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『あかり。』 (第2部)#49 ネパールはどうだ? 相米慎二監督の思い出譚
どこだっただろうか。記憶がない。
ある晩、監督と酒を飲んでいたら、一冊の本を嬉しそうに見せてきた。
「この女がバカなんだ」
「なにがですか?」
「ネパールに行って、散々歩くのな。それで自分がバカだって気づくんだ」
「へえ」
「今度、こいつに会うんだ。ムラモト君も来いよ」
「いいですよ」
それはどなたの著書だったのか、もうそれすら覚えていない(失礼な話です)。ただ、久しぶりに監督の嬉しそうに話す姿が嬉しかった。
数ヶ月前、チベットを舞台にした映画が、あっさりと流れたとき、以降、監督とその話はしなかった。しないのが礼儀だと思ったし、したところでせんない。
その後も相変わらずいくつかのCMを一緒に作り、夜な夜などこかで美味いものを食い散らかし、楽しくはやっていた。
でも、それはどこかで少し虚しくもあった。
僕は監督とチベットで映画を撮りたかったのだ。それはきっと、自分の人生を大きく変える…変えてくれるきっかけになるはずだった。
それが、霧散し、ただ忙しく駆け出しのフリーランスの日々を送り、生活に追われる中で、こんなはずじゃなかったという思いは燻り続けていた。
そして、その虚しさや悔しさは、本来CMなんて撮るのが本業ではない監督にしてみたら尚更だったに違いないのだ。
だから「ネパール」なる単語が出てきたとき、僕はにわかに嬉しくなってしまった。
多分、それは夏の盛りか、終わる頃だ。
僕は以前所属していた会社の仕事を久しぶりにしていた。
僕のささやかなヒットCMの商品自体がなくなるとのことで、シリーズ最後は最初に撮った僕に撮らせてやろうと、プロデューサーが声をかけてくれた頃だから。
しばらくすると、作者と中華料理屋で会うことになった。作者は30代の女性で、快活な人だった。監督は彼女から旅の思い出を面白おかしく聞き出しながら、笑っていた。(ちなみにその本はノンフィクションだ。)
そして、監督は脚本は彼女に書かせたいと思っている節があった。
もしかしたら『夏の庭』もこんな調子で湯本さんに最初は振っていたのかもしれないなあ、そんなことを思った。
日本を飛び出した女性が、ネパールの地を彷徨い、辿り着いた場所…確か、宗教発祥の地みたいな山の上で、そこにある大量の旗の周囲をぐるぐると巡りながら「私はバカだ…私はバカだ…」と呟きながらひたすら歩く。
生きづらさを抱えた、傷ついた女性が、旅先で自己を再生させるまでを描くスケール感のあるロードムービー……監督の頭にあるのはそんなイメージなのだろうか。
僕は二人の話を笑いながら、聞き、相槌を適宜打ちながら、この話は実現するだろうかと内心考えていた。
実現するのなら……いきがかり上、行けばいい。そうでないなら…いや、まだ始まったばかり。そんなことを考えるのはよそう。僕は監督に紹興酒を注ぎながら前向きに行こうと考え直した。
監督は、日本以外のどこかを舞台に、で映画を撮りたかったのかもしれない。日本映画的なしがらみや因習に囚われず、現地のスタッフやキャストを内混ぜにした無国籍な映画……。相米慎二という看板を誰も知らないキャストたち。
この前のCM撮影で、外国の俳優たちと軽やかにセッションし、言語など関係なしに演出し、それに応える俳優たちを思い出した。
実現したらいいな……僕は作者のはしゃいだ姿を見ながら、そう思った。