督が注文した。
初めて聞く名前の野菜だった。
味は……ニラとニンニクを合わせたようなクセのある味わいなのだが、これがうまい。酒のつまみとしてもいいのだろうが、なんといっても白飯と合う。
しかも簡単に作れることを教わった。
よく『ニラを細かく刻んで醤油漬け』にしたレシピがあるが、あれと同じ要領でいい。ニラより強い味わいになる。醤油に漬けると角が取れて、さらにうまくなる。

スーパーの夕方のざわめきの中で、僕は監督と一緒に食べた記憶が蘇ってきて、ひとりでに微笑んでいた。

空き瓶に詰めました

少し前まで、夕張の農家のYさんが、色々送ってくれていたことを思い出す。Yさんは離農してしまったので、やりとりが途絶えている。
久しぶりに連絡してみようか……。そんなことも思い出す。

とにかく、まあ、ひとパック買って帰り、早速刻んだ。キッチンが行者ニンニクの匂いで一杯になる。
保存用のジャムの瓶を煮沸して、ぎゅっと詰め込んで、醤油をヒタヒタになるまで注ぐ。蓋をきつく閉めてから冷蔵庫へ。

豆腐にかけてもいい。
肉にかけてもいい。
白飯に乗せるだけでもいい。

監督が嬉しそうに、これを頬張っていたことを思い出す。
北海道や東北の人にとっては大切な春の味なのだろう。

あれはいつだったか……知り合いの制作会社WのEさんが、監督が亡くなってからしばらくして連絡をしてきた。

六本木のハズレにある小さな料理屋に呼ばれた。
「一緒にこれを食べようと思ってね」
テーブルに置かれたのは、行者ニンニクの瓶詰めだった。
「マスターが去年漬けたものなんだって。それをこの前聞いたからさ、村本くんと今度食べようと思ってさ」
Eさんは、よく監督にCMの仕事を振っていた一人だ。少し僕より年上の、やさしいプロデューサーだった。僕をこの人に紹介してくれたのも監督だった。

僕たちは、(もちろん他のものも注文したが)白飯をもらって、行者ニンニクを乗せてかっこんだ。
懐かしく、切なかった。それでいて、ものすごくうまかった。
「また一緒に、食べたかったね」
「そうですね」
Eさんが少し湿った口調で言うものだから、僕もつられたことを懐かしく思い出す。

浅漬けだけど、明日になったら、白いご飯を炊いて監督にお供えすることにしよう。

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